南部藩に使えた新渡戸家は、昔から、高潔な人格を誇りとして生きた来た方々です。そんな中で生を受けた新渡戸稲造は、日本の素晴らしさを理解した上で、太平洋の橋渡しをすべく尽力します。
まさか、花巻で、この人のことを知るとは思いも寄らず、訪れた記念館でした。
明治維新によって日本は近代化を推し進めたのですが、その中で新渡戸稲造は、農業技術を学びながら、英語力を鍛え、海を渡りました。
日本の素晴らしさを、海外に伝えるとともに、国際人とし活躍しました。
彼の著書 武士道は様々な言葉に翻訳されて、世界中の人に読まれました。
学ぶということは何を意味するのか、
我々は学んでいくとともに、心を鍛えているだろうか? 頭でっかちになっていないだろうか? 私利私欲に走っていないだろうか?そんな子供を自分たちが育てていないだろうか?
立ち止まって考える必要があると感じました。
彼は、人より多くのことを学んだ後、経済的な理由で学業を断念せざるを得ない人たちのために、夜学の学校を開きます。アメリカ人の奥様も協力を惜しみませんでした。
今の日本は格差が広がりつつあると皆は心配していますが、当時はもっとひどい格差社会です。しかも世界的にも日本は認知されていない国でした。そんな中にあっても、やる気のある人には等しくチャンスを与えようと動いた人たちも数多くいました。
それを思えば、今の方が、やる気になればなんでもできる気がします。
私の年代は、日本はダメな国だから戦争に負けた、アメリカは自由で素晴らしい国だから、見習うべきところがたくさんあると育ちました。何かにつけて、日本はこんなところがダメと行ってしまう傾向があります。
日本はダメじゃない。有史以来培われた、日本人の心は素晴らしいものであることを、新渡戸稲造は認識していて、それを世界に広めたのです。
日本が、満州事変により、大陸に進出を果たし、世界の中の立場が悪くなったことを心配して、新渡戸稲造は奔走しています。最後は会議で訪れたカナダで体調を崩し客死することになりました。
あの時、何人もの有識者は、アメリカとの開戦は避けるべきだと主張していたのに、なぜ開戦に至ったのか、胸が痛みます。もう少し彼が長く生きていたら、避けられたのでしょうか?そんなことを、帰りの飛行機の中で考えておりました。
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