ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

白鳥のごとく

2009年11月21日 | 音楽とわたし
今日は朝早くから、カーネギーの中ホール、『ザンケルホール』のオリエンテーションに行ってきました。



壁一面、格子柄の木で作られた音響板が設置された、それはそれは美しいホールでした。まだ完成して数年しか経っていません。
残念なことに、今回も2台ピアノをプログラムに入れることはできないようです。
カーネギーホールには、シュタインウェイと特別な契約があって、ホール内にあるピアノはすべて、カーネギー用に作られた特別なピアノだそうです。
もちろん、要請に応じて、ホール内になる予備のピアノを移動させることはできるけれども、ものすごい費用がかかると聞いてあきらめました。
ああ、ここで演奏したい!と、心の底からこみ上げてくる気持ちを抑え抑え、マネジャーの後ろについて歩きました。
控え室にはすべてシャワー付きのバスルームと、簡易ベッドになるソファ、それから練習用のシュタインウェイのアップライトピアノが設置されていて、アルベルトをはじめとする、ACMAのディレクター達(わたしも含めて)は大はしゃぎ!やれやれ、困ったもんだ顔のマネジャーさん。

オリエンテーションの後、近くのカフェでディレクターミーティング。
こんなことしてる場合ちゃうねんけどな~と心の中で思いつつ、来年に向けての大切な会議だったので最後まで出席。
どうしてだか今日もマンハッタンに出てきたかった旦那と待ち合わせて、ほんまはめちゃんこさっさと帰りたいねんけどな~と思いつつ、
せっかく来たのに、ちょっとぐらい付き合ってぇ~なぁ~と恨めし気な目で見る旦那と一緒に、レストラン『サッポロ』へ。
カフェでお腹に重いキッシュとカフェオレを食したわたし。付き合えって言われても無理じゃ~と言いながら、生ビールとおつまみセットをオーダー。
この時点でかなりやけくそになっておりました。


今日は、何事においても思惑通りにいかなかったり、ムカムカしたりする日でした。

その1 会議からの帰りに、日本人のメッカ『ミツワ』で発表会の記念品を買うべく、まずはそこからマンハッタンに行くシャトルバスに乗りました。

シャトルバスの運転手に運賃を払おうと20ドル渡すと14ドルのおつりがきました。え?えらい高なったな……と思いながらマンハッタンへ。
ほんとは3ドルでした。3ドル騙し取られてしまいました。

その2 今日は発表会の前日の、最後の足掻きをするべく日なのに、いつもと同じようにマンハッタンに出てきた旦那。

気持ちは分かるけど、ひとりで遊べよぉ~たまには!

その3 シャトルバスでニュージャージー(ミツワ)に戻ろうと、自分で手書きしたスケジュール表を見ると、2分前の3時に出たとこだった!

次は3時45分まで無いってことで、近くのカフェで時間をつぶし、バス停に到着したのが3時32分。
わたしの書き間違いで、次は3時30分なのでした……。再び4時15分まで待機。ここらへんでかなり自分に腹が立ってきておりました。

その4 すべてはどんどん遅れてきて、ミツワに着いたのが5時過ぎ。それから記念品を買ってモントクレアまで戻ったのが6時過ぎ。

明日の発表会のために数曲コピーしなければならなくて、いつも行っているお店に行くと6時で閉店。
アメリカの週末はお店が早仕舞いするのは分かってたけれど、ここでかなり、とても深く、落ち込んでしまいました。というか、もともとこんなに遅くなるつもりはなかったし。

というわけで、家に戻ったらもうすっかり真っ暗で、家猫はにゃあにゃあ文句タレるし、わたしはブ~たれ女にすっかり変身してるしで、とりあえず練習してみたけれど、しっかり自爆してしまいました。


とまあ、こんなふうに、小さな町の五十路のピアノ教師は、いろんな物事や思いを腕と心の中に抱えつつ、そんなことは微塵も見せずに、
音楽の楽しさ、尊さ、美しさを体感するべく、「今日はわたしと一緒に思いっきり幸せになりましょう!」と、胸を張って、そしてできれば優雅に、皆の先頭に立たなければなりません。

いかにも優雅に、滑るように水面を移動する白鳥の足元は、実はとても激しく、休み無く水を掻いています。
明日わたしは、人間版白鳥になることができるでしょうか。


追伸

実はたった今、この記事を書いて投稿ボタンをクリックしたところ、まれに起こる「ログインのやり直し」という画面が出てきました。
慣れない頃は、この、理由も無く起こるけったいな現象のために、時間をかけまくって書いた記事が真っ白になり、泣きたくなる気持ちを堪えて、記事を書き直したことが何回もありました。
いくら愚鈍なわたしでも、何回か失敗してから、記事を必ずコピーしておくように心がけるようになりました。
今回もまた、幸いなことにコピーをしてありました。
日が日だけに、とどめとして、コピーしてなかったってことも有り得たな……と、ちょっとゾクッとしたわたしです。
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びりびりビリー!

2009年11月20日 | 音楽とわたし
チム・チム・チェリーちゃいます。びりびりビリー・キルソンです!



今夜は、クリス・ボッティバンドのメンバーとして、モントクレアにやって来てくれました。行くっきゃありまへんがな~!
って……ビリーの美人奥さん、もとかちゃんから、チケットを3席もいただいちゃって、ド厚かましい一家なのでありました。

ということで、バンドマスターのハンサム兄ちゃん、クリスはまあ正直どうでもよくて、ひたすらビリーに集中した旦那とKとわたし。
一時ドラマーを目指していたKには、いつか絶対に彼のドラムを生で聞かせたいと思てたので、それが叶ってめちゃ嬉しい旦那。




クリスははじめ、スティングのバンドでトランペットを吹いていたのやけど、そっから独立した6年前、さあどないしょうという時に、このビリーのドラムを聞いてひと目(耳?)惚れ。どんなことしてでも彼をドラマーとして迎えたいと思たのだそうです。
スティングを羨ましがらせようと、ビリーを連れてって演奏したら、地団駄踏んで悔しがったそうな。

トニー・ウィリアムスを尊敬してやまないビリー。聞いている者の血を沸かせ肉を踊らせるパワフルでスリリングなドラミング。
そうかと思うととても繊細で哀し気な、まるでメロディを奏でているような音を聞かせてくれます。

Kは、わたしの横で、最初から最後まで、背筋をぴ~んと伸ばして聞いてました。
時々、彼にしか分からん感動があったのか、ひとり控え目にパタパタ拍手してたりしました。
終わってからロビーで待って、ちっちゃなお土産を渡して、ビリーともとかちゃんの愛娘あきらちゃんと愛息エヴェンくんとも会えて、
さあ帰ろうぞ、というときになって突如、「ポスター買う!」と言い出したK。
ビリーはササッと先手を打って、ポスターを売り場から1枚抜いて、「ほい」とKに渡してくれました。
呆然と立ちすくむK。「あ、ありがとう」とモゴモゴしてるかと思たら、「あの、サインしてください」……ってオイッ!
なんとまあ、主要メンバーの皆さんにサインしてもらってにこにこ顔の、要領の良い次男丸出しのKなのでありました。

このバンド、ピアノをビリー・チャイルド(今キレにキレてるお方です)、ギターにマイク・ウィットフィールドという、蒼々たる演奏者。
彼らのソロを聞いている時のクリスはいつも、ほんま、オラァ~幸せもんだべ~っていう顔しています。

来週の火曜日に、アリゾナ州からやって来たヴォーカルとギターの人達に、ちょっとしたコネでドラムをやらないかと誘われているK。
今夜のショーの中でクリスが、「ボクは大学中退、しかも4年生の真ん中で。でも、あの時、トランペットでジャズをやりたいっていう情熱を大事にしたこと、そして大事にさせてくれた両親に感謝してる」なんてことを言うたのを、Kもしっかり聞いてるはず……。

「ドラムでなんか聞きたいことあったらいつでもおいで。ツアーで留守だらけで、チャンスは少ないけど」
なんてな嬉しいことをビリーから言われて、あらあら、Kの髪の毛、鬼太郎みたいに逆立ってまっせ~!

あのぉ、青年よ、ほらまあ世の中にはいろんな生き方があるんやけどな、とりあえず君、ちゃんと勉強して卒業ってのを第一に……あらら?
全然聞いてないし……ニコニコ手を振りながら去っていったのでありました。


またまためんどっちぃですが、動画を貼る知恵が無いので、申し訳ありませんが、これ→ http://www.youtube.com/watch?v=cdIfHeW-ixQ をコピーしてペーストして検索してみてください。
インディアン・サマーを演奏するビリーのドラムが聞けます。ぜひぜひ!

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なくなって初めて見えたもの

2009年11月20日 | ひとりごと
それは青い空。



庭続きのおうち。



所在無気なハンモック。



そして、遠く向こうを走る電車。



写真右奥の家の屋根の向こうを、一直線に、銀色の鈍い光を放ちながら、電車が走って行きました。

旦那に鍼治療をしてもらっている部屋の窓から見える、わずかに残った葉っぱが、雨上がりの爽やかな風に揺れていました。




子供の頃に読んだ『最後の一葉』という小説を思い出しました。

ワシントン・スクエアの西側にある、芸術家が集まる古びたアパートに暮らす画家のジョンジー(ジョアンナ)と同じく画家のスー。
貧しいながら暖かい生活を送っていた中、ある日ジョンシーは肺炎を患ってしまう。
スーは、医者から「ジョンジーは生きる気力を失っている。このままでは彼女が助かる可能性は十のうち一」と告げられる。
心身ともに疲れ切り、人生に半ば投げやりになっていたジョンジーは、窓の外に見える煉瓦の壁を這う、枯れかけた蔦の葉[1]を数え、「あの葉がすべて落ちたら、自分も死ぬ」とスーに言い出すようになる。

彼女たちの階下に住む老画家のベアマンは、口ではいつか傑作を描いてみせると豪語しつつも久しく絵筆を握らず、酒を飲んでは他人を嘲笑う日々を過ごしていた。ジョンジーが「葉が落ちたら死ぬ」と思い込んでいることを伝え聞いたベアマンは「馬鹿げてる」と罵った。

その夜、一晩中激しい風雨が吹き荒れ、朝には蔦の葉は最後の一枚になっていた。その次の夜にも激しい風雨が吹きつけるが、しかし翌朝になっても最後の一枚となった葉が壁にとどまっているのを見て、ジョンジーは生きる気力を取り戻す。

最後に残った葉はベアマンが嵐の中、煉瓦の壁に絵筆で描いたものだった。
ジョンジーは奇跡的に全快を果たすが、ベアマンは肺炎になり、最後の一葉を描いた二日後に亡くなる。
真相を悟ったスーは物語の締めくくりで、あの最後の一葉こそ、ベアマンがいつか描いてみせると言い続けていた傑作であったのだと評する。


いろんな解釈があるのでしょうけど、わたしはこの小説が好きでした。
秋も深まり、すっかり葉が落ちた木の枝にしがみつくようにして残る葉を見るたびに思い出します。


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金縛られるほどの後悔

2009年11月19日 | ひとりごと
また、例の、夢を見た。

なんでわたし、こんなことしてしもたんやろうと後悔して、後悔して、思いっきり体重をかけた両腕で、心をぎゅうぎゅう押しつぶしている。
心の皮が破けて、原型をとどめないほどにぺちゃんこになって、自分も同じようにぺちゃんこになって、苦しくてたまらないままに目が覚める。
ベッドに自分自身を押し付けていたのは誰なのか、身動きひとつできないくらい抑え付けていたのは何物なのか、
恐る恐る、少しずつ息を吸い込んで、風船をふくらますかのように、自分を元の形に戻す数分間、まだ身体はとてもだるくて重い。


13年暮らした農村に、あるひとりの女性がいた。
嫁になったなら自動的に婦人会会員。そこではいろいろ親切にしてもらったけれど、新米いびりも堂々と行われていた。
大阪の道頓堀近くから無理矢理押し掛けるように嫁いだわたしなど、先輩会員からすると格好の相手だったのだろう、
彼女達はあの手この手で、なんともいえない、逃げ場の無い罠を仕掛け、わたしはまんまと必ずのように引っかかった。
想像以上のタフさに、さすがのわたしもかなり落ち込んでいた時、彼女のことに気がついた。
年齢からすると中堅どころ、もちろん来たてのマヌケ嫁なんかじゃない。
なのに、なにかおかしくて、不自然で、歪な空気が彼女の周りには漂っていた。
彼女はとても大人しくて、控え目で、わたしのようにいちびりでもなければおっちょこちょいでもない、でも、とても哀しい目をした人だった。

ずっと後になって、彼女の話を聞いた。3日続きの義祖母のお葬式での、宴会のお酌にまわっている時だった。
彼女は村の真ん中辺りにある家に嫁いで来た。村に沿って走る国道の建設のためにやってきた工夫さんと恋に落ち、夫と子供を残して駆け落ちした。
そして何年か経ったある日、突然彼女は嫁ぎ先に舞い戻ってきたのだそうだ。
夫も、夫の家族も彼女のことは許さなかったが、子供がまだ育ち盛りだったので、その世話をさせるためだけに家に入ることを許した。
彼女はその家の小屋のような所で寝泊まりして、子育てと家事をし、子供が巣立った後も同じ生活を続けていた。

「自業自得やわな」
「しゃあないわな」

盃をぐいぐい飲み干しながら、その人は楽しそうにそう締めくくった。

わたしはお酌を続けながら『村八分』という言葉を心の中でつぶやいていた。

他人の家の事情など、他の者に分かるわけはない。他人の心の内など、もっと分かるわけはない。
だから、彼女がどうして元の婚家に戻ってきたのか、子供達が巣立った後も、完全に無視されながらもそこに留まっているのか、全く分からない。
でも、あの、存在を完全に無視されてしまうことの恐ろしさだけは、それがどれだけ人間を痛めつけることができるかだけは知っている。


夢の中のわたしは、決まって元夫と、同居していた両親と暮らしていて、ああ、やっぱりこうなったか、と変に納得している。
納得しながら、自分はどんなふうに村八分を受けるんやろうと恐れている。
そしてわたし達は夢らしく、いきなりどこかに旅行していたり、引っ越ししていたりする。

今回は、とあるアメリカのどこかに引っ越しして、荷物をあれこれ片付けていた。
実際の暮らしでは、元夫の両親とわたしは、直接いがみ合ったり喧嘩したりすることは一回も無かった。
彼らは、田舎で生まれ育った人らしい朴訥さと人の良さを持った、けれども、いろんなことに対する想像力に決定的に欠けていた人達だった。
ところが夢の中では、わたしはガンガンと言いたいことを言い、英語で考えたことを日本語に訳してたりしている。
そして、その間中ずっと、なんでわたしは戻ってきたのやろ、なんでやろ……と、休みなく後悔している。
理由はすっかり忘れたけれど、あることでとても腹が立ったわたしは、引っ越して間もないというのに、「もうこの家を売る!」と言い出し、元夫に、家を売りたい人が行く事務所(←これがとても架空っぽくておもしろかった)に行かせ、手続きはいとも簡単に終了した。
家に戻ってみると、早速、買いたいという家族が家を見に来ていて、わたしはその家族を見るなり、しもた!なんでこんな気に入ってた家を売ってしもたんやろ!と苦しいぐらい後悔した。その時点で、その家は今住んでいる家になっていた。
裏庭を見学しに回った家族を追いかけていくと、なぜか、庭先の芝生の上に、わたしが今現在愛用している大きなアンティークの机が置いてあった。
それを見るなり、家族の父親が、「家と一緒にこの机も欲しい」と英語で話しかけてきた。
わたしが慌てて「だめだめ!これはわたしの机です。絶対に渡せません」とやはり英語で叫んでいるのに、
その父親は全く無視して、机の上の物を両手でどんどん押しのけて芝生の上に落とし、男ふたりでも持ち運べない重さの机をぐいぐい押し始めた。
美しく整地された芝生の庭は、なだらかな丘のようになっていて、わたしは手に何かを掴んで、その父親目がけて突進して行った。
そして、泣き叫びながら、なんでこんなことになったのかと悔やみながら、その父親を持っている何かでガツンガツンと激しく叩いた。


いつも、この手の夢を見た後考える。
いったいわたしは、なにを後悔しているんやろう。
いったいわたしは、なにを恐がっているのやろう。
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The Mom Song

2009年11月18日 | ひとりごと
ブログの友、ししははちゃんから、めちゃくちゃ楽しい歌を教えてもらいました。
ほんとはやることいっぱいあるのに……つい……。
でも、悔しいことに、どないしてもその動画をここに載せることができません!わたしの力不足です!グググ……。

面倒をおかけしてしまいますが、ブックマーク欄のししははちゃんのブログに遊びに行くか、
ユーチューブのこのページ↓を開くかして、どうか本物を聞いて楽しんでくださいませ!!
http://www.youtube.com/watch?v=AGViouBPNIU


Get up now, Get up now,
Get up out of bed
Wash your face, Brush your teeth, Comb your sleepy head
Here's your clothes, And your shoes
Hear the words I said
Get up now, Get up and make your bed
Are you hot? Are you cold? Are you wearing that?
Where's your books and your lunch and your homework at?
Grab your coat and your gloves and your scarf and hat
Don't forget you got to feed the cat
Eat your breakfast
The experts tell us it's the most important meal of all
Take your vitamins so you will grow up one day to be big and tall
Please remember the orthodontist will be seeing you at three today?
Don't forget your piano lesson is this afternoon

So you must play
Don't shovel
Chew slowly
But hurry
The bus is here
Be careful
Come back here
Did you wash behind your ears?
Play outside
Don't play rough
Would you just play fair?
Be polite
Make a friend
Don't forget to share
Work it out
Wait your turn
Never take a dare
Get along
Don't make me come down there
Clean your room
Fold your clothes
Put your stuff away
Make your bed
Do it now
Do we have all day?
Were you born in a barn?
Would you like some hay
Can you even hear a word I say?
Answer the phone
Get Off the phone
Don't sit so close
Turn it down
No texting at the table
No more computer time tonight
Your iPod's my iPod if you don't listen up

Where you going and with whom and what time do you think you're coming home?
Saying thank you, please, excuse me
Makes you welcome everywhere you roam
You'll appreciate my wisdom
Someday when you're older and you're grown
Can't wait 'til you have a couple little children of your own
You'll thank me for the counsel I gave you so willingly
But right now
I thank you NOT to roll your eyes at me
Close your mouth when you chew
Would appreciate
Take a bite
Maybe two
Of the stuff you hate
Use your fork
Do not you burp
Or I'll set you straight
Eat the food I put upon your plate
Get an A, Get the door
Don't get smart with me
Get a Grip
Get in here I'll count to 3
Get a job
Get a life
Get a PhD
Get a dose of...
I don't care who started it
You're grounded until your 36
Get your story straight
And tell the truth for once for heaven's sake
And if all your friends jumped off a cliff
Would you jump too?

If I've said it once, I've said at least a thousand times before that
You're too old to act this way
It must be your father's DNA
Look at me when I am talking
Stand up straight when you walk
A place for everything
And everything must be in place
Stop crying or I'll give you something real to cry about
Oh!
Brush your teeth
Wash your face
Get your PJs on
Get in bed
Get a hug
Say a prayer with Mom
Don't forget
I love you
**KISS**
And tomorrow we will do this all again because a mom's work never ends
You don't need the reason why
Because
Because
Because
Because
I said so
I said so
I said so
I said so
I'm the Mom
The mom
The mom
The mom
The mom
Ta-da


「早く起きなさい!」
「ベッドから出なさい!」
「顔を洗いなさい!歯を磨きなさい!あなたの寝ぼけ頭の髪をとかしなさい!」
「ほら、服よ、それから靴」
「わたしの言うことを聞きなさい!」
「今すぐ起きなさい!」
「起きてベッドを整えなさい!」
「暑くない?寒くない?あなた、そんなの着ていくの?」
「あなたの教科書は?ランチ持った?宿題は?」
「コートと手袋とスカーフ、それから帽子、忘れるんじゃないわよ!」
「猫の餌やり、忘れないでよ!」
「朝ご飯を食べなさい!」
「専門家が言ってるわよ!朝ごはんは一日で一番大切な食事なんだって。だからちゃんと食べなさい!」
「将来かっこ良く背が高くなりたきゃ、ちゃんとビタミン摂らないと!」
「今日の3時は矯正歯科の予約だからね!忘れないでよ!」
「今日の午後はピアノのレッスンだってあるんだから、それも忘れないこと!」
「だから今日は弾かなきゃね(普段は全然練習しないけど)!」
「ごはんはかき込まない!」
「よく噛みなさい!」
「でも急ぐのよ、バスが待ってるわ!」
「気をつけてね!」
「家に帰ってきなさいよ!」
「ちょっとあなた、耳の後ろ、よく洗った?」
「外で遊ぶのよ!」
「乱暴なことしないこと!」
「ずるいことしてないわよね?」
「礼儀正しくしなさい!」
「友達作りなさい!」
「みんなに譲るのよ!」
「ケンカは買わないの!」
「わたしに厄介かけないで!」
「部屋を掃除しなさい!」
「服をたたみなさい!」
「あなたの物を片付けなさい!」
「ベッドを整えなさい!」
「今すぐするのよ!」
「こんなに散らかして、あなた馬小屋で生まれたの?」
「干し草いかが?」
「わたしの言ってること聞こえてるのかしら?」
「携帯に出なさい!」
「携帯を切りなさい!」
「そんなそばに置かない!」
「電源を切りなさい!」
「食卓でメールしない!」
「パソコンの時間はもうおしまい!」
「ちゃんと言うことがきけないのだったら、あなたのiPodはわたしのもんになるんだからね」
「どこ行くの?誰と行くの?何時帰ってくるの?」
「出合った人には必ず Thank you, Please, Excuse me!」
「あなたが行く先々で歓迎してもらえるように心がけなさい!」
「あなたはきっとわたしの忠告をありがたく思うはず」
「いつかね、あなたが成長して大人になった時に」
「ああ、待ちきれないわ!あなたが2,3人のチビの母親になるのを!」
「大きくなったらママの忠告に必ず感謝する日がくるんだから!」

「でも今はね!」
「あなたがわたしのこと、うんざりした目でじろっと見ないのを感謝したいもんだわね!」
「口開けて食べ物をくちゃくちゃ噛まないの!」
「ひと口でいいから食べなさい!」
「ふた口もいいんじゃない?」
「嫌い嫌いって言ってないで」
「フォークを使いなさい!」
「げっぷしない!」
「出されたものは全部食べなさい!」
「科目でAを取りなさい!」
「落ち着きなさい!」
「ここに来なさい!」
「さぁ、3つ数えるわよ!」
「就職しなさい!」
「一人前になりなさい!」
「博士号を取りなさい!」
「何かすることを見つけなさい!」
「誰かが始めてたってかまわないわよ!」
「そうでなきゃあなた、36才まで家に閉じこもってることになるわよ!」
「ちゃんとした人生を生きなさい!」
「もしあなたの友達全員が崖から飛び降りたら、あなたも飛び降りるっていうの?!」
「もしわたしがこのことをもう言ってたとしたら」
「きっとわたし、その前に少なくとも1000回は同じことを言ってるだろうけど」
「もうそんなことする年じゃないでしょう!」
「きっとパパに似たんだわ……」
「話をしてるときはママの目を見なさい!」
「身体をまっすぐにして歩きなさい!」
「一事が万事!」
「すべては正しいところになくっちゃ!」
「泣くんじゃない!なんなら、本当に泣きたくなるようなことしてあげようか?」
「ああ!」
「歯を磨きなさい!」
「顔を洗いなさい!」
「パジャマを着なさい!」
「ベッドに入りなさい!」
「抱きしめて!」
「さあ、ママと祈りましょ」
「でも、いつでも愛してるわよ(チュ!)」

「そして、また明日、わたし達母親はね、今日と全く同じことを言うのよ!母親の仕事にはね、終わりなんて無いんだから!」
「あなたにそれがなぜか知る必要なんて無いの!」
「だって、わたしがそう言ったんだもの!」
「わたしはあなたのママ」
「そう、おかあさん!」
「どぉ~だ!(だぴょ~ん!)」


息子であろうが娘であろうが、ほんで、どこの国の母親であろうが、おんなじようなこと言うてるんやな~。
 
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卒業間近

2009年11月17日 | 家族とわたし
ローマ字打ちの息子との会話です。(実際にローマ字で書いてしまうと読みにくくてしょうがないので、翻訳して書くことにしました)

「かかあ」
「なに」
「ボストンのジョブフェアの後、ボストンから来週の日曜か月曜に帰る」
「日曜は生徒の発表会があるから、疲れて死んでるかも」
「ほう。あのさ、Sも一緒に帰ってもええっけ?」
「もちろん」
「電車の駅まで迎えに来てくれる?」
「ええけど、チャイナバスにしたら片道5時間15ドルでマンハッタンまで帰れるで」
「なんですとぉ~!?」
「そしたらポートアーソリティからここまで電車乗って来れるやん」
「検討いたす」

中略

「また昨日丸々寝てない」
「なんで」
「プロジェクトやってたら寝れんかった。一分も」
「そんなことしてたら身体いてまうで」
「しゃーない。卒業かかってる」
「そらそやけど」
「卒業式、おじいちゃんもおばあちゃんも、ほんでおばちゃんまで来てくれるみたいやし、今更できませんでした、なんてシャレにならん」
「まあ、そりゃそうやけど」
「けど、それにしても眠過ぎ!拷問っぽい」

ここでハッと気がついたわたし。

「あんた、今なにやってんの」
「授業中」
「こんなことしててええん?」
「こんなことでもしてんと寝てまう」

親を眠気覚ましに使う息子……それにウホウホ喜んで付き合ってしまう母親……どっちもどっちです。

「ほな、眠気覚ましに一発」
「なんじゃ?」
「ピアノ買うた」
「なぬぅぅぅぅぅぅぅ?!グランド?」
「うん」
「かかあ、いつからカネモ(金持ち)になったん?」
「こんなご時世に家買うたお礼に言うて、政府からもろた8000ドルをちょいと使わせてもらう」
「そんなん、グランドやったら買えんやろ」
「いや、それが、かくかくしかじか……」とカルロス氏のことなどを説明しました。
「けど、その会社大丈夫なんか?」
「わからん」
「ちょっと調べてみる」
と言って1分もしないうちに、ブランカが最初に広告に出したサイトのページを見つけて送ってきてくれました。授業中にええんかいな?
http://newyork.kijiji.com/c-For-sale-Musical-instruments-SELLING-PIANO-LAPIANA-EXCELLENT-CONDITION-8000-W0QQAdIdZ151572925
そこには、もともと新品で買うと$40,000のピアノですが、$8000で売りたいと書かれてありました。
消えた会社のことなので、その数字が本当なのかどうかは全く分かりません。むしろ、本当ではない確率の方が高いでしょう。
でも、もうそんなことはいいのだ、とTに伝えました。
いい眠気覚ましになったのか、ちょっとまた元気になったT。
今週末にボストンである日本企業のジョブフェアに向けて、いろいろと準備している話をしてくれました。
ルームメイトのS君は、ずっと獣医さんになりたくて頑張っていたけれど、最近ついに断念、今回のボストンに懸けているそうです。

「Sも1週間ほど俺と一緒に泊まってもええ?」
「ええ子にしてるんやったら」
「言うとく。嘘つかんようにってのも言うとく」
「それと、一日一曲ギター演奏ノルマな」
「おっしゃ、それも言うとく」

「あかん、強烈な睡魔が襲てきた!」
「おい、こら、頑張れ!」
「けど俺、起きてるふりするのうまい」
「まぶたの上に目ぇ書いとき!」
「それ、ええかも。教授、おもろい思て許してくれるかも」
「おっしゃ、目の玉書いた紙くり抜いて、それに両面テープ貼ってくっつけろ」
「そら目立ち過ぎ!」
「どうせやるならとことんやれ!」

と……盛り上がったところで授業は終わったのでした。


どうしても日本でまず働きたい。その思いは変わらないようです。
休憩を入れて10時間近くかかったとしても、Tはまだ車で行ける所に居ます。
でも、大学を卒業したら、今度は飛行機で16時間はかかる所に行ってしまいます。
子供が小学校、中学校、高校を卒業するたびに、わたしも心の中で小さな卒業を重ねてきたけれど、
どうやら今回の卒業は本格的で、それなりの覚悟と気持ちの整理が必要になりそうです。

こんなことができるのも、あともう1ヶ月とちょっと……なんて、残り少ない落ち葉が揺れるの見ながら寂しくなりました。

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米国ボクの電車はどこ?事情

2009年11月16日 | 米国○○事情
練習を終えて、マンハッタン行きの9時半の電車に乗るタイソンを送って家に戻り、旦那の機嫌を取っていた時、旦那が「今日はなんか変な感じがする日やった」と言い出しました。
確かに、運転している時、妙に遅い車や、車自体が酔っぱらっているような、なんとも奇妙な走り方をする車が多かったし、
旦那の患者さんも、ドタキャンをしたり、遅れてきたり、どこかハズレているような人が多かったそうです。
まあ、たまにこんな日ってあるよな、とか言って、無理矢理納得しながら、パソコンの所に行くと、タイソンからメールが送られてきました。

そろそろ着く頃だったので、ああ、もう着いたのかとメールを開けてみると、

「Where is this train?!?」の文字が……え?

なんのことかはじめは分からず、そのうち、もしかしてタイソン、まだ電車に乗ってないってこと?と大騒ぎに。
慌てて彼に電話すると、「ずっとホームで待っているのだけど、電車が全然来ない」と言うのです。声が震えています。身体が冷えたんでしょう。
なんでやねん!と呆れながら、そして、なんでもっと早くに電話してけえへんねん!とタイソンにも怒りながら、鉄道会社のホームページを開くと、
『別の会社の列車がトンネル内で立ち往生していて、15分から45分の遅れが生じています』のお知らせが……が~ん

こらあかん!駅に行こ!

多分あともうちょっと待ってたら来るやろから、と遠慮するタイソンを無視して、ホームに駆けつけ、5分ほど一緒に待ちましたがダメ。
ホームには、訳の分からない説明をくり返すコンピューターの音声が流れていましたが、それだけ……他はなんの対処も為されていません。
哀れタイソン、寒空の下、寝不足続きの夜に、40分も待たされていました。
こんな時間やったらマンハッタンの町中に入るのに30分もかからへんからと、彼を車に押し込んで送ることにしました。

助手席に座った旦那がキッチンの話の続きで、今日はやっぱり変な日だと言い出し、マーキュリーが悪さしてんのかな?と口走った時、
どっかぁ~ん!天文学を専攻したタイソン、いきなり理解不能(わたしだけですが……)の言葉でガンガン話し始めました。
やっぱこの若者、人離れしとる……

町に入った頃にはとうとう居眠りをし始めたタイソン。ごめんよぉ~、わたしのせいじゃないけどさ、アメリカの電車が悪いんやけどさ、などとブツブツ思いながら彼のアパートまで送り届けました。

ついさっき、戻ってきた息子Kが言うことにゃ、今夜は『獅子座流星群』が見える夜なんだそうな。
500年に一度とかいう大規模なものらしく、ヤツはこれから寝ないで見るつもりでいるそうな……テスト前はかっきり寝るくせに。

もしかして今日の変なことイロイロってのは、マーキュリーじゃなくて獅子座さんの影響だったのかもしれません。

って、そこに落ち着いたらいけません。アメリカの電車会社さん、流星群がやって来ようが来まいが、もうちょっとしっかり走ってくださいな
トンネルで止まった模様。で終わってしまわんと、だから○○してくださいとか、復旧までにどれぐらいかかるとか、なんかもうちょっとまともな説明をして、それなりの対処をしてくださいな
日本のように、なんて宇宙規模的希望は持ってませんけど、せめて、乗れんと困ってる人のこと、もうちょっと考えてくださいな
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タイソンがやってきた!

2009年11月16日 | 音楽とわたし
待ちに待った、普通に音を出してもいいリハーサルです!
初回はピアニッシモ限定?!やったようなやらなかったような、とてもモヤモヤとしたままだったので、この日が待ち遠しかったです。

週末はボストンに行っていて、今日からまた仕事というタイソン。
疲れているだろうし、ちゃんとまともな食事をしていないだろうし、もう完全に母のノリで夕飯を作ってあげることにしました。

彼が2人の仲間と一緒にファイナンシャルの事業を営んでいるビルからペンステーションは近いし、そこからものの30分で、うちから歩いて2分のブルームフィールド駅に着くってことで、彼がこちらに来てくれることになりました。

仕事を終えてから近所のチャイニーズマーケットまで野菜を買いに行き、あたふたと料理をしている最中にやって来たタイソン、
「あとちょっとでできるから、それまで好きなことしてて~」って言うと、いきなりピアノの音が聞こえてきました。
ショパンのスケルツオ、ラフマニノフのピアノコンチェルト第二番、ブラームス、シューマン……あのなぁ~……なんでそんなん弾けんねん?!
包丁を握る指に、思わず力が入ってしまいました……トホホ……ピアノ弾きはわたしやねんけど……。
お鍋がちゃんと煮えるまで、一練習ってことで、初のまともな強弱で弾く合わせが始まりました。

あぁ~気持ちいいったらありません
なんという心地良い表現、力強いフォルテ、胸がざわめくようなピアニッシモ、切ないカンタービレ……
この時をわたしはずっとずっと待っていたんだ!と心の中で叫びながら、至福の時を過ごさせてもらいました。
このままずう~っと弾き続けていたかったけど、お腹も減ってきたし、ちょっと中断して夕飯タイム。

食べながら、タイソンの家族や仕事のことを旦那がいろいろと質問をして、今までチンプンカンプンだったことが少しだけ明らかになりました。
アメリカはカリフォルニアで生まれ育ったタイソン。ご両親は台湾人。おとうさんは神経内科、おかあさんは宝石商、4才下の弟はチェロ弾きさん。
彼はヴァイオリンもピアノもあんなによく弾けるのに、大学で専攻したのは天文学。そして今はファイナンシャルの仕事をやってます。
東海岸の気候とマンハッタンの喧噪にかなり嫌気がさしてきてるみたいで、心はもうカリフォルニアに向かっているそうな……。
もっと早くに、一緒に演奏しよって言えばよかった……
でも、彼はACMAの超人気者で、ピアノ弾きなら誰でも、いっぺんでいいから伴奏させて欲しいと思うヴァイオリン弾きなので、なかなか勇気が出なかったのです。これでけっこう引っ込み思案なのであります、わたし……ほほほ
なので、やりたい曲をガンガン送って、無理矢理お願いしちゃえ~!と、おばちゃんは厚かましく計画を練っているのです……ほほほ

食後にもう一度、全体の構成の持って行き方やバランス、息の合わせどころを練って、そのあとは初見で適当にいろいろ遊びました。
ジェーンとの時も思ったけれど、音楽で気が合うっていうことは、こんなにも気持ちが良くて程よい興奮が得られるもんなんですね。

もうニコニコしまくりのわたしを見て、旦那はちょいと焼きもちをやいているようでした
ごめんよぉ~でもさぁ、こればっかりはどうしようもない。気にせんといて、としか言えない、練習の時だけの気持ちなんやもん。

次の合わせは感謝祭の後までおあずけです。今日ちゃんと弾けなかったところ、もっともっと練習せにゃ~

コメント (4)
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LaPiana

2009年11月15日 | 音楽とわたし
イタリアのとある場所で、LaPianaという名のピアノ会社が1985年に造った、世界にたった10台しかないピアノ。
どういう事情があったのかは分かりませんが、この会社は10台のピアノを造った後消えてしまったのだそうです。
鍵盤のあちこちにひびが入っているし(弾いていると全く気にならない程度)、本体の端っこにも傷がついてたりするけれど、
タイソンが言っていた通り音色の幅がとても広くて、特に低音域の響きが重厚で美しいピアノでした。

ショパンを少し弾きました。

息子カルロス氏を二ヶ月前に失い、ピアノのすぐそばのソファにポツンと座っておられたおかあさんが、わたしの方に向き、拍手をしてくださいました。
「息子が帰ってきてくれたみたいだ」
スペイン語しか話せない彼女の言葉を、孫娘のブランカが通訳してくれました。

ピアノは造られて17年目が最盛期で、それ以降は降下の一途をたどるのだそうで、それから考えるととっくに最盛期は過ぎています。
高音部の響きは尋常でないほどスモーキーで(多分アパートメント用に抑えられてあると思いますが)、調律で変えられるのかどうか不明です。
内部のピンやボードには埃がたまり、24年間、ピアニストの練習に耐えた様子がありありと見えます。
でも、なぜだか温かく、静かに、わたしのことを抱きしめてくれているような気がしてなりませんでした。

弾き終わって立ち上がり、もう一度ピアノをぐるりと見て、旦那と顔を見合わせました。
気に入ったという意思表示をし過ぎないように。
行きの車の中で、旦那から釘を刺されていたので、わたしは極力気をつけていました。
7フィートのグランドピアノが、中古とはいえ、3500ドルはとても買い得な価格ですが、旦那はできたらもう少し交渉しようと思っていました。
「どう?」と聞かれて「気には入ったけど……」と答えると、ブランカの方に振り向き、「買おうと思いますがいくらですか?」と突然切り出しました。
ブランカは、「はじめ5000ドルで売りに出したのだけど、それではうまくいかなくて4000ドルまで下げました」と言います。
「え?我々は3500ドルだと聞いてきたんだけど」と旦那。
「タイソンからそう聞いたんですが」とわたし。
「その後に数人の方がこのピアノを見に来てくれて……」とブランカ。
「タイソンがここに来てくれた2週間前の時点では、それぐらいでもいいと思っていたんだけど……。でも、あなたのショパンを聞いて、わたしはぜひ、あなたのような人に叔父のピアノを受け継いでもらいたいと強く思っています。ただ、3500ドルはちょっと……」

黙ってしまったわたし達。

「他にもオファーが数件あって、その中のひとりが3800ドル出してもいいと言ってくれているので……」と、とても心苦しそうに切り出したブランカ。

再び黙ったまま互いに見つめ合うわたし達。

「じゃ、3900ドル出します。それでどうですか?」
旦那がいきなりそう言い出したのを聞いて、え?え?え?本気で言うてんの?とオロオロするわたし。
「う~ん、ちょっと祖母に尋ねてみます。このお金は祖母が祖国ペルーに戻って生きるために必要なものなので」

5階のアパートの窓からクレーンでピアノを搬出し、地上に降ろすだけで800ドルかかります。そこからニュージャージーまで運搬するのにあと100ドル。
結局5000ドルもの出費になってしまうこのピアノ。わたしは嬉しいような申し訳ないような、複雑な思いで心の中がいっぱいになっていました。

お別れの挨拶をしようとおかあさんの所に行き、両手を差し出すと、彼女は涙ぐみながら、わたしをぎゅうっと長いこと抱きしめてくれました。

「息子のピアノ、どうぞお願いですから大切にしてくださいね」

スペイン語でそうつぶやいたおかあさんの哀しみが、彼女の体温に溶けてわたしの心の中に伝わってきました。

「そうだ、あなたに息子が使っていたピアノの本を全部あげましょう。それからCDも。いくら懐かしい物でも、わたしが持っていても仕方が無い物ばかりだから」と、真顔でうんうんとうなづきながら言うおかあさん。

カルロスさん、あなたが愛した、あなたの思いがしみ込んだピアノ、わたしが続けて使わせてもらうことになりました。
大切に、感謝の気持ちと愛情を込めて弾かせていただきます。ありがとう!


故カルロス氏のアパートメントがあるハウストンストリートに向かう途中、落ち着かない気分を持て余して撮ったリンカーントンネル直前のスロープの上から。パナソニックとトヨタの巨大な看板が並んでいます。



いよいよ彼のアパートメントが近づいてきた、ウェストサイドハイウェイから見えた、美しい夕焼け。

コメント (18)
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スピリット・オブ・ウクライナ!

2009年11月14日 | 友達とわたし
ウクライナ国立民族舞踊団 "PAVLO VIRSKY"を観に行ってきました。

"The Spirit of Ukraine"



世界最高峰!華麗なる民族舞踊。
海外60カ国以上で称賛を浴び、観客を圧倒した“スピリット・オブ・ウクライナ”
いま、世界でもっともダイナミックかつ感動的な民族舞踊団総勢60名。
現在、「リバーダンス」等、民族舞踊をショーアップさせたダンスショーが世界的に流行している中、
舞踊団の中でも特に、世界最高峰の実力と称される、ウクライナ国立民族舞踊団"PAVLO VIRSKY"。


「ヘーイ、まうみ、ジェーンだけど、今夜暇?」
超元気印のジェーンからいきなりのお誘い電話がかかってきました。
やることはいっぱいあるのだけれど、彼女に暇?と聞かれるとついつい……。
彼女が今の音楽プロモーション事務所に転職する直前に手がけた仕事の関係で、この舞踊団のチケットが2枚余分に手に入ったそうで……、
その舞踊団のことをなんにも知らない旦那とわたしでしたが、ホイホイ行く行く!と返事をしました。
場所は『State Theater』、ニュージャージー州立大学ラトガースのある町の劇場です。

劇場に先に着いた旦那とわたし。次々にやってくる観客は、ほぼウクライナの方々と見受けられ、英語はともかく、ちょっとでも日本語で話そうもんなら、ギョッとした目でジロジロ見られる始末……すんません、変わり種で……久しぶりの感覚でした。
客席はもうウクライナ一色。何百人もの望郷の念が会場いっぱいに漂っていて、温かな、それでいてちょっと切ない気持ちになりました。

そんなノスタルジーを一蹴してしまうような、なんとも高度なダイナミックな、人間離れしたダンスを繰り広げる若者達。
コサックダンスはもちろんのこと、クラシックバレーのしっとり感あり、コミカルなドラマあり、こっちの方が目が回ってしまう回転技ありの、どの舞台も大満足の、すばらしい舞踊でした。

休憩時間に舞台裏を訪れたジェーンから「今日はあの60人の団員のうち、16人がインフルエンザにかかってんだって。それであんなの踊ってんだからもう、信じられない。おまけに彼らは、明日も2回の公演があるんだよ?!」と聞き、わたしもびっくり!

美しい民族衣装に包まれて舞台に現れる若い彼らは皆、とても誇らし気でエネルギッシュ。
踊っているからあんなに顔が真っ赤なんだと思っていた彼らの中の、およそ4分の1の人達がインフルエンザにかかっている……。
なんであんなことができるんだろう……。
彼らの思いの強さと、日頃の鍛錬の成果が眩しい、感動的な舞台でした。
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