ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

おうち日曜日

2011年04月24日 | 家族とわたし
歩いて行ける近所のスポーツ・バーに、旦那と拓人と三人で行った。
毎年イースターの日にはけっこう混むらしいけれど、今日はガラガラ。
どこでも座っていいよ~と、オーナーは少々ヤケクソ気味。

ここは店の中が広々としていて、スポーツ・バーらしからぬ静かな音響で、ガヤガヤしてなくて、実年層が多くて、ちょっと高いけど食べ物が美味しい。
ちょいとビールをひっかけたい旦那の付き合いで行っただけなので、ベルギー産のビールに、ベルギースタイルのフライドポテトとムール貝の前菜で乾杯。

Tシャツ姿で冷たいビールを飲む気持ち良さ!昨日までの寒さはいったいなんだったんだろう……。
ま、今日もこれからぐんぐん気温は下がり、雷がゴロゴロ鳴る予定なんだけど……。

家に戻ると、いきなりスウィッチ(アルコールとも言う)の入った旦那が、本人曰く、健康のバランスのためにと、こんなサラダを作ってくれた。


トーストしたかぼちゃの種と、今日の昼、旦那が間違えて生で食べてしまったパンチェッタ(豚肉の塩漬け)を軽く焼いたのが超~ウマ!
ごちそうさまでございました!

わたしの座っている椅子から見える窓の向こう側。すっかり雷さんのお出ましモード。

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ハッピー・イースター!

2011年04月24日 | ひとりごと
今日はいきなりの28℃多分もうすぐさんが賑やかしに来はるそうです。
98%の回復にまでこぎつけた恭平、彼の稼ぎ場であるトーナメントを二回逃したので、今日は早速出かけていきました。
せっかくの晴れ間に庭仕事を!と思たけど、よくよく考えてみると、まだ土を肥やしていません。
買い物に行こうにも、今日はハッピー・イースターで、どこのお店もお休みです。
なので、またまたあちこち写真を撮りに外に出ました。

日本のししとうとピーマン。ミツワの食品売り場で売れ残ってたのをゲット。


すが子さんが去年植えてくださったチューリップ。「今年は咲かないと思いますよ」と言うてはりましたが、なんのなんの、頑張ってくれました!


せっかくなのでもうちょいアップ。


ずずっとどアップ。自然ってほんまに美しい。


ししとう&ピーマンと同じ日に、コストコで見つけたブルーベリーの木。花がかなり落ちました。次は実の番?むふふ。


例の、いきなり現れたムスカリの園。今や全盛期。宴会してはります。


ミニ葉牡丹やったこの方々は……すっかり変身してこんな姿に。


カエデの赤ちゃん。


やっぱどうしても無視して通れんタンポポの笑顔。


恭平の彼女、ニーナちゃんのおかあさんからいただいた三つ葉の赤ちゃん。ちょっとずつおっきなってきました。


働き蟻は日曜日もせっせせっせ♪


相方を上から見下ろしながらなんか文句を言うてる鳥さん。


そんなこと言うたかてあんた、ちょっとあんたも降りてきてみ?食べもんいっぱいやねんから!


玄関のベンチからのポンちゃん。


もう数えるほどしか残ってないけど、まだまだきれいやでポンちゃん!




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せめて子供たちを守れ!

2011年04月23日 | 日本とわたし
日弁連より出された、文部科学省への声明から、一部抜粋させていただきました。


『当連合会は、文部科学省に対し、以下の対策を求める。

1 かかる通知を速やかに撤回し、福島県内の教育現場において速やかに複数の専門的機関による適切なモニタリング及び速やかな結果の開示を行うこと。

2 子どもについてはより低い基準値を定め、基準値を超える放射線量が検知された学校について、汚染された土壌の除去、除染、客土などを早期に行うこと、あるいは速やかに基準値以下の地域の学校における教育を受けられるようにすること。

3 基準値を超える放射線量が検知された学校の子どもたちが他地域において教育を受けざるを得なくなった際には、可能な限り親やコミュニティと切り離されないように配慮し、近隣の学校への受け入れ、スクールバス等による通学手段の確保、仮設校舎の建設などの対策を講じること。

4 やむを得ず親やコミュニティと離れて暮らさざるを得ない子どもについては、受け入れ場所の確保はもちろんのこと、被災によるショックと親元を離れて暮らす不安等を受けとめるだけの体制や人材の確保を行うこと。

5 他の地域で子どもたちがいわれなき差別を受けず、適切な教育を受けることができる体制を整備すること』


この声明が文部科学省に提出されたのが昨日22日のことです。
これを政府がどういうふうに受け取り、対策を練り直すのかどうか、今後の動向を見守りたいと思います。


それからもうひとつ。
読売新聞のウェブニュースで、なんだか淡々と、別にどうってこともないような調子で、こんなことが伝えられていました。

『内閣府原子力安全委員会は23日、東京電力福島第一原子力発電所から大気中に放出された放射性物質の量が、放出量が落ち着いた今月5日の時点でも、1日あたり154テラ・ベクレル(1テラは1兆)に達していたことを明らかにした』

これはいったいどういう意味なんでしょうか?
しかも、この安全委員会は、5日の発表時、「毎時約1テラ・ベクレル以下」と低く見積もっていた、とのこと……。

このいい加減さと無責任さはいったい……。
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プロパガンダの罠

2011年04月23日 | 日本とわたし
微量放射能による被害は10年後にやってくる…鎌仲ひとみ監督、「東京も汚染地域」放射能の恐ろしさを訴える - シネマトゥデイ

今朝、この記事を見つけて仰天しました。

以下は記事からの抜粋です。

『アメリカ最大の核施設であるプルトニウム製造工場があるハンフォードは、原爆を製造したときから何十年もの間、放射性物質が環境にばらまかれ、放射性ヨウ素131を、気象観測用の風船をつかってばらまく実験まで行われていた。
風下に広がる広大な農村地域の人々は被ばくした。
反対運動を続ける住民トム・ベイリーが、鎌仲監督を車に乗せ、ハンフォードの“死の一マイル”と呼ばれる地域を案内するシーンでは、一家全員がガン、奇形児を出産後に自殺、甲状腺機能障害……。
延々と続くトムの説明に鎌仲監督も絶句する。
一マイル四方に住む28家族ほとんどの家族の女性は甲状腺障害があり、みなが流産を経験していた。

微量の放射性物質を浴び続けるとどうなるのか、悲劇はすでに始まっている。
「一刻も早く、福島から、子どもたち、妊婦たちを避難させたい」、と訴えた鎌仲監督は、東京も例外ではないと警告した。
「風や、雨に乗って半減期30年の放射線セシウムが東京に降り注いでいます。
土壌は汚染され、小学校のグラウンド、公園の砂場も汚染されます。
東京だって、汚染地域です。ハンフォードと同じ、風下の人間たちになってしまったんです」

反原発デモに、16,000人が集まっても、ほとんどのメディアが報道しない。
電力会社は、大手メディアにとっての最大のスポンサーだからだ。
鎌仲監督は、「プロパガンダの罠にはまらず、自分で調べて、考えて」と訴えた。


無知だった自分。
けれどもここまでひどいとは想像できませんでした。
このアメリカにだって、こんなに惨たらしい事が起こっていて、その反対運動も含めて、ほとんど世の中に知らされていません。
自分の意思で情報を集め始めたら、この世界の中には、今の今まで知らなかった現実が、こんなにもたくさん存在していました。
情報を発信し続けていた人達は、いろんな制約や迫害や抵抗を受け、そのために充分に伝えることができなかったのかもしれません。
でもなによりも、呑気に、平和に、まあええんとちゃうのこんなんで、とのうのうと生きていたわたし達だからこそ、伝わらなかったのかもしれません。
「無知だったことはしょうがない。けれども、知って行動せざるは罪である」というのは、『自然エネルギー財団』設立に向けての講演の中で、孫氏が言われた言葉です。
自分で調べて、考えて、そして行動しなければならない時がきた。
それは本当に大変で、とてつもなく大きな決心と覚悟が入り、先には苦労が待っているかもしれないけれど、
「政府は安全だと言っていたのに」と声をあげたところで、時すでに遅く、2011年の福島原発による放射性物質の被爆によってガンになったという因果関係は立証できないのだし、怒りを向ける矛先も無く、我が子の、そして我が孫の病が進行するのをただ見守るしかない。
などという毎日を送りながら、人生を終わってもいいのでしょうか。

とにかくまず自衛に全力を尽くしてください。
自分と自分の家族を守る。
国はもうあてにしないで。
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オヤジの出番!

2011年04月23日 | 家族とわたし
昨夜から我が家はまたまた4人家族。うっほぉ~い
なんて喜んでいる場合では全然ないのである。

恭平が二日前から弱っている。
ストマック・フルーにかかってしまったようだ。
酷い下痢がもう丸二日続いていて、フ~ラリフラリと階段を降りてくる様はもうまるで、妖怪『一旦もめん』のようだ……などと冗談を言っている場合ではないのだが……。
下痢に伴う腹痛と頭痛、熱と関節痛。悲惨である。ものすごく気の毒である。
けれども、わたしは代わってやることもできないし、代わりたいとも思わないので、せっせとお粥やら葛湯やらを作っては食べさせるだけ。
あと、できるだけ殺菌してやりたくて、薄い緑茶に梅干しを入れて飲ませるのだけれど、ヤツはその梅干しを、いつも丸ごと残す。
こっちで買うこの梅干しがどんだけ貴重で高いか、それを思うともったいなくて、つい箸でつまんで口に入れてしまいそうになるのだが、そんなバイオハザードを食うだけの勇気も無く、ブツブツと独りゴチながらくず入れに捨てる。
「あ~腹減った……死ぬ」と言いながら、キッチンテーブルに突っ伏す我が息子。
こればっかりはなあ……ただただ腸の中に入ったウィルスを下痢と一緒に外に出し切るまで待つしかないので、少し食べては出し、また食べては出し、水分だけは充分に補充しながらがんばるっきゃない。
なので、「なにを抜かすか!人間は水分さえちゃんと摂ってたら、2,3日食べんでもどおってことない!母ちゃんを見よ!腸の検査前は3日間、水分以外は絶食しておる!そんなんをもう10回以上もやっとるのだぞ!」と威張ってやった。

ところが昨日の夕方、わたしの仕事が始まる直前に上から降りてきた恭平の顔を見て仰天した。
土気色とはこのことか?
ものすごく嫌な感じがした。
「やっぱり病院に行きたい。この下痢の酷さと関節痛は普通とちゃう」と言ってピアノの椅子にへたり込む息子を見て、これはやはり病院に連れていくべきかと思い、旦那に連絡をした。
旦那と恭平の主治医とわたしの主治医は違う。しかも、病気にかかったからといって、予約無しには行くこともできない。
この国の医療保険のぼったくり価格と、解き様も無くこんがらがった糸のような制度は、こういう緊急の場合に一番ネックになる。
とりあえず彼らの主治医の連絡先を調べ電話すると、「今ドクターは休暇中で来週の木曜日まで戻って来ない」と言われた。
「じゃあ、彼の代替えの医者の連絡先を教えて欲しい」と粘ると、「緊急で無い限りそれはできない」と言う。
「緊急だからお願いしている」と言うと、「あなたから直接連絡をとることはできない」と、なぜだかため息混じりに言われた。
「じゃあ、いったいどなたにその連絡を取ってもらえるようお願いしたらいいんですか?」と、怒りを抑えて聞くと、「それはわたしです」と言う。
「では、申し訳ないですが、今すぐ連絡を取ってください。二日前からストマック・フルーで苦しんでいる息子の様子がかなり悪化しているので」と頼むと、返事無しでいきなり、電話の呼び出しコールに切り替わった。
そして出てきた事務の女性に「今日は休みです」と素気なく言われ、事情を話しても「休みですから」とまた言われ、「じゃあもう救急で入るしかないのですか」と言うと、「それはあなたが決めることです」と言って電話を切られてしまった。

そんな調子で騒ぐ割には役に立たない母なのだけど、父は違った。
キラリと光る、けれども髪の毛よりも細い鍼を手に大活躍。
今回ばかりは楽になるからか、恭平もまるで断らない。
う~ん……負けた……。

なんて思っていると、昨日のお昼過ぎに拓人からチャットが入り、「今夜帰るし」と言ってきた。
「いや、今うちに近づかん方がええと思うで」
「なんで?」
「ストマック・フルーの菌が三階で蔓延してるから」
「え?」
「恭平がダウンしてる」
「まあ大丈夫やろ。とにかく帰るし」
「あんたがええのやったらどうぞ」

ふふん、先週お祝いで逢うたとこやのに、里心でもついたか?などと密かにニヤニヤしてたら、
「ああ拓人か。背中が痛いのが良くならんから、ボクに鍼してもらいに帰ってくるねん」と旦那。
ナニゲに悔しい母なのであった



追記。

たった今、足音も軽やかに、すっかり甦った恭平が階段を降りてきた。
「信じられへんほどに普通や」
ストマック・フルー、恐るべし……
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自給自足への最初の一歩

2011年04月23日 | お家狂想曲
今日も雨降り、そして明日も明後日も……。
週末の庭掃除&造りを密かに計画していたのに……。

ミツワで買ってきた『ししとう』と『ピーマン』の苗も、まだ地植えできずにいる。
まあ、ぶつぶつ文句言っても始まらないので、友人トモコがくれたたくさんの種の中のひとつ、『ゴーヤ』の発芽の準備でもしようとするか。

この、一見かんぴんたんのカメムシ……とも思えなくもないお姿。これがゴーヤの種である。


種まきは初めてだったので、さっそくネットで調べてみると、尖った方の先端を切り過ぎないよう注意して切る、と書いてあった。
その先っぽを切ったものを、ひたひたの水につけて数日経つと、切った先の穴から芽がニョロリと出てくるそうな……ふふふ、楽しみ楽しみ。


これがホンマのウォーターベッドなり。


今年こそは、野菜を少しでもいいから育てるぞぉ~!と心に決めている。
しかし、うちには我々よりも前からここに暮らしている方々がいる。
灰色や薄茶色の毛皮をまとっておられるその方々は、たいていお腹を減らしていて、ノソノソ、あるいはチョコチョコと姿を現しては、豪快かつ大胆に、わたしがせっせと植えたハーブや野菜を食されるのである。
わたしがそれに気がついて、ドアを開け(この時点では平気で食い続けている)、「おらぁ~!やめんかぁ~!」と怒鳴り(まだ食っている)、パン!と思いっきり手を打つまでは……。

なので、今年は場所を変えることにした。
まあそうしたところで、どんな効果が出るかには全く自信が無いのだけれど……。
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本当に困った時はこれを使え!

2011年04月22日 | 日本とわたし
朝方夢を見た。

どこかに行って、また元の場所に戻らなければならない、という感じだった。
行った先は、どこにでもあるような家並みが続く、けれども奇妙に幅の広いアーケードの商店街があったりする、まるで行ったことのない町だった。

気がつくと、格子戸の古い引き戸の前に立っていた。
後ろの人から中に入るよううながされ、戸のへこみに指をかけて引くと、まるでレールにロウでも塗ってあるかのように、滑らかに動いた。
「どうぞ」という声が後ろでして、わたしはおずおずと、真四角のコンクリート床の部屋の中に入った。
部屋のど真ん中には、普段旦那が使っているようなマッサージテーブルが置いてあり、そこにはもうすでにひとりの男性がうつ伏せに寝転んでいた。
テーブルのすぐ横に立っている別の男性が、「この人のはいろいろとややっこしくてね……時間がかかるわ」と、ため息まじりに言うのを聞いて、なぜだか急に、自分のことが心配になった。

部屋の壁はずらりと一面造り棚になっていて、そこにはわけのわからない薬や粉や小さな道具が、所狭しと並べられていた。
いったいわたしには、どの薬が使われるのだろう……と、ぼんやり思いながら眺めていると、
「さあ、あんたの番だよ」と男性の声がして、振り向くともう、テーブルの上には誰も居なくて、その男性の手には、停止した心臓にショックを与える時に使うのにそっくりな、けれども形は四角ではなくて丸い道具が握られていた。
そしてわたしにはそれが、自分の治療に使われる物だと充分理解できているようだった。
何も指示されないまま、着ていた長袖のシャツの右手だけを抜き、右側の裾をまくり上げ、その男性に背中を向けた。
するとその男性は、その道具をわたしの右肩の肩甲骨辺りに当てた。
その道具はとても強い力で吸引するもので、彼はそれをわたしの背中に押し当てながら、ゆっくりと円を描くように動かした。
「これはわたしの左側にある問題を解決するための治療なんでしょう?」
強烈な吸引を感じながら、わたしは呻くようにそう言った。
「あれ?よく知ってるねえ。どうしてそういうふうに考える知識があるの?」
「夫が鍼灸師なので」
「なるほど……。なかなかこういうことは理解してもらえなくてねえ……苦労してるんだ」
少し大げさなため息をついてから、彼はやっと、その吸引機をわたしの背中から外した。

シャツを着ていると急に、「そうだ、あんたと同じ駅に行くついでがあるから、乗っけてってやるよ」と言って、彼は部屋から飛び出して行った。
わたしも急に、ああ、急がなくちゃと気がついて、部屋の中に居た助手のような若い男の子の後をついて表に出た。
「乗っけてってやるよ」と言ったくせに、男性は助手の若い男の子を車の助手席に乗せると、さっさと発進させている。
どうしたわけか、自分の車が外に止めてあるのを見つけ、わたしも車に飛び乗って彼の後を追いかけた。

とても幅の広い商店街の中に、彼は車を乗り入れて行き、そこで知り合いのお年寄りを見つけては、車の中に詰め込んで行く。
いったい何人乗せるつもりなのだろうと呆れながら、わたしは後ろからその様子を眺めていた。
やっと駅に着き、車を適当な所に停めて、大勢のお年寄りと一緒にわたしも彼の後ろをついて行った。
切符をどこまで買ったらいいのか、それがどうしても思い出せずに、じりじりとした気持ちで路線表の駅名を何度も読み返していると、
「おい、もう間に合わない、行こう!」という、切羽詰まった彼の声がして、腕を強く引っ張られた。
切符を買わないまま、駅の構内に入ると、コンクリートの床の真ん中になぜだか畑があって、そこにはとても貧弱な野菜が、もうほとほと疲れ果てた、とでも言いたげに、枯れた土の上に頭をもたげていた。
駅のホームに続く階段を降りようと別の場所に行くと、その床にはとても鋭く尖った小さな岩が所狭しと埋められてあり、こんな所で転けたりしたら大変なことになる……と、小さな子供達のことがとても心配になった。
そしてやっと、少し空気が穏やかに感じられる場所に着き、ホッと一息つきながら、土産物などが並べられた棚をぼんやり眺めていた。
足元から声が聞こえたので驚いてそちらを見ると、わたしはいつの間にか中二階のような所に立っていて、その床が丁度目の高さになる所から、男性が頭半分だけ覗かせながら、わたしの名前を呼んでいた。
「いろいろとありがとうございました」と、なんだかとてもありがたい気持ちになって、わたしは彼にお礼をちゃんと言おうと、土下座のような格好で彼にお礼を言った。
すると彼は急に、顔に厳しい表情を浮かべ、わたしの右手の手首を痛いほど強く掴み、その手のひらの上に彼の握りこぶしを乗せた。
彼のこぶしがゆっくりと開いていくと、わたしの手のひらの上に、灰色のザラザラとした砂のようなものがこぼれ落ちてきた。
それを見て驚いているわたしに彼は、静かに、けれども何かが差し迫っているような声色でこう言った。
「いいか、よく聞くんだ。これを使え。本当に困った時にはこれを使え。いいな、本当の本当に困った時にだぞ!」
わたしはこっくりと頷き、わたしを強い光のこもった目で睨む彼の顔をじっと見つめながら、その砂をギュウッと強く握りしめた。

そして目が覚めた。
わたしの右手は、爪が食い込んで痛いほど、強く握りしめられていた。
恐々手のひらを開いてみた。
そこには何も無かった。
けれども、あの灰色の砂の、ザラザラとした感触は、今もしっかりこの手の中に残っている。

わたしは『話』を書かなければならない時が来たんだな。そう思った。
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ほあんいんぜんいんあほ

2011年04月22日 | 日本とわたし
上から読んでも『ほあんいんぜんいんあほ』
下から読んでも『ほあんいんぜんいんあほ』

今、小学生の間で流行っている言葉なんやって
ええぞええぞ~日本の小学生
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たかが水、されど水

2011年04月21日 | ひとりごと
京都ジャーナルに投稿された、我らが友人、ステュアートのエッセイ

彼は大津市在住の、京都の大学教授。
日本暮らしはもう長く、もちろん日本語もペラペラ。わたしのようにガサツでない美人の日本人女性のエッちゃんと、今も仲良く琵琶湖の南湖畔の近くで暮らしている。

彼も、多くの人達同様、今回の震災と津波、それから原発事故のトリプル災難に襲われた東北地方の方々のために心を痛め、鬱々とした毎日を送っていたのだろう。
ええいっとばかりに、こんなエッセイを書いてくれた。
先日の朝、トーストをかじっているわたしに、旦那がそれをパソコンで検索して読ませてくれた。
久しぶりに、大きな声で笑った。
このジョークは、残念ながら、同じような状況を経験した者でないと、そこまで可笑しくはないかもしれない。
でももし、
夫がアメリカ人で、日本にある程度長く住み、その間に言語や文化の理解に励み、日本語に堪能であり、
そして妻は日本人で、夫はアメリカ人であるけれど、日本語をちゃんと理解し、普通の会話なら平気でできると安心しているカップルならば、
このジョークが可笑しいだけのみならず、あるあるぅ~!と膝を叩いて大喜びしたくなるはず。


では、わたしのハチャメチャ翻訳と一緒にお楽しみください。

Etsuko comes home from work on a bone-chilling winter's evening to find me cooking a nice Italian dinner. “The bath is ready!" I tell her. "Why not hop in before we eat?" She does, and a moment later she screams loudly in distress.
骨の髄までしみるほどの、冬のある寒い夜のことだった。
僕がうまいイタリアンの夕食を作っている時に、妻のエツコは家に帰ってきた。
「お風呂、沸いてるよ!」
僕は彼女にそう言った。
「ご飯の前にあったかい風呂に浸かりなよ」
体が冷えきっていた彼女はもちろんそうした。
そしてそのすぐ後に、彼女は大声で悲愴な叫び声を上げた。

“What's wrong?!” I call out.
「どうしたんだ?!」僕も叫んだ。

“It's WATER!!!" she replies in English.
「お水じゃないのこれっ!!!」と、彼女は英語で答えた。

I am puzzled.
僕は混乱した。

“What did you expect," I ask her, "milk?!”
そしてこう言ってやった。
「いったいなにを期待してんだ?は?ミルク風呂か?!」

But then I realize that I have forgotten to turn on the gas and heat the water in the bath; she is freezing!
が、しかし、僕はその時ハタと思い出したんだ。風呂のガスをつけるのを忘れてたことを。
風呂の水はまだ冷たいままだってことを。
彼女は凍えているに違いない!

A moment later Etsuko stands in our tiny kitchen swaddled in a bath towel and robe, shivering and muttering mild obscenities. And her numbskull American husband has the nerve to say, “Why did you say, 'It's water'?"
少しして、バスタオルとバスローブをぐるぐる巻きにした彼女は、我が家の小さな台所にやってきて、ブルブル震えながら、程よく過激な呪の言葉をブツブツつぶやいていた。
そして彼女のとんまなアメリカンの夫は、まるで事態を把握しないまま、憮然としてこう言った。
「どうして『It's water』なんて言ったわけ」

“Cold water is OMIZU," she barks, “and hot water is OYU! I thought you'd understand. Sorry, but the chill was a shock. You try getting into that bath!"
「冷たい水はオミズだからよ!」
ついにぶち切れた彼女は怒鳴った。
「そしてね、熱い水はオユって言うのよ!あなたならそんなことわかってると思った。こんなふうに怒鳴って悪いけど、あの冷たさがどんなにショックだったか……あなたも入ってくるといいわ!」

And now the dimwit husband says, having the decency at least to give her a mug of hot chamomile tea, “Are you telling me that in Japanese you actually consider cold water and hot water to be different things? Not just different versions of the same thing?!”
そこでさらに、脳みその血のめぐりが悪い夫は言ったもんだ。
あったかいカモミール茶が入ったマグを手渡すだけの礼儀はわきまえていたけれど……。
「それってもしかして、まさかとは思うけど、日本語で冷たい水と熱い水は違うって考えてるわけ?ただ同じもんを違うふうに言ってるんじゃなくて?!」

Etsuko nods as she sips. “They are different things, especially in an ofuro (Japanese-style bath)."
エツコはお茶をすすりながらうなずいた。
「そうよ、お水とお湯は全く違うものなのよ。特にお風呂の時はね!」

“But they are both H2O!!" I counter. "That's just ridiculous!"
「でも、お水もお湯も、どっちもH2Oじゃないか!!」僕は言い返してやった。「バカバカしいにもほどがある!」

To which she says, “Did you really graduate from UC Berkeley? What about ICE? What about STEAM? Aren't they both H20 too? You don't call them ROCK water or GAS water, do you?"
すると彼女はこうきたもんだ。
「あなた、本当にあの、名門校UC Berkeleyの卒業生? じゃあ聞きますけどね、氷はどうなの? 蒸気は? どっちもH2Oじゃなかったかしら? ほんでもって、あなた方はそれらのことを、水とか、ガス水とか言わないでしょ?」

And it dawns on me at long last that, in this instance at least, Japanese offers greater precision and specificity than English does, even though Japanese is generally known to be more ambiguous.
そこまできてとうとうわかったことは(少なくともこの件において)、日本語は英語より、より正確で詳細な表現ができる言語であるということだった。たとえ、曖昧さにおいては王様級として知られている日本人であったとしてもだ。

It further occurs to me that I will have a lot to learn as an English teacher in the years to come…
この一件で僕は、この国で英語を教える教師として、この先まだまだたくさんの学ぶべきことがあることを思い知ったのだった。

Quietly, I add a bit of sage to the spaghetti sauce and shake my head in wonder at how much I must not know yet about this beguiling country I presume to call my new home.
これ以上彼女を刺激しないよう、静かに僕は、スパゲティソースにセージをほんの少し加え、おそらく自分にとって新しい故郷になると思われるこの魅力的な国について、まだ知らないでいることがいったい全体どれだけあるのか、そのことに思いを馳せながら、やれやれと頭を横に振った。
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庭の春

2011年04月21日 | ひとりごと
黄色は見ているだけで元気をもらえる。


今年のたんぽぽは、いつもより輝いている。


毎年、こんなとこに隠れてたん?とびっくりさせてくれるヒヤシンス。


今年はやっと決心がついて買ったブルーベリーの木。1500円弱なり。元がとれるかしらん?


桜が終わる頃に満開になる梨の花。


戸惑いと怒りと悲しみが渦巻くわたしに、春はなにも言わず、ただ、柔らかく微笑みかけている。
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