ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

放射能よ

2012年02月20日 | 日本とわたし
風邪をひいたのか、それともカビカビ大王のソファを分解した部屋に一日こもっていたからか、
喉と鼻の奥をいっぺんにやられた。

なので、昨日は早寝をして、今日もまあ、あともう少ししたら寝るつもり。
昨日の夜は、あまりにも喉が痛くて、呼吸をするにもいちいち困った。
なにか強烈に悪さをしているものが、鼻の奥と喉のあたりで熱を放っていた。

マスクをして、喉をすっぽりカバーできる服を着、湯たんぽをして寝た。
息子がフィラデルフィアのトーナメントで、敗者復活戦で甦ってきて、二位か三位を争う試合がネットで流れているにも関わらず、
わたしは応援する気力も無く、布団の中で手を合わせて、悔しくない試合ができますように、と祈っていた。
旦那は、隣の部屋で、大興奮で観戦していた。
彼の声で、試合の内容がだいたいわかる。残念、負けたみたいだ。

明け方、5時前に目が覚めた。
鼻水がたまり、喉もまだ痛い。
鼻水をかむと旦那を起こしてしまうので、一階に降りてうがいをした。
鼻水や痰がよく出だした。
濃い色なのを見て、少しホッとした。
これを何回か繰り返して外に出せばきっと、痛みはだんだんとひいていくだろう。

夜が明けて、空がうっすらと明るくなってきた。
ふと、思った。
放射能がもし、風邪の菌やカビみたいに、悪さをすると痛みを感じることができたら……。
そしたらみんな、もっともっと早く、脱兎のごとく、我れ先に避難していただろうなと。
放射能が混じった食べ物が喉を通る時、いや、その前に、舌に触れた時、チクチクっと痛みを感じられたら、
みんなきっと、呑み込んだりせずに、口から出せただろうなと。

三ヵ月ぐらい前から、南相馬のあちこちで発見されていた『黒い粉』はやはり、108万ベクレルもの『高濃度黒色物質』であることが判明した。
それはもう、町のあちこちに存在していて、その上を、子供や大人や動物が歩き、車が走っている。
マスクも、防御服も無しで。

慣れてはいけないと思う。
忘れてはいけないと思う。
インフルエンザよりも、もっともっと辛い症状にかかってしまうかもしれないことを、真剣に想像してほしい。
わたしみたいなヘタレ人間は、この喉の痛みだけで充分参ってしまう。
ましてや、息子達がまだ幼い頃に、痛い痛いと泣きそうな顔をした時などは、我が事以上に痛い思いをした。
放射能は小さい命をまず先に狙う。
痛い痛いと、泣く子供を抱きしめながら、ごめんね、ごめんねと、泣きたい親などいるものか。

放射能よ、ほんの少しでもいい、正体を見せてくれ。
コメント (6)
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飯舘村は、言い立て無駄になってしもてへんか?

2012年02月20日 | 日本とわたし
「除染がうまく行くとは思えない」飯舘村の酪農家が怒りの訴え BLOGOSより転載させていただきました。

2012年02月21日 01:11




都内で記者会見をする長谷川健一氏
 


高濃度の放射線汚染で、全住民が村外へと避難している、福島県飯舘村。
当地に住んでいた酪農家、長谷川健一氏(58)が2月20日、自由報道協会主催の記者会見を行った。
長谷川氏は、飯舘村前田地区の区長で、地域の取りまとめ役。
原発事故直後に購入した、ビデオカメラで、村の様子を克明に記録し、全国で講演活動をしている。
20日に、宝島社から、単行本「原発に「ふるさと」を奪われて 福島県飯舘村・酪農家の叫び」を上梓したことを受けて、
被災当事者の視点から政府・行政の取り組み方を激しく批判した。【写真・文:安藤健二(BLOGOS編集部)】


安全と安心は違う

長谷川氏は、悲痛な表情で、飯舘村で進められつつある除染作業(放射性物質を地表などから取り除くこと)について、以下のように批判した。

「政府は、住環境を2年、農地を5年、山林を20年で除染をすると言っています。
山林は、里山しかやらない。
住居の近くだけなんです。
そうした場合に、どうでしょう。
放射性物質は、浮遊しているんです。
飯舘村の75%は、山なんです。
いくら住環境や農地を除染しても、また流れてくるんじゃないか
、という気がするんです。
でも、今、村ではまっしぐらに、除染という方向に進んでいます。
私はそれに対して、『それじゃダメだ!村民の声を聞こうじゃないか』と訴えています。
飯舘村だけが、村民アンケートを取っていないんです。
除染するなら、村民の声を受け止めた上で、やらなきゃダメだ、と言ってるんですが、聞き入れられないんです。

もちろん、除染するというのは、本来は当たり前のことなんです。
私だって、もといた土地に戻りたい。
だけども、最悪のシナリオだって、想定しなきゃいけない。
そうしたら、村を離れるというシミュレーションを、今からしとかなきゃダメなんだろう、と思います。

もし、4~5年かけて除染した後に、『これではダメだった』となったときに、その4年なり5年の月日は、どうなるのか。

国でも村でも、除染、除染の一辺倒で、進んでいます。
私は、除染なんて、うまく行くとは思ってはいません!
飯舘村の放射線量が、10マイクロシーベルトより下がったら、国が『帰っていいよ』って言うかもしれない。
でも、私より上の年代は、戻るかもしれないけど、私より下の年代を、戻そうとは思わない。
若い人達が、子作りや、子育てできるような環境じゃない。

もし、私が戻ったとしても、何も農作物は作れませんよ。
国は『安全だ』と言っても、放射性物質がゼロになるまで、安心はできない。
安全と安心は違う、と思うんです。
我々農家は、安心な物を、消費者に届ける義務がある。
それができないんです。
そうなると、飯舘村では、農家は無理なんだろうなと。
私たちが村に戻ったときに、村が終わりになるのかな、とそういう思いがするんです。

ですから、(山形県の牧場に勤めている)息子が、『山形で(自分の)牧場をやりたい』という話にもしなったら、私は止める気はありません。
私だって、息子と供に、孫と遊びながら、これからの生活をしていきたいと思う。
そうなれば、村を捨てて、息子らのところに寄ってくのかな、という気もするんです。
飯舘村の人も、いろいろな考えがありますけども、アンケートを取らないから、正確な結果としては分りませんが、
(私の印象として)『帰れねえべな』、と思っている人は多いのが、今の飯舘村の現状です」

彼は旅立っちゃった



相馬市の男性が生前に壁に残した書置き


原発事故から3ヵ月後の、2011年6月、隣接する相馬市で、酪農を営む50代の男性が、
「原発さえなければ」などと書き置きを残し、首をつった状態で死亡していたことに、触れる場面もあった。
長谷川氏は、こう振り返った。

「彼は私の友人です。
一番恐れていたことが、起きたわけです。
『原発さえなければ』という書き置きを残して、彼は旅立っちゃった。

『原発さえなければ、と思います。
残った酪農家は、原発にまけないで、頑張ってください。
先立つ不幸を。
仕事をする気力をなくしました』

このような書置きでした。
彼には、5歳と7歳の息子がいました。
その中で、私も、彼に何もしてあげられなかったと、無念な思いが今もあります。

訃報を知ったときは、彼の家に吹っ飛んでいったんですね。
『まさか嘘だろ』って思っていましたが、彼が布団に横たわっていた。
それでも信じられずに、顔にかったシーツをはぐと、やっぱり彼だったと。
『馬鹿野郎!』って叫んだんだけど、彼は帰ってこない。

彼にもいろいろな事情があったにせよ、その事情のもとを辿れば、発端は原発なんですよね。
『原発さえなければ』という言葉が、頂点なんですよ。
『原発さえなければ、何とかやりくりしてやれたんだ』という思いが、非常に入ってるなと。
そんな感じがするんですけどね。

私も、飯舘村の酪農家を守ることで精一杯で、(相馬市の)彼のところまでいけなかったのも、残念に思っています」



一昨日、菅野村長の基調演説を聞いている間中、なんでまず除染なんか、そもそも除染が可能なんか、誰がどうやってするんか、
村をもういっぺん作り直すのに、どうしても同じ飯舘村の土地でないとあかんのか、
聞きたいことが次々に、頭の中に浮かんできて、気がおかしくなりそうやった。

家に戻り、旦那と話してた時、
「あの村は6000人もいて、それであの村長が言うてるように、除染して村に戻ることに賛成してるんか?」と聞かれた。
わたしは、「詳しいことや正確なことはわからへんけども、反対している人達もいることはいる」と答えた。

この長谷川氏は、その中のひとり、ということになる。

村長の基調演説の中には、原発事故という言葉が一度だけ出たけど、起こってしもた事故との闘いに重点を置いた語りかけになってた。
大変な思いをして散り散りばらばらになった村民が、一日も早うまた村に戻り、皆で元のような生活をしたいと思てる。
そんな印象を与える演説やった。

もうこの土地は、数十年間は、若い人達が、子作りや子育てをすることができひん。
そうきっぱりと、キリをつけることも、長としての度量とちゃうのか?
その上で、政府に、第二の飯舘村を再建する土地の提供を、断固として要求する。
やってもやっても無駄になりそうな除染に大金使うくらいなら、その金を、もっと有効に使える事に使えばええねん。
そのためには、あちこちに避難してはる村民の方達の意見をていねいに聞き、それをもとに、何回も話し合いを重ねる。
もちろん、6000人もの人達が、全員賛成できる案なんかあらへんけど、各自に選択の権利を持たせてあげるべきやと思う。
これは、ひとりひとりの人生が、丸ごとかかってるんやから。
きれい事では済まへんのやから。
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