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イングマール・ベルイマン監督『処女の泉』

2008-01-26 19:18:22 | ノンジャンル
 スカパーの260チャンネル「洋画★シネフィル・イマジカ」で、イングマール・ベルイマン監督の'60年作品「処女の泉」を久しぶりに見ました。
 粗末な格好の父の分からない子を妊娠している娘インゲリは、やはり父が誰か分かりません。母と共に領主のテーレに拾われた使用人で、活発で激しい感情を持つ女性です。マリア様のロウソクをカーリンが具合が悪いのでフリーダを教会に捧げに行かせると聞いて、カーリンの父(マックス・フォン・シドー)は、処女じゃなければいけないのだからカーリンに行かせろ、と言い、カーリンの甘えを責め、妻は夫にカーリンに厳しすぎると言います。カーリンの弁当を作るように言われたインゲリは、蛙をパンの間に挟みます。カーリンはおしゃれできるのなら教会に行くと言い、カーリンに甘い母はその通りにしてやります。カーリンは馬に乗ってインゲリと一緒に教会へ行き、森にさしかかると怖がるインゲリを置いて、カーリンが1人で森の中へ入って行きます。インゲリは森に1人で住む男の家に招かれますが、身の危険を感じ、森へさまよい出ます。カーリンはヤギを飼う3人兄弟と出会い、昼食をともにしますが、上の2人の兄弟に犯され、殺されてしまいます。兄弟たちは服を奪い、森を抜けてテーレに頼んで泊らせてもらいます。カーリンの母は戻らぬ娘を心配して、娘が自分の全てだと言って、熱心に祈ります。兄弟の様子を見に来たカーリンの母に、兄弟は最近死んだ妹のものだと言って、カーリンから奪った服を渡します。カーリンの母は娘のものだと気付き、兄弟の部屋のドアにかんぬきをはめます。カーリンの父は兄弟を殺しに行きますが、そこへ帰って来たインゲリが、カーリンの不幸を祈った自分が悪く、カーリンが犯され殺されるところも黙って見ていたと告白します。カーリンの父は身を浄め、インゲリに肉切り包丁を持って来させ、兄弟の荷物を調べ、そして3人を起こしてから殺し、神に許しを請います。カーリンの母は末っ子の男の子の死体を抱き締め、カーリンの父を先頭に使用人たちはカーリンの死体を探しに出ます。カーリンの母は娘を独り占めにしたくて嫉妬した罰が下ったのだと言います。そしてカーリンの死体が発見され、母は遺体を抱き締めて泣きます。父は神になぜ、と問い、娘の死んでいた場所に教会を建てることを誓います。カーリンの死体を抱き起こすと、そこから泉が湧き出し、インゲリはその水で身を浄め、カーリンの母もカーリンの髪をその水で浄めるのでした。

 ベルイマン48才の時の作品です。スヴェン・ニクヴェストの撮影は明るさを押さえて美しく自然を撮っており、見事です。シーンの転換はフェイド・イン、フェイド・アウトを使用し、オーヴァーラップの時よりもゆったりとしたシーン転換になっています。非常に単純なストーリーなので、ストーリーに捕われることなく、画面をじっくりと楽しめました。強姦のシーンはかなりリアルで、抵抗感を感じる方もあるかもしれませんが、総じて興味ある映画だと思います。まだ見ていない方にはオススメです。

イングマール・ベルイマン監督『魔術師』

2008-01-25 18:35:58 | ノンジャンル
 スカパーの260チャンネル「洋画★シネフィル・イマジカ」で、イングマール・ベルイマン監督・脚本の'58年作品「魔術師」を見ました。
 馬車で旅するヴォーブレル魔術一座。夜、林を通っていると御者が幽霊の声がすると言います。座長のヴォーブレル(マックス・フォン・シドー)が探すと、病気の男を見つけます。座長は男を馬車に乗せてやると、男は死を教えてやると言い、座長の目の前で死にます。検問に引っ掛かった彼らは、心霊の存在を信じる領主のエーゲルマンとそんなものは信じない警察署長と医者(グンナール・ビョルンストランド)の前に連れて来られ、一座を使って心霊の存在についての賭けを行います。座長は口がきけないと言うと、医者は彼を調べて口がきけるはずだと言います。そして明日の昼間に彼らの前で一座が出し物をすることを条件に、町での興行を強化されます。台所で領主の使用人たちと一緒に食事をとった一座の者たちは、使用人たちを手玉に取り、金を騙し取ったり、メイドを口説いたりします。死んだはずだった男は生き返り、幽霊だと思って皆が怯えますが、座長は毒を盛って男を殺します。青年を演じる座長の妻アマン(イングリット・チューリン)が女性なのを知って、医者は誘惑します。座長はかつらと付け髭を外し、妻のベッドに入って、口を聞きます。娘を亡くしたことを座長に慰めてもらおうと部屋に誘っていた領主の妻は、領主にばれて殴られます。翌日、領主たちの前で出し物をやりますが、最初の出し物はネタをばらされ座長が恥じをかきますが、次の出し物では、警察署長の妻が夫の秘密を次々にばらし、その次に屈強な使用人を見えない鎖で手足を縛ると、本当に動かせなくなり死んでしまいます。警察署長は使用人の死を秘密にすることにし、医者が検死をすることにします。座長の母は首と吊ってる使用人の幻を見ます。何者かがアマンに屋根裏部屋に鍵をかけてこい、と命令します。検死が終わった医者が書き物をしようとすると、インク壷に目玉が入っています。書類をめくっていると、切断された手首が伸びてきます。屋根裏部屋を出ようとすると鍵がかかっていて出られません。鏡にはいるはずのない座長が写っています。医者の眼鏡を誰かが踏みつぶします。鏡が次々と割れ、背後から医者は首を締められます。素顔の座長が現れ、階段をころげ落ちた医者を座長が襲おうとしますが、アマンに止められます。医者は死を恐れたことを認めます。素顔の座長は領事の妻に一文無しなので出演料を払ってほしいと言いますが、あなたの顔など見た事ないと言われます。医者には、遺書に「切り刻まれたい」と書いていた男の死体を使って驚かせたことを告白し、代金をもらいます。非科学を信じていた領主は賭けに負け、警察署長と医者は勝ちます。一座は出発しようとしますが、道化役の中年男は料理長の女と残ると言い、座長の母も長年貯めてきた大金を持って引退すると馬車を降ります。一座の若者に恋をしたメイド(ビビ・アンデルセン)は一座に加わり、出発しようとした時、国王からの招待状が届くのでした。

 自然の風景がやはり美しく撮影されていて、今までの作品に出演していた役者がまた出演しています。この作品からベルイマン監督作品には欠かせないスヴェン・ニクヴェストが撮影を担当することになります。座長を演じたマックス・フォン・シドーは今後ベルイマンの作品に欠かせない俳優になっていきます。この映画は人間関係が複雑で、その点分かりにくく難解な印象を覚えるかもしれません。ただ、医者が座長に騙される恐怖のシーンなどは迫力があり、ビビ・アンデルセンの若々しさなども楽しめると思います。評価が極端に分かれる作品とのことですが、どう感じるかは皆さんがご自分で見て、判断されたらどうでしょうか?


イングマール・ベルイマン監督『野いちご』

2008-01-24 15:54:01 | ノンジャンル
 スカパーの260チャンネル「洋画★シネフィル・イマジカ」で、イングマール・ベルイマン監督・脚本の'57年作品「野いちご」を久しぶりに見ました。
 人々の会話の低俗さに人との付き合いを断ったのですが、年老いた今では孤独に苦しめられている78才のイーサム・ボルイ(ヴィクトル・シューストレム)は、それでも科学に貢献でき、子供ができない結婚した息子もいて、母も健在です。妻は昔に死にました。明日、名誉博士号を受ける夜、イーサムは奇妙な夢を見ます。無人の町。針のない時計。顔がくしゃっとつぶれて倒れて液体になってしまう男。馬車が柱にぶつかり、棺が滑り落ちると、中から自分が手首を握って中に引きずり込もうとします。目を覚まし、息子エヴァールト(グンナール・ビョルンストランド)の妻で家に帰るというマリアン(イングリット・チューリン)と一緒に授賞式に車で向かいます。マリアンからイーサクはエゴイストだと非難され、ショックを受けます。イーサクは途中で自分が産まれ育った家に寄り、野いちごを見つけて感傷的になり、夢の中で自分の青年時代に入って行きます。そこでは、弟のジーグフリードが自分のいとこで婚約者でもあるサーラを口説き、家では全員そろって夕食を食べ、威圧的な母が子供たちに注意します。サーラは(ビビ・アンデルセン)イーサクが立派すぎて、自分は釣り合わないと言い、ジーグフリードに言い寄られてイーサクに申し訳ない気持ちだと言います。アーロン叔父の誕生日が祝われ、楽しい気分になっている時、娘(ビビ・アンデルセン)の声で現実に引き戻されます。ここは今では娘の土地で、自分の名前はサーラだと言います。イーサクは彼女と彼女の男友達2人を乗せてやる事にします。交通事故に巻き込まれ、車が動かなくなった夫婦も乗せてやりますが、車の中で夫婦ゲンカをするので、降ろします。母の住む土地では、カソリンスタンドの店員が、ここの住民は皆ここで開業医をしていたイーサムを恩人だと思っていると言うので、イーサムはここにずっといれば良かったと後悔します。昼食の時に開業医だった時のことを話すと皆楽しんでくれました。信仰の話になり、イーサクが詩を語ると、皆感動します。イーサクとマリアンはイーサクの母を訪れ、思い出の品をいくつかもらいます。運転をマリアンに替わってもらったイーサクはまた夢を見ます。サーラが鏡を出して、「これが今のあなたよ」と老いた姿を写します。サーラはジーグフリードと結婚していて、赤ん坊の面倒を見ます。サーラとジーグフリードの仲睦まじい様子を窓の外から見て、ドアを叩くと入れてくれ、案内された部屋は教室で、生徒がいる中でテストを受けさせられます。結果は有罪で、次に診察させられた患者は死んでいるのに笑い出し、次は死んだ妻の男との密会の場面を見せられ、イーサクに孤独の罰が下されます。目が覚めると、マリアンが妊娠したことを夫に告げると、自分を取るか子供を取るか決めろと言われ、子供を取ることに決めたと言います。青年たちはイーサクの博士号授与を祝って野で摘んだ花の花束をくれます。パレードの後、名誉博士号を授与され、3人の若者は夜に彼の窓の下で音楽を奏でてくれ、別れを告げます。マリアンとエヴァールトも踊りに行く前に、ベッドのイーサクに挨拶に来ます。イーサクはいつも寝る前にするように、若かった頃を回想します。サーラと散歩するイーサク。釣りをする子供たち。平和で楽しい時間がそこには流れているのでした。

 映画賞を多く受賞し、ベルイマンが国際的に認められるきっかけとなった映画です。中でも印象的なのはイーサクが一番最初に見る夢で、奇妙な男の顔は忘れられないものです。今後、ベルイマン作品の顔になるイングリット・チューリンやビビ・アンデルセンもこの作品から出演しています。主人公の独白が多いのが特徴で、夢の中に年老いた自分が登場するのも単なる回想シーンを意味豊かなものにしています。ここでもシーンの転換にオーバーラップが多用されていて、独特のリズムを刻んでいます。39才にして老境の心象風景を撮れるというのはベルイマンがやはり優れた監督であることの証しでしょう。まだ見てない方にはオススメです。ちなみに、主人公を演じているヴィクトル・シューストレムは無声映画の時代に傑作を多く撮った大監督です。

イングマール・ベルイマン監督『夏の夜は三たび微笑む』

2008-01-23 15:46:32 | ノンジャンル
 スカパーの260チャンネル「洋画★シネフィル・イマジカ」で、イングマール・ベルイマン監督・脚本の'55年作品「夏の夜は三たび微笑む」を見ました。
 弁護士のエーゲルマンはデジレー・アルムフェルト主演の芝居を見に行きます。2年間付き合って、手酷く振られた相手です。今は年下のアンと再婚していますが、結婚して2年もたつのに、彼女は未だに処女です。息子のエンリックは聖職者の道を歩んでいますが、小間使いの18才の娘ペートラに誘惑され、彼の道徳心を子供扱いします。アンは未だにエーゲルマンとデジレーが付き合っているのではと疑い、苦しみます。夜、妻を寝かせた後、デジレーを訪ねたエーゲルマンは、自分と同じ名前の子供を見せられ、口論が始まると、デジレーの現在の愛人であり嫉妬深い軍人のマルコム伯爵がやって来て、エーゲルマンを叩き出しますが、彼は家政婦からデジレーがよりを戻したがっている、と聞きます。デジレーは母の家にエーゲルマン一家とマルコム夫妻を招きます。デジレーの母は夕食の時、飲むと恋をするというワインを皆に飲ませます。浮気をするマルコムを憎んでいる妻のシャルロッテに、デジレーはマルコムを返すと言います。ペートラはデジレーの母の家の中年の使用人に口説かれ、結婚しようとじゃれあいます。アンとエンリックは恋に落ち、駆け落ちします。エーゲルマンはシャルロッテとくっつき、それを見ていたデジレーはマルコムに密告し、マルコムはエーゲルマンに決闘と申し込み、ロシアン・ルーレットをしますが、マルコムが銃に入れていたのは弾丸ではなく煤でした。シャルロッテとマルコムは和解し、エーゲルマンはデジレーに慰められるのでした。

 「愛のレッスン」と同じく、喜劇です。男女の関係がめまぐるしく変わり、その度に登場人物は喜んだり悲しんだりし、それを見ている観客が楽しむといった映画です。最後のシーンは、ペートラと使用人が楽しそうに朝の屋外をころげまわるというもので、この映画の楽天的な面を象徴しています。ペートラを演じた女優は「不良少女モニカ」でモニカを演じた女優で、デジレーを演じたのは「愛のレッスン」で妻の役を演じた女優でした。この映画でも自然描写が美しく、オーバーラップを多用しています。「愛のレッスン」が気に入った方なら、この映画でも楽しめると思います。ぜひご覧になってください。

島本理生『あなたの呼吸が止まるまで』

2008-01-22 15:47:01 | ノンジャンル
 朝日新聞の年末特集記事「2007年 心に残った一冊」の対談で言及されていた島本理生さんの「あなたの呼吸が止まるまで」を読みました。
 舞踏家で、普段はその公演の資金作りのため、一日中大道具の製作の仕事をしている父を持つ12才の野宮朔(さく)は、父の公演のチラシを作った佐倉という青年と知り合います。母は舞踏に熱中する父に愛想を尽かし離婚し、父と朔の二人暮らしで、家事はもっばら朔の仕事です。学校で「ノルウェイの森」を読む朔の唯一の友人は、やはりはっきりと自分の思っていることを言うので友人がいない鹿島さんと正義感の強い男子の田島君です。夏休みには山の中での父の公演で、様々の人に出会い、学校では朔や鹿島さんをいじめるクラスメイトと戦います。私は父の帰りが遅い時、赤い立派なノートに物語を書いています。そしてある日、父が帰って来ないので、不安になって唯一連絡先を知っている佐倉さんに電話すると、彼の自宅に呼ばれます。そこでノートの物語を読まれ、佐倉さんにキスされ、体を触られ、彼の性器をしごかされ、彼は射精します。このことは2人の秘密だよ、という彼の言葉を後に私は部屋を飛び出します。それから私はひきこもり、父は気晴らしにプラネタリウムに連れて行ってくれて、父を好きであることを再認識します。父の公演の後、私が忘れて行ったノートに付箋を沢山つけて、佐倉さんは私に返します。私は佐倉さんを憎み、佐倉さんに電話をかけ、佐倉さんとの話を書いて将来出版すると言うのでした。

 すべて朔の一人称で語られる形で書かれていて、朔は小6の少女がここまで考えるか、というぐらい、個人の人生について、自分の人生について考えます。読んでる私は彼女の次から次へと変わる思考についていくのが精一杯で、人生ってこんなに複雑なものだっけ?と思ってしまいます。ノートに書かれた物語の内容も最後まで明かされず、著者のサービス精神に疑問を感じました。筆力はある方だと思いますが、これからもこの著者の作品を読もうという気にはなれませんでした。皆さんはどうお感じになるでしょうか?