四川省建川博物館、旧日本軍による中国侵略の新たな証拠を公開
四川省建川博物館は27日、旧日本軍による中国侵略の新たな証拠を公開した。今回公開された約500点の証拠には、オリジナルの書簡、日記、供述、写真のほか、旧日本軍の軽機関銃、手榴弾、爆弾の破片などが含まれる。人民日報海外版が伝えた。
同博物館の樊建川館長は「これらの証拠品は社会各界から寄贈されたもので、オークションで落札されたものもある。旧日本軍による中国侵略の物的証拠を集めるため、私自身も日本に数回訪れ、大量の実物・史料などを収集した」と語る。
これらの文物を展示するため、建川博物館は3500平方メートルあまりの展示館・中国侵略日本軍罪行館を建設した。同館はすでに竣工している。(編集SN)
「人民網日本語版」2014年7月28日
盧溝橋事件77周年 建川博物館館長が見る抗日戦争
「盧溝橋事件」(七七事変)から今年で77周年となる。人民網はこれを機に、民間の抗日博物館「建川博物館」の館長・樊建川さんを招き、抗日戦争についての考えと800万点を超えるという収蔵資料について語ってもらった。
▽中国侵略日本軍罪行館、来年開館 設計は世界の磯崎新
司会者:まずはネット利用者に向けて「建川博物館」の概況をご説明ください。
樊建川:2003年、もう11年前になりますが、私は安仁鎮で500ムー(約33万平方メートル)の土地を落札しました。その土地には不動産を開発せず、 博物館を一つずつ建てました。開放済みの博物館は25館、未開放だが竣工済みの博物館は5館あります。25館のうち抗日戦争にかかわるものは7館ありま す。国民党による抗日戦争のものもあれば、共産党の抗日戦争を扱ったものもありますし、四川軍による抗日戦争の博物館、中国支援米軍についての博物館もあ ります。さらに戦争捕虜博物館、壮士広場、手印(手型)広場などがあります。
現在は、来年9月3日開館の中国侵略日本軍罪行館の陳列品の展示を準備しています。この博物館の設計は、国際的に知られる日本人建築家の磯崎新氏が手が けています。磯崎氏の父は抗日戦争当時、戦争反対の立場を取っていました。氏自身も平和主義者です。中国侵略日本軍館の設計を私が磯崎市にお願いしたとこ ろ、すぐにご承諾いただきました。磯崎氏は設計のため、5回にわたって安仁鎮を訪れました。磯崎氏は国際的に知られる建築家で、バルセロナ五輪のスタジア ムやディズニーワールドの社屋も彼が設計したものです。多くの日本人が彼を理解せず、「日本人の建築家なのになぜ中国人に抗日戦争博物館を設計するのだ」 という脅しの手紙も受け取ったといいます。磯崎氏はこれに、「樊さんは平和を願い、日中が永遠に戦争しないことを願っている。私達は歴史を正しく見つめて こそ戦争を避けることができる。博物館が開館したら四川省に見学に来てみてほしい」と答えたそうです。
この博物館はすでに竣工し、陳列を進めているところです。博物館の展示物を充実させるため、私は2回日本に行き、中国侵略日本軍の犯罪を示す証拠と物品 を数多く購入してきました。日本軍の作戦地図を始め、数十万枚に及ぶ写真、100個以上の鉄兜、多くの銃剣、ゲートル、望遠鏡、書籍、日本軍の将校や兵士 の日記などがあります。この館だけで陳列品は2、3万点にのぼる見込みです。
盧溝橋事件77周年 建川博物館館長が見る抗日戦争 (2)
▽過去を悔いた日本人元兵士が資料収集を手助け
司会者:展示物の収集にはどのようなルートを使ったのですか。
樊建川:日本に到着後、複数の経路をたどって資料収集を行いました。まずは、日本で商売をしている華人の手助けです。次に、骨董商や留学生の助けも借りま した。一番重要なのは、中国侵略日本軍の元兵士、塩谷保芳さんのような人が助けてくれたことです。私は2、3カ月前にも、塩谷さんを訪ねに東京に飛びまし た。塩谷さんから会いたいという手紙をもらったためです。
塩谷さんはかつて、中国侵略日本軍の兵士として山東省で侵略戦争に参加しました。しかし彼自身は、兵隊になりたくも戦争に行きたくもありませんでした。 戦争に行く前、右手の人差し指がなければ銃の引き金を引けず、三八式歩兵銃も使えなくなると聞いて、酒を飲んでから人差し指を刀で切り落としました。しか し酔っていた塩谷さんは、間違って右手を使って左手の人差し指を切り落としてしまいました。徴兵係官に、引き金を引くのは右手だから大丈夫だ、中国に行け と言われ、仕方なく中国にやってきたそうです。
その後、戦争時の行動を塩谷さんは後悔し続け、数十回にわたって中国に懺悔に訪れました。私達の博物館にも7、8回来ていただきました。当時もう80歳 過ぎになっていたが、旧日本軍の鉄兜や軍装、軍靴など中国侵略日本軍に関連する物品を背負ってやってきて、いつも頭を下げて懺悔なさったものでした。その 塩谷さんから会いたいという手紙をもらい、私は日本に飛びました。もうベッドから起き上がれなくなっていた塩谷さんは、私を見てとても嬉しがり、私の手を 引き、涙を落とされました。塩谷さんのような良心的で心から悔いた日本の元兵士も、私の日本での資料収集を導き、助けてくれました。
盧溝橋事件77周年 建川博物館館長が見る抗日戦争 (3)
▽800万点余りの収蔵品が送る「平和」のメッセージ
司会者:博物館の収蔵品は800万点余りにのぼると聞いています。これは本当ですか。
樊建川:本当です。そのうち329点は国家一級文物(文化財)に指定されています。私達の博物館の収蔵品数は確かに膨大です。
来年9月3日に一般開放予定の中国侵略日本軍罪行館では、中国でこれまでに例を見ない独特な陳列方法を取っています。年ごとの展示です。例えば1931 年の展示ホールでは、1931年に日本の各支部隊(例えば関東軍)が何をしたかがわかります。1932年以降もそれぞれ展示ホールがあり、1937年の盧 溝橋事件、1938年の複数の大型戦闘も扱われています。これが1945年の日本の投降まで続きます。これら十数の展示ホールは、年ごと月ごとに日本軍の 犯罪を紹介しています。重慶爆撃や731細菌部隊、慰安婦問題、南京大虐殺も含まれています。
この展示館の資料はすべて日本から来たものです。私が日本で収集した、中国侵略日本軍の兵士が故郷の家族に送った手紙も数千通あります。これらの手紙か らは、日本の軍人も妻を思い、両親を思い、収穫を願い、暮らしが豊かになることを願っていたことがわかります。日本兵を「日本鬼子」と言いますが、彼らも もちろん鬼ではありません。しかし14年間の中国侵略戦争によって、彼らはどうしてこれほど残忍になり、人の道に外れる惨劇を生み、人間性を喪失してし まったかといえば、軍国主義に蝕まれた結果です。
この中国侵略日本軍館の建造にあたっては、日本人の友人が多くの関心と支援を寄せてくれました。日本で最高の建築家が設計を請け負ってくれましたし、数 多くの日本人元兵士も私を助けてくれました。村山富市元首相も、「一衣帯水、永遠平和」という言葉を記してくれました。さらに多くの日本人が大量の翻訳を 手伝ってくれました。彼らは言います。「樊館長、私はあなたの理念『平和のために戦争を収蔵する』に賛同します。歴史は事実であり、私達はこれを正視しな ければなりません。歴史を正視して初めて、中日両国の永遠の不戦を実現できます」。これはとてもよい考えだと思います。こうした認識を持つべきです。
盧溝橋事件77周年 建川博物館館長が見る抗日戦争 (4)
▽中国と日本は永遠に戦争をしてはならない
司会者:より多くの若者に、こうした歴史への関心を高めてもらいたいと思います。また日本の若者にもこの時期の歴史を知ってもらいたいですね。日本人の観光客や若者の団体が博物館に見学に訪れることはありますか。
樊建川:私達の博物館に見学に来る日本人はますます増えています。ビジネス旅行で来る方もいらっしゃいます。しかし全体として見ればまだ少ないと考えてい ます。国民党の抗日戦争を扱った館があるため、台湾地区から団体でいらっしゃる方が多いのですが、日本人は個人の方がほとんどです。中国侵略日本軍館の開 放で、日本人の団体が増えることを期待しています。この展示館は、中国侵略日本軍の犯罪を展示したものとしては、中国で最大かつ最も全面的なものです。展 示物も最も多く、最も詳細となっています。
侵略者が良い結果を得ることはありません。しかし一部の人はこの道理を知ろうとしません。私は両国の人々に対して、客観的で冷静的な態度でこの時期の歴 史を振り返ってほしいと思っています。この歴史について、誰が侵略者だったのか、誰が加害者だったのか、誰が被害者だったのかをはっきりと認識しなければ なりません。日本人元兵士の塩谷保芳さんは私に、「あなたは、中国と日本が永遠に戦争をしないために活動している。あなたが博物館を建てることで、私達日 本人にもそれを見るチャンスが生まれる。歴史を正しく見つめなければ、中国と日本はまた戦争になるかもしれない。それは両国の国民にとって不幸なことだ が、日本人にとってはより不幸なことだ」と言います。塩谷さんのこのような考えは素晴らしいと思います。中国と日本は永遠に戦争をしてはなりません。(編 集MA)
「人民網日本語版」2014年7月11日