貧困というのは、いつの時代にもついてきます。特に我々の親の親、さらに親の親の親、さらに親の親の親の親の世代、もっと前の世代は一握りの人を除いて貧困を経験していない人は少ないと思います。
実家の祖母の祖父母の時代には、飢饉があり、道端の草を食べたのだと小さい頃に聞きました。祖父母の時代には、家族を飢えさせまいと、農業に精を出し、お金が貯まると、田畑を手に入れて、さらに収穫を上げようと必死だったと聞いています。
大正5年に、貧困問題を取り上げて、新聞に連載した経済学者がいらっしゃいます。河上肇という人です。
この人も人を幸せにするにはどうしたら良いのか真剣に考えた人です。そのために、貧困について分析しました。
マルクスの資本論も、おそらく貧困や、格差がどのようにして生まれるのか、みんなが幸せになるためにはどうすれば良いのかを考えて書かれたものだと思います。
その後社会運動に発展し、社会主義国ができたのも、こうした流れからだと思います。
左翼運動に対抗して、資本主義国も修正資本主義という形で、広く国民に手厚い政策を打ち出すことになりました。
その結果、皆幸せになれたのか。
簡単に答えを出すことは難しいです。
そこで、まず当時の河上先生の本を読んでみることにいたしました。最初は青空文庫で試みましたが、旧仮名遣いになれないので、現代訳の本を手に入れました。これでかなり楽になりました。
貧困の問題の元は一体何でしょうか。
実家で申告を終えた後、翌日の朝から片付けをすることになり、必死で頑張りました。
それで、お昼は、久しぶりに浜田駅近くの福新楼の焼きビーフンを食べました。
野菜がたっぷりでやはり美味しいです。
少なくとも今の私は、食べなければ死んでしまうほどの貧困ではなくて幸せです。
片付けを終えて、少し疲れましたが、どうにか西宮に帰り着きました。
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