2005年10月27日から31日まで、向日市と中国杭州市友好交流協議書締結20周年記念公式訪中団(久島市長・赤井議長・大橋議員・太田議員・清水秘書)の一員として中国杭州市ヘ行った。公式行事でのお互いの挨拶などは、市の方から発表されるべきものだからその点にはふれず、私の責任で、中国の姿を見たまま、思ったままを書きとめておきたい。(11月の始めから15日まで20回に分けて書いたものを整理し若干付け加えたものである。)
1、 空から見た杭州
関空を飛び立って約2時間、陸が見えてきた中国である。大きな畑が長方形に広がる、今度は緑の塊、山のようだ。低くなるにつれて道路も見える。余り自動車は走っていない。都会が近づくにつれて車は多くなってきた。河も見える、もうすぐ着陸だ。
空港近くの畑は、大きな田の字がずーとつながっている。畑の周囲には家がある。そうして、畑の中にも整然と家が立ち並んでいるのだ.着陸してわかったが、4階だての大きな一軒家が立ち並んでいた。一軒に3~4人しか住んでいないとのことにびっくり。
この近くの農家は、中国の農村の中では、一番裕福だと言う。一軒の耕作面積が相当広いのだろうと思う。都会が近いので作った物が すぐ売れるのだろう。
空港には 杭州 Hangzhou,南山と大きな看板が出ている。「ハンジョウ」と発音する。
全く関係がないのだが 私の住所が、向日町南山である、杭州の南山に空港がある。なにか親しみを感じながら飛行機を降りた.中国への第一歩は、近親感から始まった。
2、はじめに出会った人は、杭州市外事弁公室の職員だった。
出迎えにきてくださったのは、日本語の上手なお二人の方だった。中国での公務員は、エリート集団である。日本のように、公務員を減らせ減らせと言う責任者はいない。
日本語の通訳は、何人おられるのかしらないが、4名の名前を聞いていたのでそれ以上おられる事は確かである.わが日本からは、1人の通訳もつれていっていない。ちょっと恥ずかしい。早く養成していかないと、対等な付き合いとは言えないのではなかろうか。
帰るまでずっとついてくれたK氏(50才~55才くらい?男性)は、われわれの、「どのような方法で日本語を覚えたのか?」との質問に、「若いときに、日本から来る旅行者に、日本語を教えてほしいとメモを持ってくっついて歩いて覚えたた。」と言うのである。
そんなこと本当だろうか、と思ったが、それが事実だと証明されるのに余り時間はかからなかった。
なぜなら、知り合いの中国語の先生にその事を話したら、「国交回復してすぐに中国旅行に行ったとき、何人もの青年が教えてくれとついてきた。その内の一人が、今でも私の友人だ。」と言う。当時の青年は、学校で日本語を教えてもらえなかったから、そんな努力をされたのかと驚いた。
その勉強をもとにして職につき、今では、何度も日本にきていると言っていた。
ところが、上海へ行くとき旅行会社から30歳くらいの青年が道案内にこられた。上海は道路がややこしくて杭州の人は、すぐ間違うからだ。
彼にも同じ事を聞いたら、そのこたえは「学校で習った、忘れないように通訳になった、しかし、日本に行った事がない。」と言う。 お二人の経歴から時代の違いを感じた。
話しは変わるが、行政に責任を持っている公務員の上級職員のなかで、都市部で町づくりや、産業の発展に貢献した人は、地方都市の新しい指導者として派遣される事になるという。そうして早く全国のレベルを引き上げるのだそうだ。
日本では、「左遷」のイメージがあるが、本質的な違いがあるのだ。若い元気な幹部は、積極的に引き受け奮闘していると言う。中国では、公務員が国民を指導する先進部隊なのである。だから常に責任は重い。外事弁公室は、外国に対する中国の顔なのである。
早く多くの方々と、よい友人になりたいものである.
3、宿泊ホテル・浙江省世界貿易中心大飯店
ここで三泊した。5ツ星の大きなホテルである。
部屋のテレビは、なんと35チャンネル、もちろんNHKのBSチャンネルがなまで写る。朝の番組で時計が写っているが時差は日本が一時間早い。ヨーロッパ、アメリカ、インド、関係までストレートで見られる。なんの制限もしていないのである。日本もそうあるべきだ。日本は自由? 中国は統制?と思っていたら、大間違いである。
中国の国内放送も全国的なものから、杭州テレビまで映るのだが、なぜか字幕がついている。日本の場合は国内放送全てに、字幕を付けていることはない。検閲してから映しているのかと聞いてみると、耳の不自由なかたの為と、国土が広く普通の方でもわからない言葉があるという。誰にでも理解できるような配慮だと言う。国土が広すぎるのだ。
このことに関連して面白い話をしてくれた。ベトナム戦争のとき、中国から派遣された最初の支援部隊の作戦が普通の中国語だったために、相手軍に傍受され、ことごとく失敗したのだと言う。そこで何州(名前を忘れた)だったか、地方の方言で中国人にも全くわからない言葉を喋るところがあるのだという。その州の兵隊に総入れ替えをし、後の作戦を成功させたのだという。広い中国ならではの話しだ。
テレビで中国内での「美人コンテスト」の様子や、若者の「のど自慢」、クイズ、映画、たけしのヤクザ映画までやっていた。案外たけしの名は知られていると言う。
化粧品や美容に関するコマーシャルもあった。持っていくお土産は化粧品が喜ばれるという。番組の予告もよく出てきた。オカマチャンまで出てきたのにはちょっと目を疑った。 あくる日、通訳に聞いた。そうしたら彼は、「何もびっくりする事はない、今の中国には世界中にあるものは何でもある」そして付け加えた「良いものも、悪いものも」と。
4、天長小学校・向陽小学校と姉妹校
街の中のこじんまりとした学校である。900人ほどの子どもがきている。80パーセントほどが近所(校区)の子で、他はよそからきている。4階建ての校舎が、コの字型に立ちその横に運動場がある。土地の広い中国では珍しく、ちょっと狭いといっておられた。中庭は美しくしてある。1クラスは30人で9月から1学期が始まる。6・3・3制は日本と同じだ。
校門を入ると主な先生と2人の生徒が、花束を持って出迎えてくれた。生徒がわれわれ全員に学校のワッペンを胸元に貼ってくれた。応接室にとうされ お互いの紹介のあと「概要」を聞いて校舎を回った。
第一印象として、先生はみんな大変若く20代~30代で、校長先生が40才位?かな、非常に素敵な女性の校長先生で、30分も一緒に居ればみんなスキになってしまう。男性の先生が2割位おられたのかと思う。
どこの小学校も先生は若い女性が多いと言う。日本でも小学校は若返りが必要だ。入学から2ヶ月しかたたないのに、一年生は皆しっかり勉強している。基本的に大型テレビ授業のようである。1年生から週に1時間英語の時間がある。2年2時間、3年3時間だ。
テレビで英語のマンガを見ている。所々止めて単語や発音を教えまた続きを見る、と言う具合だ。国語は8時間だと言う。バレー(舞踊)の時間がある。音楽も楽しそうだったし、子どもも先生も目の色が違うという感じで、こちらは、目のうろこが落ちる思いだった。
金沢市に視察に行ったとき、小学校1年から英語を教えているが、どのようにして教えるのかと言う先生方の研修に、中国に行っているとの説明である。なるほどと納得である。
子どもは、教室の移動もリーダーがつれていく、きちっと2列に並んで歩いているので日本では見られない光景だ。赤いネッカチーフをしている子は、リーダー的な子なのだと後で知った。
メガネをかけている子が多いのは、ちょっとびっくりである.休憩時間に体操の音楽と目の体操の音楽が流れる。子どもは自主的にやれば良い。1年生には教えるようだ.
あまりいじめなどはないようだが皆無と言う事ではなく、増える傾向にあると説明があった。自分達の教育に自信を持っているようで、好感が持てた。
いずれにしても、感じた事は、世の中で一番良いものを使って子どを育てる、そんな考えがあるのではなかろうか、だから、中国の留学生は、勉強して早く国に帰り、国全体の発展の為に自分の力を生かそうとしている。利己主義者ではないのだ。
5、市長表敬訪問・記念式典
10月28日午後5時30分、ホテル別室で杭州市の幹部に対する表敬訪問を行った。
テレビでよく見る光景と同じである。お互いの紹介の後、両市長の挨拶、(杭州市長は香港での会議で欠席、副市長が代理出席)その他主な方の挨拶だけなのだが、みように緊張感と新鮮さがあるものだ。副市長といっても人口から見れば、大阪の副知事のイメージだ。
中国・杭州市の置かれている位置、歴史・貿易・今後の展望を含めて長い挨拶だった。外国のお客さんに、いつも話しておられるのだろう。地元テレビが入っていた。
6時から記念式典とレセプションが行われた。記念品の交換もあった。
私は以前、本会議の一般質問で、市長に「20周年記念式典の挨拶」の中で、侵略戦争へのお詫びと、向日市が「世界平和都市宣言」をしていること、市長が、「現憲法の全ての条項を守る」と言い、「教育長が教育基本法を守る」と言っていること。議会が、「小泉総理の靖国神社参拝に反対の意見書」を出していることなどを言うべきだが、どう考えているかと質問した。市長は、「良く考える」と答弁していたが、肝心なことは何も言わず「全く儀礼的なもの」だった。
私は挨拶する機会があればやるつもりで、特訓で中国語の挨拶を用意していた。しかしその場はなかった。無い事も想定して用意していた挨拶をコピーして持参していた。参加されていた全ての中国人の方々に、「私からのメッセージです」といって渡した。非常に喜んでいただいた.(私のパソコンで中国語の漢字が出ないところはOをいれ 以下翻訳とあわせて載せておきたい。)
私からの中国人民・杭州市民へのメッセージ
各位先生 大家好! 我是向日市議員 叫大橋満
我是第一次来中国的 O次我能参加 向日市与杭州市之間的友好往来的
二十周年記念活動来見面杭州市的各位先生、覚得很高O
最近 在日本経選挙行的大O, 小泉領O的自民党取得了意外大捷
六十年前、日本、日中戦争時侵略、中国、韓国、朝鮮以及 其他亜州国家来掠奪OO国家的 財産及許多中国人民的生命、但是日本政府不但対日本O動的侵略戦争没有表示
反省和道歉、而且参拝靖国神社
我做為一个日本人、那侵貨戦争、対所有的中国人民、表示哀心歉意
在日常生活中、為了絶対不打伏、我全力活動着
現在我們向日市一共有24个議員、其中包括我在内、有8个日本共産党的議員
向日市己経宣布‘世界平和都市宣言‘
向日市市長表明尊守 現憲法的項目、 教育長也表明尊守 ‘教育基本法‘
向日市議会議決‘小泉首相不座該参拝靖国神社‘ ‘不座該改変憲法‘
而対 小泉首相提出此決議案
我戻祝二十周年、也很希望為了世界和平及両国人民的幸福
世世代代 O行友好交流! 謝謝大家!
(日本語訳)
私は、市会議員の大橋満でございます。中国に来たのは初めてです。
今回の20周年の行事に参加し、杭州市の皆さん方にお会い出来て、本当にうれしく思います。
さて、日本の総理大臣は、選挙で勝利しましたが、60年前の第2次世界大戦で中国・韓国・北朝鮮をはじめアジアの多くの国々を侵略し、領土と人民の命を奪ったことに対して反省せず靖国神社に参拝し、憲法を変え、再び、戦争出来る国にしようとしています。
私は,日本国民として、あの侵略に対し、全ての中国人民に、心からお詫び申し上げます。
そうして、毎日の活動の中で二度と戦争をしないよう、全力をあげています。
向日市の議員は、全員で24人います。その内 私を含めて日本共産党員が8人います。
向日市は、世界平和都市宣言をしています。
市長は、現憲法の全ての条項を守る態度を表明し,教育長は、教育基本法をきちっと守ることを表明しています。
向日市議会は、小泉首相の「靖国神社への参拝をやめよ」「憲法を変えるな」と決議し、首相に意見書をだしています。
今回の20周年をお祝いするとともに世界平和と両国人民の幸せのため、末永く友好・交流が進められるよう祈念致しまして、私の挨拶と致します。
6、杭州市長招待の朝食会
28日夜、予定変更です。明日の朝は食事をとらないでください。市長が帰ってきたので、一緒に食事がしたいとのことです、と連絡が入る。副市長の計らいだという。
向日市の担当者が、出発前の説明会で、詳しい日程の報告がないので直前にもう一度連絡します。また、現地で変更になる場合もあります。と言っていたのを思い出した。
好い変更は大歓迎である。西湖に面した飯店で、外国のお客さんが来たときに招待する一番きれいな場所だと言う応接間のような部屋に案内された。
時間があまり取れないと言う事もあって、こちらがついたら早速挨拶ががはじまった。
2~3の空いていた席もすぐうまった。
市長・副市長・外事弁公室長・副室長・広報室長(杭州テレビ責任者)・8000の外国企業の窓口の副責任者、などというメンバーだった。
市長の挨拶は市の概要・若干の歴史・現状・向日市との交流などについて、にこやかに話された。その間に料理が次から次へと運ばれてきた。十分ほどで大きなまわるテーブルが料理で一杯になった。いちいち覚えていないが、中国や朝鮮の映画に出てくる王様料理をイメージしていただきたい。
懇談のとき、私は、「まるで映画に出てくる王様料理ですね」と言ったら、市長が、われわれも毎日このような料理を食べているわけではない。皆さんのための特別なものだと言って笑っていた。何が出ていたのか調べておかねばならない。
別な場で聞いてみると、普通の人は、朝は自宅で食べない習慣で近くの店でラーメンとか簡単なものを食べる。昼の弁当を持っていく習慣もない。しかし、晩ご飯は家族そろって食べると言う。
天気があまりよくなかったので西湖と周囲の小高い山々が墨絵のように美しかった。晴れのときも、曇りでも雨が降っても、ここが一番きれいなところ、という説明を納得した。
7、西湖とその周辺
周囲15Kmの湖、人造湖らしい、近くに知る人ぞ知る「銭とう(土編に唐)江」がある。20キロも離れていく河口から海水が逆流してくる、世界中でアマゾン川とこの川だけでその時期には観光客でにぎあう。
昔は暴れ川だったのだろう。堤防を作り川の流れをなだらかにして、曲がりくねっていたところを、池にしてしまったようだ。上流から少しづつ水が入るようになっていて、その分下流で放流するようになっている。
大きい湖の割に深さがまるで浅いのである。1.8から2メートルと言うから驚く。水はお世辞にもきれいとはいえない。水面の変化も殆ど無く一定の深さに保たれている。
昔は泳げたが、今は泳いだら罰金を取られる。30数年前毛沢東氏が体を鍛える運動を全国に広める為に揚子江を泳いで渡ったと、大きな写真入りで大々的にキャンペーンしたことがあった。私もよく覚えている。そのときは、西湖でみんな泳いだそうだ。
あまりに浅いので、時には遊覧船のスクリューが下の泥をまきあげてしまうという。
何種類もの遊覧船があり驚く。2人乗りのボート・4人乗りで手こぎの船頭(座ったまま)が乗っている船・数人から十人くらい乗れ、船頭が立って櫂をこぐ舟・30人乗合の立派な舟・そうして、100人くらい乗れる立派な遊覧船まである。われわれは、貸切が取れないのであきらめかけていたら、キャンセルが出たので一時間待てば乗れるという。
30人乗りに6人が乗った。一時間コース約一万円、30人でも同じ料金である。ひとり1500~1600円だから日本と比べるとそう高くない。個人でこの舟に乗り合わせれば1000円ほどだ。
西湖の中から周囲を見学するわけだが、頼りは通訳だけである。
8月15日に月見をする舞台があった。中国でも同じ日かと当たり前のことに感心する。
地球が1時間廻るだけなのに。
周囲の遊歩道に、すその長い丸い大きい穴のあいた「小さい橋」がかかっている。山口県岩国の錦帯橋の元になった橋だと言う。名前も同じ「錦帯橋」である。昨日見学した施設にも庭の片隅の橋に「錦帯橋」の立て札があった。通訳の人は、偉いお坊さんが行き来して日本に伝えた話をしてくれたが、調べてから書かないと通訳に迷惑がかかる。
朝食をした飯店もあった。
周囲の小高い山にはいくつか高い塔が立てられている。六和塔、保俶塔、雷峰塔、それぞれ歴史と役割があり、関心のある方は調べてほしい。西湖の周囲は、昼は観光地で夕方からは地元青年の集まる場所となるのだ。飲み屋・喫茶店・スターバックス・マクド。夜には飲酒運転者にも気をつけなければならないという。
市役所・博物館・体育館・サッカーグランド・ショップセンター・ホテル・病院・学校・別荘・マンションなど主要なものが全部西湖の周りにある。鉄道の駅はちょっと東にある。
市域の、5分の1のところに集中している。
革命烈士記念館やその碑も近くにあったのだが、そこには行かなかった。個人的には行きたかった場所だが…・
市の周辺も地図でみる限り町並み、道路、畑・田(ここでは米を二回収穫し野菜を一回収穫する三毛作)の整備が行き届いている。次回行ったら周辺を尋ねてみたいものだ。