マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

人は見かけによらない

2018-07-20 07:54:47 | ぼやき日記

良い意味でも悪い意味でも人は見かけによりません。

 

問題なく暮らしているように見えても、実はそうでなかったり、何か辛いものを抱えていそうでそうでなかったりいろいろです。

 

母もそうです。

認知症ですから、かなり大変です。だけど、母の場合は、外向きにはそれほど問題を起こしそうには見えないのです。外向きには、普通に接することができます。

 

ですが、二人になると、途端に自分の中に渦巻いている不安が噴出し、

あれはどうなっているのか?

何をどうするのか?

機関銃のように尋ねます。最初は普通に答えますが、答えた直後にまた同じ質問を繰り返します。一時間に数百回になることもしょっ中です。

 

またスーパーなどでは、食品をやたらに触りたがります。これはやはり他のお客さんにも悪いし、お店にも悪いので、一緒に行くと注意深く目配りしないといけません。

しかも、カゴを見たら入っているのは自明なのに、豆腐と卵をまだ買っていないと繰り返します。カゴに入っているよと言っても、一瞬で忘れるのでダメなのです。

そんな状況なので、一緒に買い物に行くときは気が滅入ります。駐車場の車の中で待っていると言うのですが、それを許すと、勝手に車から出て、鍵をかけず、駐車場を徘徊したり、店内にやって来ます。以前は駐車場のブロックにつまずいて転んだこともありました。ですから、駐車場に一人残して買い物は無理なのです。

ですから、私は母とスーパーで買い物に行くときはとってもナーバスになっているのです。

 

昨日は、尼崎に膝の治療に行った帰りにスーパーに行きました。母がやたら触るのを見張りながら買い物していたら、急に娘から携帯に電話がきました。

その電話に気をとられているほんのわずかな時間に、母は、魚売り場で、魚のパックを指で押していました。

「ダメよ! 触ったらダメ!」

つい、大きな声を出してしまいました。こういうとき、母は急に我に帰るのです。

「何、大きな声を出していの?」

「だって、お母さん、今日は買うものはもう決まっているの。お魚を買う日ではないから、頼むから触らないで!」

「私は、何も触ったりしていない。あんたが大きな声を出すからびっくりした」

「とにかく、触わっちゃだめ」

それからは、手を取って、触らないように注意してレジを終えました。

 

そしたら、

「私は、母親を7年も見て見送った人間ですけど、そして母は少し認知も入っていたんです。あなたのような言い方をすると、夜泣きしますよ。言い方を考えるべきです。見苦しいわ。」

と見知らぬ年配のご婦人に諭され、私は、すぐに謝りました。そして、アドバイスを受けました。皮肉にも母は自分のことで私が怒られているのに、心配そうにするのです。

私も決して母にきつい言い方をするつもりではなく、認知症が進む前は、できるだけ穏やかに対応しておりました。

しかしここまで進むとどうしても冷静に対応ができなくなるのです。今は四歳ぐらいの聞き分けがなくて落ち着きのない子供の状態の時があるのです。皆さんだって自分の子が、スーパーで商品にやたら触ったりするのを注意しませんか?でも人からは高齢者を虐待しているように映るのです。

言い訳はしませんでしたが、私はすでに、介護は、父を入れるとその方の7年以上の年数携わっているのです。しかも主人もいたのでダブルの時代も経験しています。そんなことをいちいち初対面の方に言うつもりもありません。

 

認知症の症状も、介護の内容も人によって様々です。ですから、自分の経験が必ずしも他の方へのアドバイスになるわけではありません。

長く介護をしていらっしゃる方は、それだけ経験を重ねて多くの情報をお持ちなのはわかりますが、それ故に、自分の経験が全ての人に当てはまると勘違いしておられる人がおられます。そのためにアドバイスがアドバイスになっていないことが起きるのです。

 

以前、介護に携わる人のためのお茶会に参加した時に、その会の責任者の方が

私は、子育てをしながら寝たきりの舅の介護を家でしてきました。そして施設に入れることなく最後までみました。みなさん、できるだけ家で見てあげてください、お年寄りは家で死にたいのです。

とおっしゃいました。

私は母を施設には預けてはおりませんが、家でみるということが何より大事というのは間違いだと思っています。家族全員が健やかに暮らすために最も無理のない方法を選択するのが正しいと思っております。家でみることを人に押し付けるのは間違っています。会の代表者ご自身は立派な方で尊敬しますが誰にもできることではありません。しかも認知や病気の程度で介護の内容が違います。やむなく施設に入れるしかない人を責めるのは気の毒です。

自分がやりきった、頑張ったと思っておられる方は、それ故に、介護の真っ只中にいる人を傷つけることもあるのです。

 

お仕事として、専門的に、認知症に多く関わっている方ほど、認知症の本人よりも、介護している人のケアを大切に思ってくださるので、それで救われています。

介護をされる人も、介護をする人も両方が、幸せになれる方法を考えることが必要なのです。

 

多くの皆様が、排泄の世話を大変そうにおっしゃいます。確かに大変です。私も父で経験しました。だけど、排泄は、マスクをして手を綺麗に洗えば問題なくできます。

 

私はそれよりも、精神的なことで悩みます。ぞんざいな対応や大きな声を出したりした時は自分を責めています。毎日の夕方の落ち着きのない母への対応には頭を抱えています。

 

人は見かけによらない。

人はそれぞれに事情があると思えば、どう接するのが正しいのかわかってくるように思います。

 

いよいよ母を連れて帰省します。無事に休暇を終えた時は、人が褒めてくれなくても、自分で自分を褒めようと思います。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

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