ひと月前の、Tの大学の卒業式と誕生日の日に、雪嵐に遭った。
山の中をぐねぐねと走る高速道路で車止めを食らった。
ガソリンスタンドで散々思案して、とにかく進める所まで進もうと決心し、高速に入ってほんの2分も経っていなかった。
事情がわからないまま1時間が過ぎた。
わたし達家族4人が乗った車には、それでも幸運なことに、ついさっきスタンドで入れた満タンのガソリンが入っていた。
躊躇することなく、エンジンはつけたままにしていた。
前後の車ももちろん、エンジンをつけたままだったので、排気ガスのことが多少不安になったけれど、吹雪いているだだっ広い山の上なので、とりあえず凍え死ぬよりはマシだ、という結論が出た。
誰も外に出て来ない。
誰も外に出て、いったいどうなってるんだ!と怒り出さない。
誰も外に出て、前の様子を見に行こうともしない。
ただ、ただ、静かに、車の中に閉じこもっていた。
2時間が過ぎた。3時間が過ぎた。
息子Tの誕生日が終わり、日付が変わった。
とうとうひとりの男性が外に出て、近くに止まっているトラックの運転手と話をし出した。
トラックの運転手は、彼ら専用の携帯ラジオがあって、それで少しは詳しい情報を仕入れていた。
「安心しな。あと2時間もすりゃ、助けが来るよ。さっきヴァージニアの知事が非常事態宣言を出して、ナショナルガードに出動の要請をしたんだ。3時頃には、ナショナルガードがここに来て、我々を避難場所まで誘導してくれるよ」
それを伝え聞いた時の安堵と喜びは、それまでに鬱積していた怒りを瞬く間に溶かした。
助けに来てくれる!誰かが助けに来てくれる!ありがとう!ありがとう!
その3時になった。辺りは真っ暗で静かなまま。すべてを包み込んでしまう雪が憎くなった。
きっと遅れてるんだ。だって、事故はここだけじゃないはずやもん。彼らだって大変なんだ。無理を言うのは大人気ない。
4時になった。
5時になった。
もう待つのはこりごりだと思いながら、それでも待ちたい気持ちは消せなかった。
6時になった。
とうとうあきらめた。少しだけウトウトとした。
7時になった。薄らと辺りの様子が見え始めた。
怪我をしている者がいたわけでもない。
地震のような恐ろしい災害に遭った後でもない。
命に関わるような持病がある者がいたわけでもない。
水も少しならあった。スナックも数袋残っていた。
飲み食いを一切しなかったのは、ただただトイレに行きたくなるのを防ぐためだけのことだった。
小さな子供もいない。赤ちゃんもいない。お年寄りもいない。健康な4人の大人が、とりあえずそれぞれに平気を取り繕いながら時間を過ごした。
それでも、誰ひとり助けに来てくれないことへの怒りは強かった。
繰り返し流されるその地域のラジオニュースにさえ、わたし達のエリアだけアナウンスしてもらえなかったことへの怒り。
世界中から無視されているような気がした。
誰もなにもしようが無くて、ただただ待つしかなくて、それでもいつか、誰かひとりでも、「大丈夫だ、もうすぐ道が通じるよ」と、伝えにだけにでも来てくれるのを、祈るような気持ちで待った。
ハイチの、あの時のわたしなんか比べられないほどの辛い目に遭って、それでもなお、誰にも助けに来てもらえないままでいる人々。
映像はこうして、毎日毎時間、事細かに、世界中のあらゆる町に流されているというのに、
彼らのもとに、瓦礫を取り除く機材も、水も、食料も、薬も、遺体を包む専用の袋も、なんにも届いていない。
誰か助けて!お願い助けて!
心の中でそう叫び続け、やがて時間が信じられないほど過ぎて、本当に誰も助けに来てくれなくて、そうしてそのために命を失うようなことになってしまったその人や、その人を愛おしく思う人々は、どれほどに傷つくだろう。
今夜のアンダーソン・クーパー(現地入りしているニュースアンカー)は、自身の報道番組の中で、「Stupid Death」と何度も何度も口にした。
およそ、死ぬ理由が見つからない馬鹿げた死を、何度も何度も目撃したと言っていた。
「Stupid Death」のような死に方をしなければならなかった、誰にも助けに来てもらえなかった9才の女の子は、最後まで笑っていた。
彼女は、ひとりぼっちで、暗闇の中で、死を迎えなかった。最後の最後まで、誰かが手を握り、声をかけ、励ましていた。
だからどうやっちゅうねん?
そんなふうに、暖かい部屋の中で、ソファに座って、人の命の終わりをただ眺めて、その死に理屈をつけている自分が、心底いやになった。
山の中をぐねぐねと走る高速道路で車止めを食らった。
ガソリンスタンドで散々思案して、とにかく進める所まで進もうと決心し、高速に入ってほんの2分も経っていなかった。
事情がわからないまま1時間が過ぎた。
わたし達家族4人が乗った車には、それでも幸運なことに、ついさっきスタンドで入れた満タンのガソリンが入っていた。
躊躇することなく、エンジンはつけたままにしていた。
前後の車ももちろん、エンジンをつけたままだったので、排気ガスのことが多少不安になったけれど、吹雪いているだだっ広い山の上なので、とりあえず凍え死ぬよりはマシだ、という結論が出た。
誰も外に出て来ない。
誰も外に出て、いったいどうなってるんだ!と怒り出さない。
誰も外に出て、前の様子を見に行こうともしない。
ただ、ただ、静かに、車の中に閉じこもっていた。
2時間が過ぎた。3時間が過ぎた。
息子Tの誕生日が終わり、日付が変わった。
とうとうひとりの男性が外に出て、近くに止まっているトラックの運転手と話をし出した。
トラックの運転手は、彼ら専用の携帯ラジオがあって、それで少しは詳しい情報を仕入れていた。
「安心しな。あと2時間もすりゃ、助けが来るよ。さっきヴァージニアの知事が非常事態宣言を出して、ナショナルガードに出動の要請をしたんだ。3時頃には、ナショナルガードがここに来て、我々を避難場所まで誘導してくれるよ」
それを伝え聞いた時の安堵と喜びは、それまでに鬱積していた怒りを瞬く間に溶かした。
助けに来てくれる!誰かが助けに来てくれる!ありがとう!ありがとう!
その3時になった。辺りは真っ暗で静かなまま。すべてを包み込んでしまう雪が憎くなった。
きっと遅れてるんだ。だって、事故はここだけじゃないはずやもん。彼らだって大変なんだ。無理を言うのは大人気ない。
4時になった。
5時になった。
もう待つのはこりごりだと思いながら、それでも待ちたい気持ちは消せなかった。
6時になった。
とうとうあきらめた。少しだけウトウトとした。
7時になった。薄らと辺りの様子が見え始めた。
怪我をしている者がいたわけでもない。
地震のような恐ろしい災害に遭った後でもない。
命に関わるような持病がある者がいたわけでもない。
水も少しならあった。スナックも数袋残っていた。
飲み食いを一切しなかったのは、ただただトイレに行きたくなるのを防ぐためだけのことだった。
小さな子供もいない。赤ちゃんもいない。お年寄りもいない。健康な4人の大人が、とりあえずそれぞれに平気を取り繕いながら時間を過ごした。
それでも、誰ひとり助けに来てくれないことへの怒りは強かった。
繰り返し流されるその地域のラジオニュースにさえ、わたし達のエリアだけアナウンスしてもらえなかったことへの怒り。
世界中から無視されているような気がした。
誰もなにもしようが無くて、ただただ待つしかなくて、それでもいつか、誰かひとりでも、「大丈夫だ、もうすぐ道が通じるよ」と、伝えにだけにでも来てくれるのを、祈るような気持ちで待った。
ハイチの、あの時のわたしなんか比べられないほどの辛い目に遭って、それでもなお、誰にも助けに来てもらえないままでいる人々。
映像はこうして、毎日毎時間、事細かに、世界中のあらゆる町に流されているというのに、
彼らのもとに、瓦礫を取り除く機材も、水も、食料も、薬も、遺体を包む専用の袋も、なんにも届いていない。
誰か助けて!お願い助けて!
心の中でそう叫び続け、やがて時間が信じられないほど過ぎて、本当に誰も助けに来てくれなくて、そうしてそのために命を失うようなことになってしまったその人や、その人を愛おしく思う人々は、どれほどに傷つくだろう。
今夜のアンダーソン・クーパー(現地入りしているニュースアンカー)は、自身の報道番組の中で、「Stupid Death」と何度も何度も口にした。
およそ、死ぬ理由が見つからない馬鹿げた死を、何度も何度も目撃したと言っていた。
「Stupid Death」のような死に方をしなければならなかった、誰にも助けに来てもらえなかった9才の女の子は、最後まで笑っていた。
彼女は、ひとりぼっちで、暗闇の中で、死を迎えなかった。最後の最後まで、誰かが手を握り、声をかけ、励ましていた。
だからどうやっちゅうねん?
そんなふうに、暖かい部屋の中で、ソファに座って、人の命の終わりをただ眺めて、その死に理屈をつけている自分が、心底いやになった。