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誉田哲也『吉原暗黒譚 狐面慕情』

2009-04-05 14:56:00 | ノンジャンル
 誉田哲也さんの'04年作品「吉原暗黒譚 狐面慕情」を読みました。
 江戸時代の吉原。黒い狐のお面を被った者たちが、立続けに3人の花魁を斬り殺し逃亡します。3人は、これまでの掟を破って丑三が金に困った上見世の楼主から買い、仲見世や下見世に貸し出していた花魁でした。同心の今村は丑三が以前強盗団に入っていたという噂を聞き出し、その強盗団に襲われた家を調べると、おようと言う娘が一人だけ生き残っていたことを知ります。そして4人目の花魁が襲われ、そこにちょうど居合わせた今村は、相棒の元忍びである彩音の協力もあって、狐面の一味を捕えますが、そのうちの一人は何とおようでした。おようは幼少の頃から父に折檻を受けて心に傷を持ち、また両親が目の前で丑三らに殺されたことでショックを受け、二重人格になっていたのでした。おようが憎んでいた父が実の父でないことを今村はおように知らせ、そのことでおようは二重人格から抜け出すことができ、また花魁殺しの首謀者は、今村の幼馴染みの同心であることが分かり、めでたしめでたしとなるのでした。
 誉田哲也さんの最初の時代小説だと思います。時代ものは苦手なので、飛ばし飛ばし読みました。今まで読んだ時代小説と同じで、やはり風俗描写や当時の社会背景の説明などが退屈で、人間関係も平板な感じはいなめませんでした。推理ものの時代小説を読んでみたいという方にはオススメです。

福岡伸一『できそこないの男たち』

2009-04-04 14:46:00 | ノンジャンル
 '09年5月号の月刊「ソトコト」で、福岡伸一さんがフランス・ナントの音楽祭でユリ・ケインのグループによる前衛的なバッハの演奏を絶賛していました。ユリ・ケインと言えば、私が1月にニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードで聞いたアーティストではないですか! もしかしてめちゃくちゃラッキーだったのかも。

 さて、その福岡伸一さんの'08年作品「できそこないの男たち」を読みました。
 第一章では精子発見の話、第二章では染色体発見の話、第三章から第五章までは男性になることを決める遺伝子の発見の話、第六章は人間の胎児はすべて女性になることが基本であり、そこから分岐して男性ができるという話、第七章は1年のうち一回だけオスが生まれるアリマキの生態から考えると、生物の基本はメスであり、オスは遺伝子に変化を与えるためにだけ存在するものだという話、第八章は男性は女性に比べて病気にかかりやすく、ストレスも感じやすく、生命力が弱いという話、第九章は遺伝子の形から人間が地球上を移動していった経路が分かるという話、第十章と第十一章は遺伝子研究で名声を得た夫婦の栄光と転落の話です。
 この本で初めて知ったことは、染色体に応じてタンパク質を作る際、染色体のある部分でタンパク質を作ると、そのタンパク質は自分が接続できる染色体の別の部分に移動し、そこで別のタンパク質を作るスイッチを入れるという動作を繰り返すということ、人間の性器は最初女性器を基本として作られ、途中から男性に分化する時には、膣口は塞がり、割れ目は閉じられて、その痕が「蟻の門渡り」になること、男性ホルモンは免疫システムを低下させる働きがあるので、男性は女性よりも生命力が弱いこと、日本には4回大規模な移民が行なわれていたこと、心臓の細胞には再生機能がないため、ガンにはかからないことでした。そういう点では勉強になったのですが、本題とは離れた科学者のスキャンダルの話なども書かれてあって、散漫な印象を与える本でもありました。
 かなり専門的な本なので、理科系の本が苦手な方にはついていけない部分もあるかもしれません。理科系の本が好きな方にはオススメです。

誉田哲也『アクセス』

2009-04-03 18:11:00 | ノンジャンル
 誉田哲也さんの'04年作品「アクセス」を読みました。
 高校生の可奈子は、同級生の丸山から、友人にプロフィールを入力してもらうと携帯電話の利用料が無料になるサイトを紹介され、自分もいとこの雪乃にそのサイトを紹介します。雪乃は友人の翔矢に紹介し、また翔矢は元同級生の芳光に紹介します。しかし、そのサイトには隠し文字で、ここに署名した人間は闇の世界に生きる自分たちに肉体を受け渡し、その代わりに自分たちの世界に魂を送ることを誓うことが書かれていました。第一の犠牲者の芳光はオークションで買った日本刀で過って首を切ってしまい、その時の恐怖から別の人格に肉体を乗っ取られてしまいます。彼は次々に殺人を犯し、最後には翔矢の首をはね、雪乃と可奈子の魂を闇の世界に送り、闇の世界の住人にその肉体を与えます。闇の世界に送られた可奈子は、やはり闇の世界に送られていた同級生の尚美の助けを借りて、自分の肉体を取り戻す訓練を積みます。そんな中で、可奈子は雪乃に出会いますが、闇の住民たちに凌辱された雪乃は自分の魂を消してしまいます。可奈子は尚美と協力して、闇の住民から自分の肉体を取り戻し、またやはり闇の住人に乗っ取られていた雪乃の肉体から闇の住人を追い出して、尚美の魂を迎え入れるのでした。
 かなり残酷な描写がありますが、飛ばし飛ばしながら何とか最後まで読むことができました。一人称で語られる部分はかなり退屈でしたが、それ以外の部分はそれなりに楽しめました。暇な時間をつぶしたいという方にはオススメです。

イザベラ・バード『日本奥地紀行』

2009-04-02 17:15:00 | ノンジャンル
 高野秀行さんが推薦する、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読みました。1878年、外国人として初めて日本の東北地方、北海道を旅した著者が書いた紀行文です。
 500を超えるページにびっしりと書かれた文は、よくここまで書き残すことができたと思えるほどに詳細な描写で埋めつくされていて驚きます。また、そこから新たに知ることのできることもいくつかあり、例えば、当時人の移動手段として一般的であった人力車の車夫は、その激しい労働から重い心臓病や肺炎にかかり、仕事を始めて平均して5年で命を落としていたこと、外国貨幣の中で日本国内で唯一使えたものはメキシコ・ドルだったこと、当時から田舎でも子どものパーティが行なわれていたことなど、本当かどうかは分からないのですが、本当だとしたら興味深い事が書かれていました。また、著者が勘違いしているものも幾つかあり、例えば、「いろはにほへと」を学校で教えているのは、東洋独自の人生嫌悪の情を教えるためであるとか、日本の昼の時間はイギリスに比べて短いとか、日本人のガイドはいるにしても、単独で旅をしているためか、こうした誤解も結構目につきました。当時の日本の田舎の貧しさも繰り返し書かれていて、洗濯をしないとか、夏はほとんど裸だとか、様々な貧しい様子が書かれているのですが、考えてみると、これが書かれた10年ほど前までは江戸時代だった訳で、田舎の人々、つまり農民が貧しいのは当たり前と言えば当たり前の話でした。
 ということで面白い部分もあるのですが、内容がとにかく網羅的で、目についたもの、耳に入ってきたものは全て書き出すという態度で書かれているので、途中から読むのが苦痛になってきて、130ページを超える辺りから、バードによる素晴らしく具象的なデッサンを見るだけで読書を終えてしまいました。そうした単調な文にも耐えられ、民俗学的なものに興味のある方にはオススメです。

クェンティン・タランティーノ監督『デス・プルーフ in ブラインド・ハウス』

2009-04-01 15:07:00 | ノンジャンル
 俳優の大木実さんが亡くなりました。享年85歳。膵臓ガンだそうです。大木さんの代表作は何といっても、マキノ雅弘監督の「日本侠客伝」シリーズでの絵に描いたような悪役でした。今でもその余りの憎々しさに、高倉健扮する主人公とともに怒りの込み上げるのを抑えながら映画を見たのを覚えています。貴重な役者さんでした。ご冥福を申し上げます。

 さて、WOWOWで、クェンティン・タランティーノ監督が共同製作・脚本・撮影を兼ねた'07年作品「デス・プルーフ in ブラインド・ハウス」を見ました。
 「テキサス州 オースティン」の字幕。3人の若い女性が車に乗り、恋愛談義、セックス談義をしながら酒場に着きます。そこで食事をしながら仲間を呼び出し、4人で別荘へ泊まりに行きます。すると酒場で酒も飲まずに長居していた男、スタントマン・マイク(カート・ラッセル)は一人の若い女性を誘って自分の車に乗せると、急停車を繰り返し、後部座席と前座席を仕切るガラスに女性の頭をぶつけて殺し、その後先程の4人の乗る車に正面衝突して4人を殺します。マイクは軽傷を負っただけで助かり、保安官は彼の殺意を見抜きますが、証拠がないため、見て見ぬふりをします。「テネシー州 レバノン」「14ヶ月後」の字幕。4人の女性が車に乗っているのを見つけるマイク。そのうちの一人が映画「バニシング・ポイント」に使われていた車を手に入れるため、売りに出している男のところへ向かい、男をうまく言い包めて3人で試乗します。1人が走る車のボンネットに乗ってはしゃいでいるところへマイクが現れ、3人は危うく殺されかけます。マイクが彼女らに近づいてきたところを、女性たちのうちの一人がピストルで撃ち、肩をやられたマイクは逃げ出します。女性たちは彼を追いかけ、先程とは逆に彼の車に自分たちの車を体当たりさせ、最後にはマイクの車を横転させて、彼を車から引きずり出します。そして3人で代わる代わるパンチを繰り出し、マイクが伸びたところを一人が頭を踏みつぶすところで映画は終わります。
 70年代風の音楽、故意に入れられたフィルムへの傷など、ノスタルジックに描かれていますが、携帯電話が出て来るので現代の話だということが分かります。延々と続く女性の雑談に辟易していると、突然暴力的な場面が現れ、血まみれの女性、ちぎれた足、車から放り出され宙を舞い地面に叩き付けられる女性といった画面が無造作に提示されます。日常における暴力というのがタランティーノ監督の嗜好なのでしょうか? ちょっとついていけない気がしました。血まみれの女性を見たい方にはオススメです。