ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

わたしのピアノ

2009年11月14日 | 音楽とわたし
ちょっと罪滅ぼしのために。

わたしはピアノを8才から始めました。それ以前にも、ヤマハの音楽教室に通ったりして、教室ではオルガンを弾いたりしていましたが、
本格的にピアノ一本に絞ったのは、『相愛学園子供音楽教室』の試験に合格して、毎週土曜日のお昼から夕方までのレッスンに通うことになってからです。

*久しぶりに音楽教室のことを書いて懐かしくなったので、ちょっと調べてみました。
1955年、山田耕筰が相愛女子短期大学音楽科長に就任したが、山田は、東京において桐朋学園の子供のための音楽教室が成果を上げていることに刺激を受け、井口基成、伊藤武雄、斎藤秀雄、吉田秀和、井口愛子、池内友次郎、柴田睦陸、鷲見三郎、團伊玖磨、山田真梨子など教授陣を迎えた。
そして、1960年10月、大阪における音楽の早期教育を行う教室の先駆けとして「相愛学園子供の音楽教室」が設置された。
その後、相愛学園の学校法人化とともに名称を「相愛音楽教室」と改めた。

山田耕筰さんが始められただなんて、今の今まで知りませんでした!
その頃の両親が、そのような素晴らしい場所で音楽を学ばせてもらえるための経済力を持ってくれていたことに感謝せずにはいられません。
今のわたしの、心強い底力になってくれているので。
途中で断念せざるを得なくなってしまったけれど、それまでの7年間に受けたスパルタな英才教育と、そこに居たからこそ出会えた素晴らしい先生方からの教えは、今だにわたしの精神の中で息づいています。

アップライトピアノからグランドピアノへ。
初めて買ってもらったグランドピアノは、わたしの人生さながら波瀾万丈の生を受け、
モダンなタイル敷きの洋間から床板が腐ったボロボロの三畳の畳部屋に押し込まれ、
そのうち入れ墨もにぎやかな男衆に乱暴に担がれて、どこかの倉庫にゴミのように捨て去られ、
ところが、なんとも心優しい若者が必死の思いで探し当ててくれたのをきっかけに、またまた普通のお家の部屋に戻されて、
そこで一生を終えるかと思いきや、元の持ち主のわたしがやっぱり不安定な暮らしをしていたので、そこからまた2度、引っ越しを強いられました。
ある時は、真下に下水道が流れていて、あまりの湿気に、弦からポタポタとしずくを垂らしていたことも……。
わたしとの最後は滋賀県の大津市の旧道沿いの町屋。
アメリカに引っ越す時、それはそれは思い悩みました。ほんとにいろいろあって、何回も引きはがされたけど、結局はまた一緒に暮らしていたピアノ。
なにも話さなくても、わたしの気持ちをいつも受け取ってくれていた同士。
でも、やっぱり先立つものが無くて、とてもじゃないけれど輸送を決心できないでいたわたしに、
「とてもがんばっている子がいるんだけれど、経済的に大変なお家で、グランドピアノが必要なのにどうしても持てないの。まうみちゃんのそのピアノ、彼女に受け継がせてもらえないかしら」というお話が、ピアノの師匠から舞い込んできました。
弾きたくても弾けなかった時がいっぱいあったわたしには、その子の気持ちがじんじんと分かるような気がして、「もちろん」と答えました。
今度こそ、ほんまにバイバイやね。
その晩は、ピアノが居た畳の上に座って、気の済むまで泣きました。


そしてこちらに移り、まだ船便の荷物が届いてもいないのに、ピアノを探し始めました。
でも、考えが甘かった!とすぐに後悔しました。
日本製のピアノがとんでもなく高い!中古でさえも手が出ません。大学の模様替えセールに行っても然り、怪しいピアノセールに行っても然り。
しまったなあ……こんなことなら、借金してでもあの子を連れてくるべきやった……なんて後悔しても後の祭りです。
あちこち回り、試し弾きして、値段の割にはなかなかイケるかもと思うピアノを見つけました。SAMICKという、韓国製のピアノです。
中古ではなく新品のベビーグランドなのに8000ドル?!1万ドル以上の値段ばかりにうんざりしていたので、とても嬉しかったわたし。
旦那父が、引っ越しのお祝いとして半分出してあげる、と言ってきてくれたのもあって、買うことに決めました。
そして……運送会社の人達に運ばれてきたサミック。うちに来てくれたお礼に磨こうとしたら……蓋の部分にものすごく大きな傷を発見!
それはもう傷というより、塗装がぱっくり剥がれていて、中の木材が3センチ四方に渡ってむき出しになっています。
慌てて契約した会社に連絡したら……通じない?!……連絡先にその会社が無い?!……とうとう通じたら、今度は知らんぷり?!
地獄のような、拉致の開かない、のらりくらりの交渉(にもならない)を続け、もう精魂尽き果てたわたし……あきらめました。
ピアノ自体は、う~ん、調律がすぐに必要になるのが困るのですが、弾いていて不快になることもなく、もちろん足りないことはいっぱいあるけれど、新品であの値段なら(多分この傷を隠していたからでしょうけれど)我慢できないこともない、という感じ。
で、いつか本当に自分が気持ち良く弾けるパートナーに出会えるまでは、この子ともそれなりに、できたら気持ちよくやって行きたいと思い、
調律師アルバートの勧めもあって、つい最近、こんな装置をつけてもらいました。

自動の、ピアノ除湿乾燥器です。



一番左側が電源、真ん中が水分、右側がピアノパッドの状態を示します。お水が切れると黄色のランプが、パッドが乾き過ぎると赤いランプが点滅します。

これが、ピアノの胴体裏側に設置されたタンクにお水を補給する容器。右側のちっちゃいのは、そのパイプに汚れが残らないようにするための薬品。



そしてこれが胴体の裏側。なんだかおっきな手術をした直後の患者さんみたいで変な感じです。



明日、日曜日なんですが、アルバートに来てもらって調律をしてもらいます。
この装置と彼の腕で、すっきりと音を整えてもらい、月曜日の夜に合わせにやって来るタイソンと、気持ちよく演奏ができたらいいなと思います。

どうして罪滅ぼしかというと……ごめんね……明日の日曜日、カルロス氏のピアノを弾きに行かせてもらえることになったから。
この9年間、あなたがいなかったら今のわたしもいないのだから。それは本当に心から感謝しているよ。
それに、もしかして、弾いてみたら、アレ?って思うかもしれないしね。ピアノだけはほんと、その人その人の好みがあるから。

なんて、とっても揺れ動いている今日この頃……。

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カルロス・コレア氏のピアノ

2009年11月13日 | 音楽とわたし



来月の演奏ミーティングで一緒に演奏することになっているタイソンと、まだ曲決めのことでごちゃごちゃ話し合っていた時、
彼が突然、「あのさ、これからアルベルトと一緒にちょっくらピアノ見に行ってくるんだ~」と言い出しました。

「ペルー人のコンサートピアニストが最近亡くなって、一緒に住んでた姪がいるんだけど、マンハッタンのアパートは維持費が大変で引っ越すことになってね、けれども持ち主のいなくなったピアノまで移動することはできないからってんで、売りに出されたんだよ」

「それはそれは大切に使われてたピアノでさ、ボク、こないだ試し弾きしてきたんだけど、こっちのどんな要求にも即座に応えてくれる、歌えるピアノだったよ。ありゃいいよ。ニューヨークのアパートなんかに住んでなかったら絶対ボクが買ってた!」

「鍵盤はね、深過ぎず浅過ぎず、試しにスカルラッティのニ短調のソナタと、ベートーヴェンのピアノコンチェルト4番を弾いてみたんだけどね(ヴァイオリン弾きがそんなん弾けんといてよぉ~)、スカルラッティのあのしつっこい連打もばっちり、ベートーヴェンの重厚な和音の響きもばっちり、いいよ~!」

「サイズは7フィート。舞台用の練習にもちゃんと通用すると思うよ」

「あ~ボクも、こうなったらニュージャージーに引っ越して、このピアノ買うこと真剣に考えよっかな~。だってさあ、あんないいコンディションで3500ドルだよ?!今時アップライトの中古でもそんなんじゃ買えないっつうの……ブツブツブツブツ……」

タァ~イソォ~ンッ!!それ以上もう言うなぁ~!!
わたしの頭の中はそのピアノのことでパンパンにふくれあがってしまいました。

タイソンが携帯で撮って送ってくれたピアノの写真です。



LaPianaというのがこのピアノを作った会社なんだそうです。
聞いたことの無い名前だったので、ネットで調べてみましたが、それでも出てきません。
カルロス氏が手放したくなかったほどの逸品だったからか、それとも他の事情があったのか、
とにかくこうなったら、自分自身でアパートに出向き、弾かせてもらうしかない!と思えてきました。

ご縁があったらいいなあ。

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Kの事故

2009年11月12日 | 家族とわたし
今日はそりゃ、10人もレッスンしてめちゃくちゃ忙しかったけど、それに、バイオリン弾きのタイソンからお得な中古のグランドピアノ情報が突然入ってきて、朝からメール合戦したりもしてたけど、それ以外は平安な、別にこれということもない日で、ブログはお休みかな?とか思てた。そやのに……、

「事故った」とK。

こういうこと言うてくる電話が1番かなんし1番恐い。

大学の帰りに寄ったモールの駐車場付近で、横から当てられたらしい。
鍼師の旦那はしきりに身体の様子を聞いてる。
首はどうや、どこか痺れてるようなとこはないか、痛みを感じるとこはないか。
Kはちゃんと答えられてるみたいやけど、やっぱりショックからか、時々変なことを言うてるみたい。

「保険のカード、昨日で期限切れてるのしか無いらしい。今警察来るの待ってるねんけど、罰金払えって言われへんか心配してる」
電話を一旦切った旦那から、Kが言うたことを伝えてもらう。
「そんなはずないわ。あんたがちゃんと入れたって言うたの聞いたもん、わたし」
「え、ボク、そんなこと覚えてない」
「なに言うてんの!保険もレジストレーションも手続きしたんはこのわたしで、3台分ちゃんとセットしてわたしの机の上に置いてあって、そこからスバルの分だけ引き抜いて持ってったやん!バッチリ覚えてるねんから」
「いや、そんなことした覚えない」
「無かってもどうでもええわ。とにかくスバルは大丈夫、ちゃんとケースの中に入ってるはず。わたしが保証する!」

そう。それにはものすごい自信がある。だって、Tが乗ってる日産の分は間に合うようにヴァージニアに送った。
そしてもうひとつ、アウディのだけは、いっつも入れなあかんって思いながら、ついつい忘れてて、今だにわたしの机の上に残ってる。
なので、事故ったり検問があったりしたらヤバいのはアウディで、スバルでも日産でもないのだ!どぉ~だ、参ったか
旦那はまだ疑いながらもKに「ケースの中をもういっぺんちゃんと調べて。古いのと別に新しいのが入ってるはずやから」とメッセージを入れた。

今日は1日、わたしは車に乗ってない。というか、外に一歩も出ていない。
Kが大学に行くのに乗るのは大抵スバル。そやし、もう1台のアウディを、旦那とわたしとで予定をうまく調整して使ってる。

息子が当てられて、おまけに保険カード不携帯っていう違反を取られたらバカらしいってんで、ふたりでモールまで駆けつけるつもりでいたけど、本人は運転して帰れるって言うてるし、カードもあるはずやし、とりあえず様子見い見い家で待機しよかということになった。

さて、気持ちを落ち着かせようと薬缶をガスコンロに乗っけたその時、
「あっ!」
もぉ~……今度はなんやねん?
「Kが乗ってるのはアウディやった!」
薬缶を奴に向かって放り投げてしまうとこやった。あんた、今日、自分がどの車運転してたかも忘れてたん……今まで……

ということで、めっちゃヤバいやんソレっちゅうことが分かり、旦那は慌ててモールに向かってった。
わたしはそれを見送って、これを書いてるというわけです。

たった今旦那から電話がかかってきて、すべては無事に終了。今、Kと一緒に大型スポーツ店に寄って、ベンチプレス買うてるって……
男ってほんま……ど~ゆ~生き物なん……


追伸。

事故は、モールを囲む幹線道路を走っていたKの車に、駐車場から出ようとした女の子の車がぶつかってきたそうです。
横からまともにぶつかられたKの車は、そのはずみで別の車線に飛ばされ、縁石に乗り上げました。
かなりの衝撃を受け、車の外観はだいぶ変わってしもたけど、運転には支障が無い様子。
警察の現場検証を受け、相手の過失100%という結果が出ました。日本では絶対に出てこない過失の割合だと思います。
女の子は必死で、Kにも責任を負わせようと話をしたそうやけど、状況が状況だけに、警察官さんが相手にしてくれなかったそうな。
事故に遭ったことは大変なことでしたが、Kにも相手の女の子にも怪我が無かったのは不幸中の幸いでした。
また、そこに居合わせた人達に被害が及ばなかったことにも感謝です。
さあて、明日からまた、車の手配やら手続きやら、いろいろ面倒なことになりそうですが、無事を感謝して片付けていこうと思います。
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指輪のはなし

2009年11月11日 | ひとりごと
先日、エミリーの結婚式に行った時、めずらしく指輪をはめてった。
若い頃は、周りに比べると自分の手だけがやけに寂しそうで、意地になって指輪をいっぱいつけてた時もあったけど、
ピアノを弾くたびに外さなあかんかったし、そしたら外したまますっかり忘れて置きっ放し、ほんで無くしたりの繰り返し。
そんなんでアホらしなってだんだんつけんようになり、そのうち全く飾り無しの手にも慣れ、つけるのは肌荒れ防止のクリームぐらい。

まあ、持ってる指輪というても、本物っちゅうたら、高校生の時に伯母ちゃんからもろた真珠の指輪と、亡父の6番目の奥さんからもろたオレンジ色の宝石(名前も知らん)がついた指輪と、前の旦那からもろたダイヤモンドの指輪ぐらい。他はみぃんなオモチャに毛が生えたのばっか。

そんなんで、ここぞっていう時につけるのは、結局前の旦那からもろた指輪になって、それが結構気が引けるっちゅうか複雑な気分。
けど、ほんまにそれぐらいしか無いし、この年になってオモチャ丸出しの指輪もなあ……と思て、今回も結局はそれを出してはめてった。

今の旦那が初めて買うてくれたのは、胡麻つぶみたいなちっちゃい真珠がチョンとついた、なかなか面白い指輪やってんけど、
親に連れてってもろた温泉につけたまま浸かってしもて、お湯からええ気持ちで上がった頃にゃ~変色しまくってパー!
それから以降、指輪の話はすっかり消えてたけど、生活に『楽』の字がうっすら見えてきた3年前のクリスマスに、「1万円ぐらいのやったら買うたる」ってんで、いそいそとデパートに行って、安売りコーナーで買うてもろたんが1個。

前の旦那がくれた指輪は、太い金のかまぼこ状の台に窪みがあって、そこに長方形のでっかいダイヤモンドがはまってる。
今の旦那がくれた指輪は、ほっそい金の輪っかに、虫眼鏡で見なわからんぐらいのダイヤモンド(多分)がポチポチついてる。
そのふたつを並べて、いったいどっちをどの手のどの指につけたらええもんか、わたしはしばらく悩む。
今年のはじめに体重をちょいと減らしたら、やっぱり指までちょっと細なってて、前の旦那のは薬指に、今の旦那のは中指にぴったり。
そやからって、前の旦那のを左手の薬指にはめて、今の旦那のを右手の中指にはめたら、なんかちゃうやんって気になる。
迷って悩んで、けど、しょうがないから、左手の中指に今の旦那のを、右手の薬指に前の旦那のをつけた。

式が終わり、披露宴が開かれる会場の駐車場につく直前に、手がかさついてたからクリームをつけた。
「あ、おかん、またあのハンドクリームつけたな~!くっさいやん」とKが文句を言い、旦那も「ほんまや、くさいくさい」と同調する。
うるさいなあ、と聞き流しながら無視して手をすりすり、クリームが浸透していくのが気持ちいい。
駐車場の落ち葉があまりにきれいやったので、それを写真に撮ろうと、急いでカメラを持って車から降りた。
「あ、今、なんか金属っぽいのが落ちた!」とK。
「なにそれ?なんも落ちてへんで」とわたし。
「いや、確かになんか落ちた。オレ見たもん」とK。
わけ分からんこと言うやっちゃな、と思いながら、いそいそと写真を撮ってたら、
「ほれ、これ、やっぱり落ちてたで」と、Kが手のひらをぐいっとわたしの方に差し出した。
あっ!指輪?
しもた!そやった!クリーム塗る時外して、ほんで、膝の上に乗せたんやった……。

Kが見つけてくれたのは今の旦那の方。前の旦那のはどこ?!
慌てふためいてKに、どこで落ちてたか聞くわたしを見て、Kも旦那もびっくり。
Kが指差した所の周りの落ち葉を手で一枚一枚ひっくり返して探すわたしに、「どないしたん?」と聞いてくる。
「あんな、もう一個指輪落ちてるはずやねん。膝に一緒に乗せてたから」
「いや、オレが見たのは一個だけやった。それに、落ちた音も聞こえんかったし」
「ほな、車の中とちゃうか?」
落ち葉を払いのけて探しても、車の中を調べてみても、やっぱり見つからへん。
「どんな指輪やねん?」
「ええと、丸い太めの金で、長方形のでっかいダイヤモンドがはまってる」
「ええぇ~!ダイヤモンド?なんやそれ?」
「あんたのおとうさんからもろたやつ」
「そんなもん無くすなよぉ~」と、いきなり必死になって探し出すK。
おっきなダイヤモンドやからかなあ、それとも実の父親からのやからかなあと、他人事みたいな気分でその姿を見てるわたし。
しばらく3人で探したけど、車を他の場所に移動させて、葉っぱをのけて探したけど、とうとう見つからんかった。
コロコロ転がろうにも、こんだけ葉っぱが落ちとったら転がらんやろに……。

今の旦那の指輪だけが見つかって、前の旦那のがどないしても見つからんかった。きっとこれには意味があるような気がした。
もうとうの昔に切れてたはずの、縒りから外れた細い細い糸の繊維が、いつも服のどこかにくっついてた。
それを見るたんびに、懐かしむというより、そんなことがあったのかどうかも不確かな、すごく昔のことをぼんやりと思ってた。

無くした無くした!とうとう無くした!

きっと落ち葉の神さんが、さっと手ぇ出して持ってかはったんや。

まだまだ探していたそうなKに、「ありがとう、もう充分や」と言って、披露宴の会場に歩いてった。
若いふたりの新しい門出を祝うわたしにも、またひと味違う門出があった日。
 
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乳ガン検診の結果

2009年11月10日 | ひとりごと
One of our radiologists has interpreted your mammogram, and we are pleased to inform you that there are no findings breast cancer.
でした(←なぜだかこのお方が一番喜んでいました)!

自分でよく触診しているので大丈夫だろうと思っていましたが、こうやってはっきりと、なにも見つからなかった、と知らされるとホッとします。

次の日に熱までもったおっぱいも、変則生理が始まってからはかなり落ち着き、今は全く痛みはありません。
旦那は、次回もまた、ハロウィーンイヴの日ってことで、覚え易くてええやんと、まったく、人の痛みも知らんと明るく言うけれど、
いっぺんあの痛みをなんとかして経験させてやれんもんかと、性格の悪いわたしは思いを馳せるのであります。
う~ん、おチ○チ○を板で挟むってのはどうかな?
ふとそうつぶやくと、旦那はテーブルの向こう側で息をウッと詰め、既に顔面蒼白

前に聞いたことがあるのですが、女性は出産時に気を失うわけにはいかないので、あの激痛にも耐えられるように身体ができているのだそうで、
できていない男性の方々は、まあ十中八九、あの無慈悲な透明の板の前でワンワン泣くか、気絶されることでありましょう。

なにはともあれ、無事検査は終わり、結果もシロと出て、めでたしめでたし。
来年の検査までに、どこかの誰かさん、どうかあんなにまで痛まない検査機器、発明してくださいませ~
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嬉し恥ずかし第一プロジェクト完了

2009年11月09日 | お家狂想曲
昨日はもう手伝ったらへん!とゴネておりましたが、あまりのペイント日和に手招きされて、ついフラフラと外に出てしまいました。
旦那は最後の一画を、わたしはテカテカキラキラに塗り上げられた部分の上塗りを担当し、ついに……やったぁ~!終わりました



ついでに、前々からずうっと気になっていたボッロボロ郵便受けもヌリヌリ!




いやあ、プロの方々ならほんの数時間で終わってしまうであろうこのプロジェクト、我々にとっては一大事業でありました。
でも、なかなかに楽しく、面倒くさく、かつまた思い出深い家族記念になり、やって良かったと思っております。

手すりがきれいになったら、今度は周りの乱雑さがいきなり気になり出して、仕事から戻って夕飯の支度までにちょっと落ち葉掃きなど……。
あらあら、止まらなくなっちゃいました。
ドライブウェイの落ち葉(葉っぱだけじゃなくて、松の細かくて茶色い針のようなのも一面に落ちておりました)をザッザザッザ、階段とフロントポーチをサッササッサ、さらえとほうきを駆使して、辺りが真っ暗になるまで頑張りました。
親指と人差し指の間の手のひら側に、ちょいと水ぶくれっぽいものが……いやはや、普段いかにやってないかって証拠です。

ああきれいになった(ほんとは真っ暗でほとんど見えてなかった……)と大満足で家の中に入ると、足拭きマットがやけにバッチイ……。
まだあと20分はいける!もう掃除モード全開です!
二階から順に掃除機をかけ、家猫のトイレを掃除して、一階の床もきれいに磨きました。
あ~しんど……。ついにエネルギー切れ。今からご飯作るってかぁ~……

モノには程度ってもんがある。よく人から言われるわたしです……

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なむみょうほうれんこんさまぁ~

2009年11月09日 | アホな小話
うちの罰当たりなけったいなアメリカ人、朝ご飯にバターたっぷりのトースト、そして高菜漬、ほんでもってれんこんのきんぴらを食します。
特に高菜漬ときんぴらは好物の中の好物。
今朝もそれはそれは幸せそうにパクパク、カリカリ。
そしていきなり言ったのでした。

「なむみょうほうれんこんさまぁ~!」

日蓮大菩薩さま、どうか御聞き流しのほどを
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酔っぱらい防止作戦

2009年11月08日 | お家狂想曲
突然ですが、めちゃくちゃ怪しい我々夫婦っす。今時、こんなんで通りに出た日にゃ~、絶対に通報されちまいます。



まだ疲れが残っている今朝、旦那がいきなり、「ちょっくらホームデュポに行ってくら~」と言って家を出て行きました。
「週末は遊ぶ日だ!日曜大工は間違っとぉ~る!」と断言し続けて18年……ホント、人って変わるときゃ変わるのね……勝手に……
なにやら、キラキラてかてか光る前回のペンキを、シルク調のに替えるそうな……シルクってあんた、やっぱり光沢あると思うけどなあ……。
でもまあ、せっかくのやる気をポッキリ折りたくなかったので、黙っておくことにしました。

道具が揃い、作業の前準備も終わったところで、いざいざ開始です!


今回はふたりとも、「気ぃ~つけて壁塗んない!」「わっかりやした親方ぁ~へらへら!」にならずに済みました。



ただ……このマスク、あまりにも密着するためか、肉付きのいいわたしのほっぺにクッキリと線が入ってしまって……、
「ぎゃははっ!スカンクみたいっ!」と旦那は大笑い!
ふん、そうなん、そしたら明日は手伝えへんわ。だって、線ついたらなかなかとれへんお年頃ねん。そんなスカンク顔して仕事行けへんもん。
明日はひとりで頑張りなはれ
明日もなにやらペンキ塗り日和になりそうなので、仕上げに向かって頑張ってね~
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米国結婚式に行くぞ~!いえ~い!事情

2009年11月07日 | 米国○○事情
朝6時45分、腰をすりすりしながら旦那がまずシャワーに入り、次にわたしが続き、いつもは熟睡しているKもちゃんと起きてきて、
我が家では珍しく、予定していた時間よりも早く、車の中に皆が乗り込むことができました。
家猫はすでに、昨夜あたりからイヤ~な予感がしているらしく、いったい今回はいつ帰ってくるつもりなん?という顔でニャアニャア鳴きっ放し。
車で走ってかなり行ってしまった所で、「あっ!ショーティにおかかをあげるの忘れた!」と旦那。あっちゃ~!
「彼女、また腹いせに、いたずらせえへんかったらええけど……」
なんて不吉なことを言う男でしょ!まったく……。今までに、猫の腹いせに泣かされてきたのは、なぜだかわたしだけなんですから。
わたしの椅子の下、ピアノの椅子の下、あるいはわたしの布団の中(これが1番痛かったです)にもぐってウ○チするという難度の高い業です。

心配しても仕方が無いので、気分を変えて。

もうとっくに会社が無くなってしまった幻の車『デロリアン』です。それがなんと4台、連れ合ってやって来ました。



ニュージャージー州とデラウェア州をつなぐ橋。
デラウェア州は、バイデン副大統領の出身地。
建国に関わった13植民地のうちで最初に批准した州であることから、First State として知られています。
ロードアイランド州に次いで2番目に面積が小さい州です。



南西に進むと、紅葉もすっかり終わっていて、晩秋独特の色に染まっています。



大好きなデラウェア河。この広々さがたまりません。



まずはボルティモア。この辺に来るとバ~ンと姿を現すモルモン教の建物。そしてワシントンへ。



このプレートの下の部分に書かれている言葉の意味を旦那に説明してもらいました。
連邦議会がワシントンD.C.における最高権限を有しているので、同区の居住者は各州の居住者と比べ自治権を与えられていない。けど税金は払ってる!という愚痴メッセージなんだそうです。



なんてことを話したりしながら、とても順調に車は進み、なんと4時間もかからずにワシントンに着いてしまいました。
ちょっと小腹を膨らませてからと、近くのモールにある寿司&中華&タイ料理店という、かなり怪しいお店に入り、
パド・タイとトムヤンクン、そしてKはカスタードと餅米のスウィーツを頼み食べていると、あれまあ、もう20分しかないやん!
で、慌てて車を走らせましたら、迷いました、わたし達……。あと4分で式が始まるって時も、まだ走っておりました。
やっぱうちもそろそろナビ買おっか、と真剣に思った一瞬でした。
滑り込みセーフで間に合った式。ちょっとモダンな教会です。



おとうさんと歩くバージンロード。エミリーは泣いていました。



誓いの言葉を交わす2人。とってもお茶目な牧師さんで、宣誓が終わった途端、「はい、あんた達は夫婦!」って叫んで終わり。爆笑でした。



式が終わって一安心のエミリーとロブ。英語がわからなくてオロオロしていたうちの息子達に、飼っているトカゲを見せたりして、なんとかコミュニケーションをとろうとしてくれた小学生だったエミリー。優しくて美しい花嫁になりました。



突然ですが、自分のフェイスブック用の写真を撮ってくれ!と頼んできたK。親バカなので、馬子にも衣装などと思いながらパチパチ撮りました。



教会から場所を移動して行われたレセプションの始まりです。



花嫁花婿のダンス。



花嫁と父のダンス。娘を持つ父の胸のうちは……。



花婿と母のダンス。息子を持つおかんのわたし、カメラを持つ手が揺れました。



ケーキカット。



食後の運動、みんなでダンス!イェ~イ!



ほんとうにおめでとう!エミリー&ロブ!


帰りはKがほとんど無休で運転してくれて、なんと3時間15分でニュージャージーに着いてしまいました。恐るべし若者!恐るべし夜型人間!
旦那とわたしはヨレヨレのヘロヘロ。特にわたし、昨日から始まった変則上がりかけ生理もあってか、頭は重いわ首は痛いわ、散々です。
そういやここ2年ぐらい、遠出をするというとなんだかくたばっているような気がします。
年だとは思いたくないけれど、ホルモンがググウ~ッと変わろうとしている時期というのは確かなので、これもまた、いつかはすっきりする日が来るだろうと、腹をくくることにしました。
若くて美しい、まさにスタート地点に着いたエミリー。
わたしもあんな頃があったよなあ……。


追伸。
ショーティ、思いとどまってくれたようです。どこにもブツはございませんでした。無事に眠りにつくことができました。
あんたも大人になったのぉ~(あ、同い年やった)。




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エミリーの結婚式

2009年11月06日 | 家族とわたし
明日は朝早くから、旦那の従妹のエミリーの結婚式に参列するために、ワシントンD.C.に出かける予定です。
ワシントンD.C.の1番近くに住む息子Tは、ただ今半年遅れの卒業目指し、とんでもない量のプロジェクトや宿題に追い回されていて、
しかももうすぐボストンでのジョブフェアも控えているということで欠席することに。

さて、我々と一緒に暮らす息子K、21才になった今まで、まともな服(フォーマルな場に通用する服)を買ってやったことがありません。
なので今回、彼もあと1年ちょっとで就職活動を始める(希望的観測)ことだし、ドレスパンツ&シューズ、ベルトを一気に買うことにしました。
それでも、親の我々からは$100しかもらえず、それでなんとか見つけてこぉ~い!と言われたK、
半泣きになりながら、あっちこっちのモールを回ったのだけど、案の定見つからず、見つから~ん!買え~ん!と泣きついてきました。
すると旦那、「そんなもんモールで買おうと思うのが間違っとる!年に1回か2回しか着んのに、安売り専門店かシムズで充分!」と喝!

Kは、ゲームトーナメントやバイトで稼いだお金を、友人との食事や交通費なんかにホイホイ、普段飲むジュースやタバコにホイホイ、
お金が切れそうになってきたら家でじぃ~っと翌月が来るのを待つのみ、計画性ってもんがほとんどありません。
洋服には彼独特の好みがあるし、なぜだか友達からのお下がりなんかもあって、そちらに散財するというのはあまりないのだけど……。
それに、ずうっとこだわりまくっていたヘアケアのブツも、最近はかなり落ち着いてきたみたいですが、
1ヶ月のお小遣い$150は、1セントも残ることなく、月末よりもっと前に無くなってしまっています。
そんなKなので、いろいろと倹約したり、値段をまず決めてから店を回る、などという知恵も無かったのでしょう、
パンツと靴とベルトを予算内で買い揃えるということだけで、精魂尽き果てた、という感じです。

とりあえず、ギリギリで、友人から25ドルで買い受けたジャケットの袖丈を直し、(お直しをしてもらったテーラーさんに「これはとんでもなく高級な品ですよ」と言われてびっくり!)、それに合わせて買ったパンツと靴とベルト、すべてが今夜揃いました。
あ~やれやれ、よかったよかった……と胸を撫で下ろしていたら、
旦那が「ちょっとボク、またぎっくり腰っぽい……」と爺さんスタイルで歩いています。
さらに「それにちょっと風邪気味っぽい……」なんてことまで言い出しました。
そして「なあ、ほんでまうみはなに着るん?」
げげっ!そういや、Kの心配ばっかりして考えてなかったし……

いつもの、簡単フォーマルっぽいまうみ服はすべて黒。いくらなんでも結婚式に黒はあかんで~ということで、ただ今ヒジョ~事態発生中
これからあれこれ(って、そんなに無いのが楽であり、恐かったりもする)引っ張り出して、決めなあかんじゃあ~りませんか
半ゾンビ状態の旦那は、「ボクのドレスシューズ知らん?」とブツブツ言いながら階段をゆっくり上ったり下りたり。

とっても我が家らしい、従妹の結婚式前夜の様子なのでした。



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