NO.47
済州4・3(許栄善2006) 民主化運動記念事業会
真実を求めて・・・4・3を尋ねる君へ
1945年8月15日 日本・ポツダム宣言受諾
1945年9月7日 マッカーサー布告第一号 朝鮮人民告ぐ 日帝から米帝へ
1945年9月28日 米軍初めて上陸 日本軍の接収作戦
1946年 凶作
1947年 学生運動はより盛んになった。
2・10 米軍政庁 観徳停カンドクチョン広場 米殖民地化反対デモ
400~1000名最初の反米デモ
3・1 28周年記念済州大会後の事件幼い子が騎馬警官の馬に生まれ死亡
銃声 6人死亡 6人重症
3・2 学生25名連行 真相究明
3・8 米軍・調査団を派遣・・
左翼の弾圧に乗り出す。70%が左翼とその同調者赤い島と報告
建国の邪魔になる
1947年3・10 島全体ゼネスト 警察は首謀者を捕らえる。 米軍と右翼
20 下火 500名が拷問受ける。
末から右翼・西青(西北青年会)テロ始まる。
1948年3 青年3人が警察で拷問急死 三日間葬式 デモにかわる
1948年4月3日 南労党済州島委員会主導の武装蜂起始まる
弾圧ならば抗争だ。単独選挙・単独政府樹立反対。反米救国闘争
4月7日付「通学証明書」発行 警官1700 西青団員500
4月末 二度にわたり大々的捜索作戦
1948年4月28日 第9連隊長・金益烈インニョルと武装隊総責任者金達三ダルサン
平和交渉は、決裂
5月1日 銃殺された女性の葬儀・吾羅里オラリ・放火事件、米に証拠写真
5月5日 金益烈解任 朴珍景チンギョン就任
「暴動鎮圧のためには済州島民30万人を犠牲にしてもかまわない」と発言・・強行鎮圧
5月 村近くのオルムやその麓で避難生活をした。山に避難
1948年5月10日、南部単独選挙を決定・米軍は選挙成功が至上命令だった。
ボイコット・投票所攻撃、 米軍直接関与
全国大部分の都市で騒ぎと流血事件が起こる。
6月23日 米軍が再選挙実施、米軍司令官ブラウン大佐・私の使命は鎮圧のみ
無期限延期 知事・柳海辰ユヘジン解任
5月22日から6月30日までに検挙住民5000人、朴珍景部下に暗殺され
選挙が終わったので、すぐ下に降りろといわれた。
1948年7月 警察兵力は2000人に、 弾圧続く 米の怒り
1948年7月15日 第9連帯 宋ヨチャン少佐
1948年8月15日 大韓民国政府樹立
9・9 北朝鮮建国
1948年8月24日 李承晩大統領と駐韓米軍司令官ホッジ中将「韓米軍事安全暫定定」1949年6月23日 まで韓国軍を指揮 弾圧部隊
10月 ウサギ追い込み式捜索作戦 翌3月まで虐殺の場に変った。
全土、海岸から5キロ以外の地点、山岳地帯不許可通行禁止令、こ の布告に違反するものは、その理由の如何にかかわらず、暴徒の輩 とみなし、銃殺の刑に処す。放火・殺人・飢え、三尽・三光作戦
10月19日 麗水ヨス・順天スンチョン事件 済州出兵を拒否、銃口逆に
11月13日 朝天村橋来里他 100名余処刑 135・130・
11月~12月 武装隊が村を襲撃 吹き荒れた狂気の光景
1948年8月15日 米軍政統治から大韓民国政府樹立・しかし米軍が支配
11月17日 戒厳令・済州島に 虐殺615名
12月 軍法会議 871名 加時里のカン巡警
12月18日 (陰暦)村中が明るく灯された。
1948年4月1日から1年間に1万5千人虐殺。 内80%が討伐隊による射殺
証言多数 拷問 殺害
1949年1月24日 ケス洞63名虐殺 良民虐殺告発第一号
2月4日 105人龍崗里
政府は報道禁止・世間に知られなかった。済州島出身在日同胞が 世間に訴え
追悼式の実施
3月 李承晩 済州島地区戦闘司令部設置・ユジェホン司令官1万人刑務所
4月中旬 武装隊を完全消滅、武装隊の犠牲は全体の10%に該当。
4月9日、
9月 李承晩・済州島入り 5月10日再選挙、15日、司令部解散
4・3 その後
1950年 朝鮮戦争勃発、予備検束 7月末~8月末 集団虐殺チョントウル飛行場(済州 島飛行場)と、アルトウル飛行場252名(モスルボ飛行場)などで処刑、
その他大韓民国軍による銃殺多数
「連座制」の犠牲・・赤のレッテル 左翼思想の子弟 就職差別 後遺障害
1954年9月21日 漢ナ山禁足地域解除、全面開放(1948年四・三~6年6ヶ月)
4・3事件の責任は政府と米軍・・強攻策一辺倒 米軍支配下で起こった事件
米軍の国際法違反
1948・12・9 国連総会採択 大量虐殺犯罪の防止と処罰に関する協約
他の地域でもよくにた事件が頻発していた。
1960年4・19 革命
1961年5・16 軍事クーデター
1978年 玄ヒョン 基栄ギヨン 小説「順伊スニおばあさん」
1987年 詩人・李 山河サンハ 4・3長編叙事詩「漢な山」国家保安法拘束
1987年6月 民衆抗争
1988年、 光州5・18聴聞会
1989年 第41周期 四・三追慕際が開催、
1990年 済州道議会・四・三特別委員会→済州島四・三被害調査報告書、
ソウルでも、四・三真相究明・名誉回復推進汎国民委員会を結成
1999年12月16日 済州島四・三事件真相究明及び犠牲者名誉回復に関する特別法
「4・3特別法」が可決
2000年6月 南北首脳会談実現 金 大中 ・ 金 正日
2003年10月 済州四・三事件真相究明及び犠牲者名誉回復委員会の「済州四・三被 害調査報告書」がでる。
2003年10月 ノムヒョン大統領・私は国政の責任を負う大統領として、過去の国家 権力による誤りにたいし、遺族と済州島民の方々にたいし、心より謝 罪とねぎらいの言葉を申し上げます。
以上で連載は終わります。
またテーマを決めて連載記事を書きたいと思います。ご愛読ありがとうございました。