昨夜、寝ようと思て時計を見たら、丁度12時やった。
いかんいかん、今日の朝は早起きせなあかんのに、また遅なってしもたと焦った。
ふと、日本はもう10日になってるなと思い出した。
あ、父が亡くなった時間が近づいてる。
すでに、その時間にはもう、下顎呼吸に変わってた。
その呼吸の仕方は、もう二度と、父がこの世に戻ることはないことをはっきりと伝えてた。
旦那が、大津の小学校と中学校から息子らを早引きさせて、JRに乗って病院に向かってる。
なあ、あの子らが着くまでがんばってや。
心の中で願いながら、父の六番目の奥さんが父の枕元から離れるタイミングを狙ては、わたしや弟、それから父の姉や妹がそばに寄っていった。
呼吸の数がみるみる減っていき、とうとう最後の一息が終わった時、父の目は開いてた。
俺は生きたかってん、もっともっと生きたかってん。
そう言うてるみたいやった。
最後に綿に染ませた酒を飲んで、嬉しかったんか、口元はうっすらと微笑んでた。
それだけが救いやった。
最後の三日間、辛い思い出ばっかりが残ってしもて、わたしはそのことへの後悔から、だいぶ長い間抜け出せんかった。
毎年、命日が来るたんびに、思い出しては自分を責めて泣いてるわたしに、旦那は優しい言葉をかけてくれる。
父が、基本的に怠け者でお人好しの父が、いろんな人に騙されたか、あるいは自分の意思でやったか、それは本人にしかわからんのやけど、
保証人の判子をあちこちの書類に押しまくり、おかげで取り立てのヤクザに、毎晩、正月休みも無く、一時間近く脅迫される毎日になった。
「内臓売らんか、働き口はなんぼでもあるんやが」と、高校生の女の子にはかなりシュールな話ばかりで、
居留守を使うか、勝手に北海道やらにトンズラしてた父は、わたしがそんな連中の話し相手になっているとは知らずにいた。
借金癖がついた父は、わたしが田舎に嫁いでからも、金の無心の電話をかけてきた。
親戚には散々っぱら迷惑をかけていたから、もう誰にも頼めなくなっていた。
弟は、父のせいで、ブラックリストに入っていて、大人になる前から社会生活ができなくなっていた。
事故にでも遭うて死んでくれたらええのに。
そんなことを考えるようになってた時、父が車に撥ねられて重症を負った。
三ヵ月も入院する大怪我を負ったのに、わたしも弟も、ついに一度も見舞いに行かんかった。
親戚は皆、口を揃えて、わたし達を非難した。
けれども父は、憎めない、いい親父だった。
気が弱くてうそつきやったけど、大好きな親父やった。
最後の十年間、6番目の奥さんに気ぃばっかり遣てんと、もっとデートしたらよかった。
最後の十日間、稼ぎのことや、生徒のコンクールのことなんか大事にせんと、つきっきりで看病してあげたらよかった。
死ぬ間際まで、食べたい食べたい言うてた天ぷら、また作ったから。
食い道楽の父が、胃癌で死ななあかんかったのはほんまに皮肉。
そやし、わたしは、自分が死ぬまで、父の命日には天ぷらを作ってあげたいと思う。
今日のんは、見た目は悪いけど、味はええで。牛肉入りのきんぴらも混ぜ込んであるねん。
追記
ひでたんが残してくれたコメント読んで、今年が父の13回忌やったことに気がついた。
ひぇ~!!
まあ、今更慌てても仕方ない。
そもそも、これまでも、◯回忌やからと、特別になんかしたわけでもないねんけど。
けど、今年はちょっと特別なことがあった。
昨年の秋に帰省した時、最後の奥さんから弟のマンションに送りつけられた箱のまんま、玄関先に長いこと積まれてた父の仏壇を、
今回こそはなんとかしようと思い、弟とふたりで箱を開け、中の仏壇の扉を開いてみたら……、
父の骨壺が入ってたし……。
うっそぉ~!と、ふたりで仰天しながら、恐る恐る中身を調べた。
きれいなお骨がギュウギュウ詰めで入ってた。
久しぶり。
そんなこんなで、先祖代々の位牌と仏壇用具一式、そして骨壺をこちらまで持ち帰り、それを父の写真の前に置いた。
なので、今年は、骨壺をなでなでしながらお供えをした。
これでかんにんしといてな。
いかんいかん、今日の朝は早起きせなあかんのに、また遅なってしもたと焦った。
ふと、日本はもう10日になってるなと思い出した。
あ、父が亡くなった時間が近づいてる。
すでに、その時間にはもう、下顎呼吸に変わってた。
その呼吸の仕方は、もう二度と、父がこの世に戻ることはないことをはっきりと伝えてた。
旦那が、大津の小学校と中学校から息子らを早引きさせて、JRに乗って病院に向かってる。
なあ、あの子らが着くまでがんばってや。
心の中で願いながら、父の六番目の奥さんが父の枕元から離れるタイミングを狙ては、わたしや弟、それから父の姉や妹がそばに寄っていった。
呼吸の数がみるみる減っていき、とうとう最後の一息が終わった時、父の目は開いてた。
俺は生きたかってん、もっともっと生きたかってん。
そう言うてるみたいやった。
最後に綿に染ませた酒を飲んで、嬉しかったんか、口元はうっすらと微笑んでた。
それだけが救いやった。
最後の三日間、辛い思い出ばっかりが残ってしもて、わたしはそのことへの後悔から、だいぶ長い間抜け出せんかった。
毎年、命日が来るたんびに、思い出しては自分を責めて泣いてるわたしに、旦那は優しい言葉をかけてくれる。
父が、基本的に怠け者でお人好しの父が、いろんな人に騙されたか、あるいは自分の意思でやったか、それは本人にしかわからんのやけど、
保証人の判子をあちこちの書類に押しまくり、おかげで取り立てのヤクザに、毎晩、正月休みも無く、一時間近く脅迫される毎日になった。
「内臓売らんか、働き口はなんぼでもあるんやが」と、高校生の女の子にはかなりシュールな話ばかりで、
居留守を使うか、勝手に北海道やらにトンズラしてた父は、わたしがそんな連中の話し相手になっているとは知らずにいた。
借金癖がついた父は、わたしが田舎に嫁いでからも、金の無心の電話をかけてきた。
親戚には散々っぱら迷惑をかけていたから、もう誰にも頼めなくなっていた。
弟は、父のせいで、ブラックリストに入っていて、大人になる前から社会生活ができなくなっていた。
事故にでも遭うて死んでくれたらええのに。
そんなことを考えるようになってた時、父が車に撥ねられて重症を負った。
三ヵ月も入院する大怪我を負ったのに、わたしも弟も、ついに一度も見舞いに行かんかった。
親戚は皆、口を揃えて、わたし達を非難した。
けれども父は、憎めない、いい親父だった。
気が弱くてうそつきやったけど、大好きな親父やった。
最後の十年間、6番目の奥さんに気ぃばっかり遣てんと、もっとデートしたらよかった。
最後の十日間、稼ぎのことや、生徒のコンクールのことなんか大事にせんと、つきっきりで看病してあげたらよかった。
死ぬ間際まで、食べたい食べたい言うてた天ぷら、また作ったから。
食い道楽の父が、胃癌で死ななあかんかったのはほんまに皮肉。
そやし、わたしは、自分が死ぬまで、父の命日には天ぷらを作ってあげたいと思う。
今日のんは、見た目は悪いけど、味はええで。牛肉入りのきんぴらも混ぜ込んであるねん。
追記
ひでたんが残してくれたコメント読んで、今年が父の13回忌やったことに気がついた。
ひぇ~!!
まあ、今更慌てても仕方ない。
そもそも、これまでも、◯回忌やからと、特別になんかしたわけでもないねんけど。
けど、今年はちょっと特別なことがあった。
昨年の秋に帰省した時、最後の奥さんから弟のマンションに送りつけられた箱のまんま、玄関先に長いこと積まれてた父の仏壇を、
今回こそはなんとかしようと思い、弟とふたりで箱を開け、中の仏壇の扉を開いてみたら……、
父の骨壺が入ってたし……。
うっそぉ~!と、ふたりで仰天しながら、恐る恐る中身を調べた。
きれいなお骨がギュウギュウ詰めで入ってた。
久しぶり。
そんなこんなで、先祖代々の位牌と仏壇用具一式、そして骨壺をこちらまで持ち帰り、それを父の写真の前に置いた。
なので、今年は、骨壺をなでなでしながらお供えをした。
これでかんにんしといてな。