ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

スタートラインに立って

2010年01月04日 | 家族とわたし
新年が明けて休みも明けた月曜の今日、突然息子Tの携帯電話がにぎやかに鳴り出しました。
年末にTがお願いしていたリクルーターさん達からの連絡です。
昨日までのほほぉ~んと優雅に休みまくっていたT、一気に現実に戻されました。
明日のお昼に、お二方のリクルーターさんと、別々の場所と時間のミーティング。
旦那から、「自分を安売りしない!焦らない!これは人生ゲームの始まりなんやから」と諭されて、ちょっと落ち着いたようです。

電話を受けている時はもちろん日本語で。けれども敬語を使おうと頑張るあまり、なんだかスムーズに言葉が出てこなかったようで、電話を切った途端にぐったり。
おいおい、そんなんで日本の会社に就職しようとしてたんかいな~

明日の服、どんなんがええんやろ?
スーツかな?いや、ちょっと良い目のカジュアルでいいかな?ネクタイはどないしよ?あ、靴無いわ!
うろうろうろうろ、まるでちょっとイライラしてる動物園のクマみたいに、部屋の中を歩き回るT。

ニューヨークには、Tの学んできた技術や知識が充分に生かせる職場がかなり少ないらしく、しかもTが無視してきたJAVAというプログラミングを習得しなければ、雇ってくれる会社はほぼゼロに近いそうです。
なので、JAVAを学びながら働かせてもらえる会社を探すか、彼が学んだプログラミングが生かせる会社がいっぱいある西海岸で探すか、または、もっと冒険して、違う可能性を見つけてみるか、
旦那は意外にも、「今は焦らず、時間をかけて、もし見つからなかったら浪人してでもいいから、とにかく納得のできる所が見つかるまで探せ」と言っていて、
わたしもそれには賛成で、若い彼の、この今の1年や2年は、人生の中のほんの短い時間に過ぎないので、じっくりと時間をかけて考えて欲しいと思っています。

もちろん可能性の中には日本での暮らしもあるわけで、アメリカの東か西の海岸沿いか、はたまた極東の日本か、
いずれにせよ、これからのTの人生の、社会人としての第一歩が踏み出せる場を見つけることができたら……そしてその場で、彼が生き生きとして暮らしていけるのなら、親としてこんなに嬉しいことはありません。

今、せっせとワイシャツにアイロンをかけているT。ズボンとセーター(旦那母からもらった高級セーターだそうな)に合わせて着るから見て欲しいと言われ、
そのファッションショーの準備が整うのを待ちながらこれを書いているわたしです。

明日は人生ゲームの振り出しの日。どんなサイコロの目が出るでしょうか?
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な~んか納得できないこと

2010年01月04日 | ひとりごと
年末の、旦那姉一家が泊まりに来る日の直前のこと。
部屋はあるけど布団が無い!ってんで、近くのモールの中にある生活用品を安売りする店に旦那と行った。
クリスマスも終わり、年末商戦真っただ中、客もセール狙いなので迫力がある。どこもかしこも混んでいた。
分厚い目の掛け布団の値段と柄で旦那と意見が合わず、売り場をぐるぐるぐるぐる、旦那がいいというのはわたしが気に入らず、わたしがいいというのは旦那が気に入らず、お互いに疲れ果てた上に腹まで立ってきて、今回は旦那が折れて買い物成立。
キングサイズの掛け布団の下に、シングルサイズのブランケットを各々1枚ずつ使ってもらうことに決め、売り場に移動した。
セール中の売り場の惨状は、初めて見た時には目を疑うほどに驚いたけれど、今ではもうすっかり慣れた。
床に散らばる品物を足で避けて歩けるし(はじめはいちいち棚に戻したりしてたけど、量が半端じゃないので今はもうしない)、破けた袋を見ても、引きちぎられた製品を見ても、思いっきり試されまくったスプレーやクリームを見ても、ふ~んで見過ごせるようになった。
ブランケットの棚はそれほど酷くはなくて、畳んだ製品を巻いた紙の帯が外れていたりしているぐらいだったので安心した。
薄いグリーンと茶色の、同じ会社の製品を買いたかったけれど、色違いは無くて、仕方が無いので、他社の、けれども同じようなフリースの物を選んで終了。
他社のそれは、先のそれよりも2ドル安くて、ちょっと得した気分になった。
ああこれで帰れる!とばかりに、旦那とわたしはレジに向かった。

レジはどこも混んでいて、運の悪いことに、わたし達が並んだレジでは、半額だからと思ったクリスマスキャンディの値段が半額じゃなくて、それでもめているおばさんと、製品にタグがついていなくて、値段がさっぱりわからないのを持ち込んできたおじさんがいた。
アメリカのレジでは、早くて15分、遅くて45分以上待ちというのが常識なので、旦那もわたしも疲れてはいたけれど、いつものように気長に待っていた。

やっとわたし達の番になった。
細かい物を先に、それから掛け布団、そしてブランケットを2枚。
するとレジの女性は、違う会社の製品なのに、1枚のブランケットのタグのバーコードを二回読み取った。しかも、それは2ドル高い方の製品のタグだった。
慌ててわたしが、「ちょっと待って!それとこれとは会社が違うよ。だから別々に読み取って!」と言っても全くの無視。
そこでもう少し大きな声で、ゆっくりと、もう一度同じことを言った。
そしたら彼女、いや~な笑い顔を作って、「あのねえ、この製品とあの製品は全く同じなの」と言いながら、外れた紙製の帯をヒラヒラさせた。
まるでわたしが、安い方の製品についていた帯を外して、その製品に付け替えたと言わんばかりに。
確かに、安い方のブランケットに巻かれていた紙の帯は外れていて、辛うじて製品にくっついていただけの状態だった。
けれども、だからこそわたしは念入りに確認したし、同じ柄の帯の製品とも照らし合わせて、その会社の製品だとわかるまで細部を調べてもいた。
わたしはカッとなって、「違うよ。ちゃんと棚の中を確認したし、その製品とこの製品は違う会社の物だし、製造の仕方も違う」と抗議したが再び無視。
鼻で笑う彼女、わたしの後ろにズラリと並ぶ他のお客さん達、ものすごくイヤな気分になった。
さらに抗議しようとするわたしを腕で抑えて、「もういい。なに言うても仕方がない」と日本語で止める旦那に腹が立って、わたしはさっさとそこから離れた。

2ドルのお金が惜しいんじゃない。そんなの全然どうでもいい。
ただ、自分がそんな浅ましいことをした、と思われたのがすごくイヤだった。

「あんなにレジが混んでいて、これ以上他の人を待たせないようにしようと思わん?」
「レジの女性は女性で疲れ切っていて、そのために気が回らなくなっていて、けれどもまうみが怒ってることはちゃんとわかってたからそれでいいやん」
カッカと怒るわたしに旦那は言う。なにがええねん!と心の中で怒鳴りながらわたしは黙ってスタスタと早足で歩く。

自分は間違ったことをしていないのに、それをすっかり誤解された時、
なんとしてでも誤解を晴らそうと躍起になるわたしと、その時の状況と場合によっては、そのままで終わっても仕方がないと諦められる旦那。
どっちが大人かって聞かれたら、そりゃもう旦那でしょ。

帰りの車の中で、まだ思い出してはイヤな気分になってるわたしに、旦那は呆れた顔でこう言った。
「まだ忘れてへんの?」

自分が受けたイヤなことを、いつまでもくどくどと思い出しては腹を立て、ああ言えばよかった、ああしたらよかったと考えてまた腹を立てる。
3日ぐらいしたら、物理的な痛みと同じように、スウッと消えて忘れてしまってるのだけど、旦那よりは相当長い時間根に持ってしまうのは確か。

正しいとか正しくないとか、そういうのではなくて、これは多分性格の違いからきてるのだと思うけれど、
身に覚えの無い疑いをかけられたり誤解されたりした時、みなさんはどんなふうに考えたり反応したりしますか?



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