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クリント・イーストウッド監督『硫黄島からの手紙』

2007-12-24 17:15:33 | ノンジャンル
 薬害肝炎の被害者に対して、やっと福田首相が一律救済の決断をしましたが、内閣支持率の急落が報じられた翌日のこととあっては、人気取りと取られても仕方がないと思いました。今後は金額と国の責任に問題が絞られてくるようです。

 さて、WOWOWでクリント・イーストウッド監督の'06年作品「硫黄島からの手紙」を見ました。
 場所は大平洋戦争末期の硫黄島。一日中塹壕を掘らされている西郷は妻のハナコに手紙を書きます。こんな何もない島、アメ公にやってしまえばいいと言ったのを士官に聞かれ、叱責を受けます。島に着いた栗林中将は島の視察に出向きます。兵士を非国民となじり棒で殴る士官を止める栗林。貴重な戦力なのだから、体罰でなく食事を抜くよう提案します。栗林は砂浜の塹壕掘りを止めさせ、兵士に十分な休養を与えるように指示します。兵士たちは栗林がアメリカにいたことがあると噂し、栗林に期待します。指令部で栗林は高橋将校のもとの陸軍と連係がとれてないと聞かされ、今日砂浜に降ろしたという兵器弾薬を元の場所に戻すように命令します。敵の上陸は防げないという栗林に反発する指令部の部下たち。栗林は島民も本土に避難させます。そこへ栗林の旧友で馬術でオリンピックの金メダルを取った西中佐がやってきて、2人は語り合いますが、戦況を考えればこの島を沈めてしまうのが一番いいと西は言います。栗林は連合艦隊は壊滅し、戦闘機はすべて東京に引き揚げたことを知っていたので、3つの山に地下壕を掘り、そこに潜って戦う戦術を考えます。清水は今いる場所は言えないが元気だと母に手紙を書きます。彼は憲兵隊でしたが、住民を助けたことで、一兵士として前線に送られたのでした。西郷は雑草汁を飲みながら、自分がパン屋だったとこを語り、召集令状が来た時に絶対生きて帰って来ると妻に言ったことを回想します。地下壕掘りは続き、栗林は大本営へ援軍を要請します。西郷は作戦説明で敵の衛生兵をまず狙えと教えられます。第1波の空襲があり、西の馬は死にます。日章旗はためく中、爆破の後片付けが行われ、夜地下壕の中の兵士たちは敵の迫撃砲の音に悩まされます。米軍の大艦隊が近づくの報に全員配置につきます。栗林は10人の敵兵を殺すまで死ぬなと演説します。翌日、第2波の空襲があり、外に出た西郷は海に無数に浮かぶ敵艦を見ます。そして敵の上陸が始まります。しばらく待ってから銃撃開始。火炎放射器などにやられ、初戦で幾つかの拠点を失います。すり鉢山の責任者が玉砕を打診してきますが、栗林は許しません。しかし責任者は勝手に玉砕命令を出し、部下は手榴弾で自決していきます。西郷は清水を説得し、自決を思い留まらせます。捕虜の米兵をリンチして虐殺する兵士たち。西郷と清水は指令部に着くと、命令違反で処刑されそうになるところを栗林に助けられます。反栗林派の造反の中、栗林はすり鉢山の奪還を目指します。大本営は援軍の派遣を断って来ました。栗林は傷ついた米兵の手当てを命じ、西郷は投降したいと言います。アメリカでの送別パーティーを回想する栗林。米兵の捕虜が死に、母からの手紙を西が翻訳して読むと、兵士の間に米兵も同じ人間だという思いが広がります。2人の兵士は投降しますが、捕虜になった後、銃殺されます。西郷はその死体を見て泣きます。西の部隊は来たの部隊と合流する前に、銃撃戦の中を横切らなければならなくなり、ほとんどの兵士を失います。西郷は届かないことを承知で手紙を書きます。栗林は信条書を書き、身の回りの物を燃やし、最後の総力戦に赴き、玉砕します。生き残った西郷は自分の書いた手紙を埋めます。栗林も生き残りますが、西郷に自分の死体を埋めてくれ、と頼んで自決します。西郷は捕虜となり、生き延びます。そして現代、調査隊は兵士たちの手紙が入った袋が埋まっているのを発見するのでした。

 この映画の製作は、監督とスピルバーグの連名になっています。この組み合わせが面白いと思いました。戦闘シーンは意外に少なく、残虐なシーンも、兵士の頭の半分が吹っ飛んでるのが映るのと、足を切断されているシーンぐらいで、「プライベート・ライアン」の冒頭のシーンのようなことはありません。召集令状が届けられるシーンなど、よくアメリカ人がここまで当時の日本人の気持ちを理解できたな、と感心するほどリアルでした。栗林中将が実在の人物なのかどうか知りませんが、硫黄島のトップがこれほど人間味にあふれた人だったのであれば、硫黄島の玉砕というのは今まで以上の重みを持って来ると思いました。まさにドキュメンタリーを見ているような臨場感があり、傑作だと思います。見てない方にはオススメです。