ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

日本国憲法第九条・わたしはこれを地球憲法にしたらええと思う!

2012年02月28日 | 日本とわたし
日本国憲法第九条

その1 
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

その2 
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。


今日一日、ずっと、この憲法第九条を、頭の中で諳んじている。
この力強い、確固とした、そして永久にという、戦争や武力への拒絶。
わたしは、今更ながら、こんなすばらしい憲法を持つ国を母国として誇れる幸運な人間やったんやと、しみじみ思た。

と、そうしてるうちに、今度は、わたしが忌み嫌てるアメリカ合衆国憲法の修正第二条のことを思い出した。
あれがあるがために、銃規制が進まんと、凝りもせずにあちこちで射撃による殺人が起こってる。


アメリカ合衆国憲法修正第二条

「国民が銃をもつ権利」を述べたアメリカ合衆国憲法修正第二条は、以下の通り。

Amendment II  A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed.

訳をしてくれてはる、阿川大樹さんとおっしゃる小説家のブログ『阿川大樹のつぶやきの壺焼き』から、一部を拝借させていただく。

アメリカ合衆国修正第二条

規律のとれた人民軍は、自由な国家を守るために必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。
(阿川大樹による日本語訳)

武器を持つ権利について、日本人によくある誤解は、アメリカでは「自分の身を守るために銃をもつ権利がある」のだという勘違いだ。

けれど、この条文が示しているのは、他国からの侵略や、自国の政府が、国民の自由を抑圧する可能性があるから、
国民が組織だって、それと戦うことができるように、国民には武器を持つ権利があるのだ、という考え方だ。
 
つまり、合衆国憲法の精神は、「自由国家」が武器によって守られる、という考え方が基本になっている。
銃によって守る対象は、個人の生命や財産ではなくて、「自由な国家(free State)」である、ということ。

いい悪いは別にして、日本人とはまったくちがう理念で、武器を捉えている。
たとえば、自衛隊がクーデターを起こして、軍事政権ができたら、武器をもたない国民は闘うことができないではないか、
だから、市民にはつねに、武器を持つ権利が保障されていなければならない、というのが、アメリカの憲法修正第2条の精神である』



あらら?
なんかちょっとちゃう。
というか、すっかり勘違いしてた人間のひとりっぽい。

日本もアメリカも、素晴らしい条文が存在してるのに、
核兵器をコソコソ作ってたり、銃を全く違う意味合いで持ってたり、アホな連中のために、せっかくの憲法が台無しや。

憲法が泣いてるで! 
コメント (10)
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小出先生へのインタビュー文字起こし・2/28/2012

2012年02月28日 | 日本とわたし
すみません。途中から聞いた部分だけ。
しかも、ボケボケ頭で聞き取ったので、間違いとかがあるかもしれません。
もう寝ます。
とりあえずひととおり読んでみてください。おやすみなさい。


『汚染瓦礫を、全国の自治体が引き受けて燃やしてもよいと思うと言ったことについて。
絶対に譲れない条件がある。
放射能汚染をほぼ除去できる、専用の装置をきちんとつけ、運搬ルートやその他の作業の際も、汚染が拡散しない状況に整える。
それをきちんとやり終えた上で、瓦礫を拡散する。

本来ならば、現場で特別な焼却炉を作り、現地で燃やすことが一番の策。

ただ、私は、子供を被ばくから守りたい。まずそれを一番に考えたい。

大阪も東京も、全国の自治体の子供も、福島の子供も汚染地の子供も、
トータルとして被ばくをどれだけ減らせるかどうか、というのが一番の問題。

専用の焼却炉を作れ。それが間に合わないのなら、全国でやれ。
ただ、だからといって、既存の焼却施設で燃やしてはだめ
その焼却灰を、自治体で勝手に処分するのもだめ
既存の焼却炉では、放射性物質を取り除けない。
バグフィルターは全く効率の保証が無い。

管理が重要。
現場でそれを確認し、測定し、大丈夫かどうかを、まずはっきりさせなければいけない。
けれども測定調査は簡単。
だからまず、それをやり、数値的に大丈夫なら燃やす。
セラミックフィルター、高性能フィルターを新たに設置した焼却施設なら、そこで焼却してもよい
沿道の構造を変え、フィルターをつけ、徹底して放射能対策をする。
例えば大阪で焼くとしても、専用の場所を決めて、そこでやるというふうにしなければならない。
たとえ焼却してもいい、ということになっても、その焼却灰は、その地域内で絶対に処理してはならない
その灰は、福島原発の石棺や、地下遮蔽壁のコンクリートの材料として使うために福島に戻す。

速度が大切。

もともと行政の計画自体に疑問がある。
宮城、岩手、福島のがれきの1~2割を全国でやってくれ、と政府は言う。
10~20年かかるので頼みたいというわりには、8~9割を地元でなぜやろうとするのか?
民間の産廃業者が焼却してしまうと、さらにとんでもない被ばくが発生する。
災害立地。
本来ならば、現地で焼却施設を建てる、あるいは既存の焼却施設を徹底的に改良し、汚染地で処理することが最良の手段。
汚染地に専用の焼却施設を即刻建てること。
ただしそれにはなんども言うが、放射能汚染の拡散を遮断できる、特別の装置がきちんと設置されているという条件をクリアしなければならない。

こんな事故が起きてしまったということが事実なのであって、
その一割のがれきが全国に撒かれるということで、さすがに自分のこととして捉えてくれるのではないか、と思ったりもする。

溶けてしまった炉心がいったいどこにあるのか。
それがわかるまでは多分10年近くかかる。
最終的になにができるのか、それはまだわからない。
とにかく、放射能を閉じ込めなければならないことだけは明確。
そのためには、膨大なコンクリートが要る。


中間処分場、最終処分場をどこに置くか。
福島原発の敷地内に、汚染濃度が非常に高い灰を戻した場合。
一カ所にまとめた場合、全国にばらまいた場合。
いったいどちらがトータルとしての被ばくを減らせるか、それしかもう考えようがない。
全体の被ばく量を減らそうとしたら、一カ所にまとめる方法がベスト。

中間貯蔵施設は、福島第一の周辺に、もう二度と人が住めないという地域(例えば双葉町のような)があるのだが、
こういう言い方は申し訳ないが、そういう地域に作ることが賢明。
政府が双葉町に頼んだ際に、町長は断ったが、猛烈な汚染地帯で、もう二度と帰れないということが明確になった場合、そこに建てると良いと思う。
けれども、もともとは福島第一にあったものなのだから、そこに返すのが一番の解決法。
このゴミは、東京電力の本社の社長室から始まって、東京電力の建物がすべて、放射能のゴミで埋め尽くされれば良いと本気で思っている。
福島第二の広大な敷地を、中間貯蔵施設にすれば良い。
まずは、東京電力が所有する施設を使う、使い切ってもう場所が無いというところまでに至ってから、他の候補地を打診するべき。


再稼働について。
大飯原発の再稼働が特に差し迫った問題になっている。
わたしは本当に不思議に思っている。
あの事故を防げなかったことに、言葉に尽くせない無念を抱いている。
安全だ安全だと、言いふらしてきた彼らが、想定した条件のもとで計算をして、勝手に決めた指針に照らし合わせて安全だと判断してきたことが、大きな間違いだとわかったはずなのに……。
ストレステストだって同じ。
単に彼らが頭の中で想定した仮定をもとにやっているだけ。
しかも、これまでの指針をベースにしてやっている。
それが最大の過ちであったのに、それをまた、あの事故の責任の一切を取っていないまま、同じようなことをやろうとしている。

わたしも含めて、原発に関係してきた者は、全員刑務所に入っていなければならない。
そんな連中がまた、全く意味の無いテストを作り、原発を再稼働させようと躍起になっている。
事がここまできたのであるから、一切の原発は即刻止めなければいけないし、廃炉を進めていかなければならない。
事故というのは、どんな安全基準を作ろうと、事故を防ぐことはできない。
たかが電気のために、原子力を動かすという愚かなことをやめなければいけない。

原発はそもそもあってはいけない。
電力は足りている。
原発コストは全く経済的ではなく、国民にとって重い負担となる。


政治の場にいる方々の中には、『原発に関して、核の動機がはじめからあった』と、はっきりと認めている人がいる。
先の戦争で負けて、二等国となってしまった日本は、核武装というものを持つことで、立ち位置を向上させたかった。
原子力発電をやる上での、一番根本的理由は、核武装というものを所有するということ。

核の導入について。正力氏が原子力の平和利用という言葉を隠れ蓑に使い、原子力発電所を推進した。
核武装という言葉が最近また、チラチラと出始めている。
なぜそれをしなければいけないのか。
どうしてそこまで思わなければならないのか?
アメリカの都合よく動かされているのか。
アメリカの属国として、都合の良いように使われているだけなのか?
確かに属国だったが、そこからなんとか抜け出して、独自に一等国として存在するために、核武装を発展させたいという意思もあったかもしれない。
核を持つということの理由は、単純なことだけではない。

ウランの濃縮なり、プルトニウムを持つということは、アメリカの原子力産業の顧客となったわけで、
アメリカにとってのアジアの防波堤として存在している限り、アメリカは日本を、共産主義の脅威と対峙するための壁として使い、中国との接触にクッションを作る。
核の開発体制としての原子力発電所。これを政府は国民に全く説明していない。


プルトニウムは今どこにあるのか?最終的にどこにあるのか、高度な軍事機密であり、国民には知らされない。
原爆にできるようなウランがあるが、それも最高機密。
核物質というものはそういうもの。
単なる物理的な防護だけでなく、情報上も、完璧な機密事項。情報が漏れないように国家としては情報統制をとる。

日本の国民に対してスピーディは隠され、米軍には渡されていた。
主権者は米国?一応、形上は外国であるが、核の親分である米国に先に情報を流すのは、当たり前である。
米国は、IAEAを通じて、日本のどこにプルトニウムがあるのか、そのことも知っている。
IAEAは、基本的に米国が握っている。
常任理事国(アメリカ、日本、中国、イギリス、フランス)になる←核兵器を持つ
そして常任理事国は、他の国には核を絶対に持たせない→そういう意味もあってIAEAを作った。
常任理事国というのはそういうもの。

現在の厳しいパワーポリティクスのようなシステムの中で、わたしのような小さな者が、なにを言っても仕方が無いと思ってしまうが、
絶望したらその時に終わってしまうので、とにかくあきらめず、声に出し続けていく。
現在のようなパワーポリティクスが支配しているような世の中をひっくり返したい。
すぐにはできない。
そのための鍵は、日本国憲法にある。
特に第9条。
自分達の安全をどう守るか。
軍事力で安全を守らない。
もちろん容易な事ではない。
軍隊を強化することより遥かに難しいこと。

米国は今、自分の思いに添わない国は地球の裏側であっても攻撃するような、不公正で不平等な世界。

米国の属国から離れる。

不公正な劣位に置かれている国が、属している国から独立することは、想像を絶する困難や痛みが伴う。
核をすべての国が持つ自由。それは絶対に求めてはいけない。
核をすべての国が捨てる自由。これしか地球が続く未来はない。

不公正な世界は、人類が生まれてからずっと続いてきた。
核が生まれてからは60年。
人類というのはそういう愚かなものだ、という結論として認めてしまうとそれで終わってしまう。
違う歴史を作りたい。

人類の支配、披支配という不公正な世界を変えたい。

みんながひとりひとりで考えて欲しいこと。
原発だけの問題ではなく、核を視野に入れないと、この強大なシステムをひっくり返すことはできない』




小出氏が生きてこられたこれまでの世界には、常に絶望というものがまとわりついている。
この彼の絶望が、言葉の端々ににじみ出てしまう。
それはほんまのことなんやと思う。
それこそが現実なんやと思う。
けれども、それでもなにか、希望はないやろか、打開策はないやろかと思う。

瓦礫を全国の自治体で処理すればいい、と思てはることについても、
そうすることで、今なお、無関心でいる日本の大人達に、せめて考えさせるきっかけにもなる、と言わはった。
ここに彼の、孤高に闘うてきはった彼の、長年の怨念がチラチラと見え隠れするように思えてしまう。
それほどの、簡単に言葉に言い表せへんほどの毎日やったんやと思う。
あそこまでの悲惨な事故が起こらな、呑気に、適当に、無責任に、快適さを楽しむことをやめんかったわたしらへのお仕置き。
そして、わたしら以上に、無責任で破廉恥で強慾で無反省な原子力に群がる連中への、凄まじいまでの怒り。
これこそが、彼を絶望の淵からなんとか救い上げてるものなんかもしれん。

どんなに時間がかかろうとかまへん。
放射能の汚染に負けへんぐらい時間かけて、世界を変えるねん。
そのためには、わたしらが今、その一歩を踏み出さなあかんねん。
遠い未来の子供らが、学校の世界史を学ぶ時、今の平和な、核なんてもんはゴミでしかない、戦争も紛争もない世の中のきっかけを作ってくれた、一番はじめの人間やったと、
その中のひとりとして、代々語り継がれてもらえるなら、そんな爽快で名誉な人生はないやんか。
なんちゅう意味のある、かっこええ時代に、大人として生きてられる幸運を、感謝したいぐらいや。

日本国憲法第九条。
その1 
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

その2 
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。

わたしはこれを、地球憲法にしたらええと思う。
暴力で権力を保持しようとする野蛮人に、どんだけ時間かかっても、この憲法を理解させることが、核廃絶を叶えることに繋がると思う。
ほんで、それができるのは、この憲法を持つ日本であり、日本人なんやと思う。
ここまでに思いが至った時、わたしは、日本に生まれ育った日本人ということを、心の底から誇りに思う。
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