米の支援申し出に、閣議で「単に原発事故の情報が欲しいだけではないか」相互不信が高まる
2012.2.28 00:20
民間事故調の報告書は、福島第1原発事故対応における日米同盟の役割にもスポットを当てた。日米両政府間の意思疎通が機能不全に陥る中で、防衛当局間のラインが「最後のとりで」(野
中郁次郎委員)になったと評価している。
報告書によると、昨年3月11日の事故直後、「日米関係は最大の危機に直面」していた。米側は不十分な情報提供にいらだちを募らせ、独自に日本政府より広 く原発の半径80キロ圏内の
避難勧告発令に踏み切った。一方、日本も15日の閣議で、米の支援申し出について「単に原発事故の情報が欲しいだけではない か」との発言が飛び出すなど、相互不信が高まっていた。
だが、自衛隊と米軍は震災直後から「日米調整所」を防衛省内などに設け、救援や事 故対応で連携。外務省や東電を交えた日米当局者の会議は防衛省内で開催された。22日に官邸主導
の日米会合が立ち上がるまでの間、「日米間の調整を担った のは自衛隊と米軍の同盟機能だった」という。
報告書は日米同盟の今後の課題として、「今回の事故と似通った事態が想定される核テロ攻撃時の運用体制構築」を挙げている。(千葉倫之)
パニックと極度の情報錯綜 「やめた方がいいですよ」 枝野氏は菅首相にダメ出していたが…
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福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の報告書から浮かび上がるのは、「パニックと極度の情報錯綜(さくそう)」(報告書)に陥り、「テン パッた」(同)状況となった当時の菅直人首相や
官邸中枢が、現場に無用な混乱を招き、事故の危険性を高めた実態だ。調査の結果、菅氏による「人災」が証明 されたといえる。
「厳しい環境の中でやるべきことはやった。一定の達成感を感じている」
菅氏は昨年8月の首相退陣表明の記者会見でこう自賛した。だが、報告書が指摘するのはむしろ、やるべきでないことばかり繰り返した菅氏の姿だ。
報告書によると菅氏が東日本大震災発生翌日の3月12日早朝、東京電力福島第1原発を視察することに、当初は枝野幸男官房長官(当時)も海江田万里経済産業相(同)も福山哲郎官房副
長官(同)も反対だった。
ところが、「言い出したら聞かない」(報告書)菅氏は視察を強行する。視察に同行した班目春樹原子力安全委員長は現地に向かうヘリ機中で種々の懸念を説明しようとしたが、菅氏は「俺は基
本的なことは分かっている。俺の質問にだけ答えろ」と聞く耳を持とうとしなかった。
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また、菅氏は第1原発に代替バッテリーが必要と判明した際には、自分の携帯電話で担当者に「大きさは」「縦横何メートル」「重さは」などと質問 し、熱心にメモをとっていた。同席者は「首相が
そんな細かいことまで聞くというのは、国としてどうなのかとぞっとした」と述べたという。
菅氏が官僚機構に不信を抱き、セカンドオピニオンを求めるために3月中に次々と6人もの内閣官房参与を任命したことには、当時からメディアで「船頭多くし て船山にのぼる」という批判が
強かった。この点について枝野氏は事故調に「常に『やめた方がいいですよ』と止めていました」と証言した。官邸中枢スタッフ もこう述べている。
「何の責任も権限もない、専門知識だって疑わしい人たちが密室の中での決定に関与するのは、個人的には問題だと思う」
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菅氏が原発事故の初期段階以降も他の閣僚や事務レベルに適切な権限委譲を行わず、引き続き直接的な関与を続けたことへの批判も指摘されている。
「(政府と東電の)統合本部の士気を低下させるから、なるべく菅さんが出てこないように言ってほしいと何人かから頼まれた」
これは官邸スタッフの言葉だ。同様の証言は報告書を待つまでもなく、当時から枚挙にいとまがない。
報告書は「菅首相の個性が政府全体の危機対応の観点からは混乱や摩擦の原因ともなったとの見方もある」と指摘する。ただ、これは「前首相」に一定の配慮を示した控えめの表現だろう。(阿
比留瑠比)
【第1章・福島第1原発の被災直後からの対応】
事故の直接の原因は、津波に対する備えが不十分で、電源喪失による多数の機器の故障が発生したことに尽きる。設計で用意された注水手段から、代替注水へと切り替えることができな
かったことが決定的な要因となり、放射性物質の放出抑制ができなかった。
その原因はシビアアクシデントに対する備えの不足と連絡系統の混乱である。背景には、複合災害の影響として通信や輸送の手段が限られたことや、隣接するプラントの水素爆発等の影響を
受け、作業環境が悪化したことを指摘できる。
【第2章・環境中に放出された放射性物質の影響とその対応】
放射性廃棄物の処理について、従来の法体系で規定されていなかった。一般廃棄物や災害廃棄物の受け入れに支障が出ているケースが存在する。低線量被曝(ひ ばく)に対する科学的理
解の不十分さが、社会的混乱を招いた一つの要因とも思われる。政府は事故による被曝をX線撮影などと比較していた。しか
【第3章・官邸における原子力災害への対応】
官邸の現場への介入が原子力災害の拡大防止に役立ったかどうか明らかでなく、むしろ無用の混乱と事故が発展するリスクを高めた可能性も否定できない。
▽東電からの退避申し出
東電側は全面退避の申し出をしたことがなく、必要な人員を残す前提だったと主張している。しかし、必要な人員の数や役職等を具体的に示していない。多くの 官邸関係者が一致して東電の
申し出を全面撤退と受けとめていることに照らしても、東電の主張に十分な根拠があると言いがたい。
▽「最悪シナリオ」作成の経緯
3月14日夜、2号機が注水不可能な状態に陥った前後から菅直人首相はじめ官邸の政治家は「最悪シナリオ」という言葉を漏らすようになった。菅首相の要請 を受けた近藤駿介原子力委員
長は22日から25日にかけて今後ありうる「最悪シナリオ」をコンピューター解析で作成。4号機と他号機の使用済み燃料プール の燃料破壊が起きた場合、住民の強制移転は170キロ以遠に、
年間線量が自然放射線レベルを大幅に超える地域は250キロ以遠に達する可能性があるとの結 論を導き出した。政府と東電は4号機の燃料プールが「最悪シナリオ」の引き金を引きかねない
とし、プールが余震で壊れないよう補強することを緊急課題とし た。「最悪シナリオ」の内容は官邸でも閲覧後は回収され、存在自体が秘密に伏された。
し、自主的 な被曝と事故として受ける違いを考慮せず、より不信感を招いた。
報告書要旨
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▽菅首相のマネジメントスタイルの影響
菅首相の個人的資質に基づくマネジメント手法が、現場に一定の影響を及ぼしていた。行動力 と決断力が頼りになったと評価する関係者もいる一方、菅首相の個性が政府全体の危機対応の
観点からは、混乱や摩擦の原因ともなったとの見方もある。菅首相 のスタイルは、自ら重要な意思決定のプロセスおよび判断に主導的役割を果たそうとする「トップダウン」型へのこだわりと、強
く自身の意見を主張する傾向が 挙げられる。
【第4章・リスクコミュニケーション】
多くの国民は原発事故や放射能の不安におびえ、血眼になって情報を求め た。政府は国民の不安にこたえる確かな情報提供者としての信頼を勝ち取ることはできなかった。あいまいな説
明、発表情報の混乱、SPEEDIなど情報開示 の遅れが繰り返され、政府の情報発信に対する国民の不安や失望感が深まった。放射能汚染の拡大や住民退避を懸念する海外に対しては、さら
に脆弱(ぜいじゃ く)な情報発信しか行われなかった。
【第5章・現地における原子力災害への対応】
官邸主導の原子力災害対策本部における対応の混乱、東電との情報共有不足により各機関が十分に連携した対応を行うことができなかった。
▽SPEEDI
文部科学省は3月15日以前からSPEEDI計算結果の公表を求められ対応に苦慮していた。16日に原子力安全委員会に運用を一方的に「移管」した後は、 直接の対応を回避する姿勢に転
じた。文科省の対応には後日の批判や責任回避を念頭においた組織防衛的な兆候が散見され、公表の責任のあいまい化、公表の遅 れを招く一因になった可能性も否定できない。
【第6章・原子力安全のための技術的思想】
原子力技術の米国の動向の追随は、事故の遠因になっている可能性がある。米国の動向を学びながら自主的に対策を追加していったものの、わが国に固有のリスクを十分に考慮できなかった。
【第7章・福島原発事故にかかわる原子力安全規制の課題】
外部事象のリスクを規制関係者がそれほど重大なものとみなしていなかった。
日本の官僚機構は前例踏襲を重んじ、原子力安全のように常に新しい知見を取り込んで改善・向上させていくものとは親和性が低い。保安院が公務員の通常の人 事ローテーションに組み込
まれ、専門的人材を長期的に育成するシステムになっていないのに加え、法律や指針の改定には多大の時間と労力がかかるため着手し にくい環境を生む、行政機構特有の性質がある。
【第8章・安全規制のガバナンス】
日本は国際的な安全規制の標準を形式的に は満たしていたものの、実行的な安全規制をする能力が不十分で電気事業者に対抗するだけの技術資源をもたない原子力安全・保安院、十分
な法的権限と調査分 析能力をもたない原子力安全委員会、圧倒的な技術的能力、資金をもつが、安全規制の強化に対して当事者としての責任を果たそうとしなかった電気事業者、と いったさ
まざまな思惑や利害関係を含みながら実践されてきた。安全規制の一義的な責任は電気事業者にあり、保安院は監督、安全委は安全規制の指針を作る分 業体制が作られていたが、非常時で
は十分な機能を果たすことができなかった。
【第9章・「安全神話」の社会的背景】
中央と地方の2つの「原子力ムラ」がそれぞれ独自の「安全神話」を形成しながら、結果的に原子力を強固に推進し、一方で外部からの批判にさらされにくく揺るぎない「神話」を醸成する体制を
つくってきた。
【第10章・核セキュリティへのインプリケーション】=略
【第11章・原子力安全レジームの中の日本】=略
【第12章・原発事故対応をめぐる日米関係】
福島原発事故は、日米関係にとっては安全保障上の危機管理能力が問われる事態だった。事態が急速に悪化し、迅速な判断が求められた。しかし、深刻な複合災害に対する想定や備えが
欠如していたため、具体的な対処方法の決定では手探りの状態が続いた。
【最終章・福島第1原発事故の教訓-復元力をめざして】
▽事故は防げなかったか
全電源喪失を起こした11日から、炉心損傷が始まり海水注入を余儀なくされたその日の夜までの最初の数時間に破局に至る全ての種はまかれた。
▽人災-「備え」なき原子力過酷事故
冷却機能が失われたのに、対応が12日早朝までなされなかったことは、この事故が「人災」の 性格を色濃く帯びていることを強く示唆している。「人災」の本質は、過酷事故に対する東電の備
えにおける組織的怠慢にある。背景には、原子力安全文化を軽 視してきた東電の経営風土の問題が横たわっている。
不十分なアクシデントマネジメント策しか用意していなかったことを許容した点では、原子力安全・保安院も、保安院の「規制調査」を任務とする安全委も責任は同じである。
SPEEDIは放射能拡散予測の「備え」として喧伝(けんでん)されながら、まったくの宝の持ち腐れに終わった。文科省や安全委は「放出源データが取れな いという不確実性」を理由に、活用
には消極的だった。SPEEDIも結局は原発立地を維持し、住民の「安心」を買うための「見せ玉」にすぎなかった。
▽安全規制ガバナンスの欠如
原子力安全・保安院は、規制官庁としての理念も能力も人材も乏しかった。安全規制のプロフェッショナル(専門職)を育てることができなかった。事故の際、 保安院のトップは、官邸の政務中
枢の質問にまともに答えられず、東電に対しては、事故の進展を後追いする形で報告を上げさせる、いわば「御用聞き」以上の 役割を果たすことができなかった。
▽「国策民営」のあいまいさ
原災危機においては、政府が最大限の責任を持って取り組む以外ないということを如実に示した。事故が起こった場合の国の責任と、対応する実行部隊の役割を法体系の中に明確に位置づ
けなければならない。
資料を探していてやっと見つけました。関連資料がまだあると思います。