2008年1月1日(火)「しんぶん赤旗」
新春響き合い対談 3-1
経済界の中から理性の声
9条をもつ国の経済探求
日本共産党委員長 志位 和夫さん
経済同友会終身幹事 品川 正治さん
解散・総選挙の可能性をはらみつつ2008年が明けました。激動の幕開けにふさわしく、経済同友会終身幹事の品川正治さんと日本共産党の志位和夫委員長とのビッグ対談が実現しました。戦争と憲法9条、21世紀の世界の流れ、資本主義の前途の問題まで壮大なスケールで語り合いました。
志位 明けましておめでとうございます。
品川 おめでとうございます。
革新懇運動での出会い
志位 いつも全国革新懇の代表世話人会で議論するのを楽しみにしています。昨年、品川さんが革新懇運動に参加してくださったことに、多くの方が歓迎の声を寄せています。
品川 光栄です。革新懇では、たいへん活発な論議をされていますね。みなさん各分野の運動を担っている方々だけに、とても発言に重みがあり真剣です。
志位 私にとって、品川さんとの出会いは直接には革新懇ですが、品川さんは、八年前の二〇〇〇年一月三日付「しんぶん赤旗」に登場されていますね。
品川 ああそうでしたね。
志位 そこで「日本の資本主義は、その“質”が問われる時代に入っている」と、「リストラばやり」の大企業の風潮を批判され、政治と経済の軸足を、企業から家計・個人に移してこそ、「憲法の理念にたつ経済発展の方途が見えてくる」とおっしゃった。
品川 そうです。私は、経済同友会の専務理事や副代表幹事などをやってきました。何をやりたかったかというと、平和憲法をもっている国の経済はこうあるべきだというものを、一つでも実現したいというのが、私の気持ちでした。その立場から発言しました。
志位 私は、この発言を拝見して、経済界の中から理性の声があがってきたと感銘を受け、直後に開かれた党の会議(第二十一回党大会第五回中央委員会総会)で、品川さんの発言を引用して、修正資本主義者といいますか、まともな資本主義をつくろうという立場の方との共同が現実味を帯びてきたと報告しました。
そういう接点からはじまって、とうとう昨年からは、全国革新懇という統一戦線組織で、いっしょに仕事ができるようになったことは、たいへんに感慨深いものがあります。
品川 そうおっしゃっていただくとありがたく思います。私がなぜ(革新懇への参加という)決意をしたのかということですが、私は一人息子を亡くしていましてね。孫娘を子どもとして育ててきて、いま大学に入りました。
その若い人たちに、ほんとうの戦争というものはどういうものか、平和のありがたさというものをどう伝えたらいいか、そういったことが、私自身の人生の課題みたいになりましてね。ちょうど、教育制度の「改革」とか、憲法の改悪の問題だとかが、一番ピークを迎えようとする時期に、政治の動きに対して、待っておったのではだめじゃないかなという感じがしまして、そういう決心をしたわけなんです。
平和を考える
米いいなり脱し軸足を国民に
戦争を起こすのも人間、止めるのも人間
志位 品川さんは、いまあちこちで講演されていますが、「八十二歳になったので八十二回の講演をする」とうかがって、そのお元気さに感嘆しています。
品川 講演では、「戦争、人間、そして憲法九条」という題で話をすることが多いのですが、「人間」というところに非常に大きな意味を置いています。
私は、一九二四年生まれなのですが、小学校に入った年に満州事変が始まり、中学では日中戦争が、高等学校では太平洋戦争が始まったという世代です。昔の旧制高校の学生といったら、たいてい哲学に目覚めるわけですが、私自身も、いま国家が起こしている戦争の中で、人間としてどうするのかという悩みが一番根底にあって、カントやヘーゲルを読んだり、とにかく自分を納得させてから戦場に行きたいという感じでしたね。あと二年しか生きておれないと思っていた。それで、私はカントの『実践理性批判』だけは読んで死にたいと。必死になって読み、読み終えて十日後ぐらいに、召集を受けました。
志位 たいへん切迫した思いですね。それで、カントの本には、少しでも手掛かりはあったのでしょうか。
品川 いや、読み終えたという達成感みたいなものはありましたが、率直にいって、迷いのなかで軍隊に召集されました。私は、ほんとうの一兵卒として軍隊に入り、軍隊の一番最下級を経験しました。それで、兵隊の目から戦争をみるということが、できたわけなんですね。中国で、白兵戦のような激しい戦闘を経験し、迫撃砲で私自身が戦場で倒れ伏したりもしました。それで戦後わかったのは、戦争を起こすのも人間だし、それを止めることができるのも人間だと。なぜそれに気づかなかったのだろうと。
志位 なるほど。戦争は自然現象ではない。人間とは別のあらがえない力によって引き起こされたものではないということですね。
品川 ええ。そこが戦争中に育った人間にはわからなかった。だから「戦争、人間、憲法九条」という言葉を使っているんです。
憲法草案を読み仲間と抱き合って泣いた
志位 初めて革新懇でお目にかかったとき、品川さんが戦地からの復員船のなかで初めて憲法九条を読み、喜びのあまり仲間と抱き合って泣いたという話をされました。とても胸を打つ話だったので、経済界の中からも九条を守ろうという声が起こっているということで、参院選の政見放送のなかでも紹介させていただきました。
品川 私たちの部隊は終戦の翌年、一九四六年に引き揚げました。そのときに日本国憲法草案が載っているボロボロの新聞が船内で配られたんです。みんな泣きましたよ。戦争を放棄する、軍隊は持たない、国の交戦権は認めない、よくぞここまで書いてくれたかと、言葉にあらわすことができないくらいの感動を受けたんです。
志位 品川さんのこの話は、一部改憲論者がさかんに言ってきた、日本国憲法はアメリカから押し付けられたものだという、「押し付け憲法」論がいかに根も葉もないものかをしめす、歴史的な証言だと感じました。
私の母なども、空襲で生死の境をさまよった経験がありますから、「もう戦争をしないと、みんなで小躍りして喜んだ」といいます。国民の圧倒的多数は、新憲法を歓迎したのだと思います。「押し付けられた」と感じたのは、戦争を起こした人たち、それに反省しなかった人たちでしょう。
品川 憲法九条は、戦前から権力をひきついだ日本を統治しようとした人たちには、押し付けられた憲法なんですね。しかし、国民は、押し付けられたと思っていないですよ。最近は、改憲論者も、あまり押し付けられたといわなくなった。(笑い)
志位 そうですね。これは決着がついた議論になりました。
品川 現実には、いまアメリカから改憲を押し付けられているという問題が、すぐ人々の頭のなかに出てきますからね。(笑い)
志位 ほんとうですね。アメリカは、新憲法が施行された翌年の一九四八年に、早くも改憲の必要性の検討をはじめています。そしていま、アーミテージ元国務副長官などの二度にわたる報告書などで、あからさまな改憲の圧力をかけている。「押し付け」というなら、改憲論こそ押し付けの最たるものということになりますね。(笑い)
海外派兵を許さない――年初めの大問題
品川 自衛隊ができ、有事立法ができ、テロ特措法ができ、ついにイラクまで出て行きました。しかし、国民は、いくらぼろぼろになっても、九条の旗竿(はたざお)を離してないというのが、いまの憲法の状況だと思いますね。
志位 そうですね。九条はふみつけにされ、ぼろぼろにされてきたけれど、なお偉大な力を発揮しています。国民が旗竿をしっかり握り続け、この条文が存在するおかげで、自衛隊を海外に出しても、海外での武力の行使をおおっぴらにすることはできません。だから戦後いまだに日本の軍隊は一人の外国人も殺していないし、殺されていない。
品川 それを五年以内に変えてみせるといったのが安倍さんでしたが、国民は見事に参院選挙ではっきりと主権を発動しました。
ただもうひとつ、気になるのは民主党の小沢一郎さんのことです。あの人は、憲法九条を変えなくても、国連の安全保障理事会の決議さえあれば、戦場といえども自衛隊を出すことは差し支えないと、そこまで憲法を拡大解釈をしようとしている。彼は『日本改造計画』(一九九三年刊)以来、これをずっと自説としてもっているわけです。この考えは、間違っているということを言わないと、国民が混乱するんじゃないかっていう思いがあるんですね。
それで本当なら八十二歳で、そろそろ活動をやめようかなと思ったんですけども、昨年、小沢さんがアフガニスタンで戦争している国際部隊に自衛隊を参加させるという話をしてから、余計、講演の回数が増えて。(笑い)
志位 黙っていられないと(笑い)。民主党は、昨年の年末に、政府の新テロ特措法案にたいする「対案」なるものを出してきました。読んでみて、これはひどいものを出してきたなと思いました。自衛隊の海外派兵の恒久法をつくる、条件しだいではアフガニスタン本土に陸上自衛隊を出す、国連の決定があれば海上自衛隊を「海上阻止行動」に参加させることも検討する、というような内容です。憲法をふみつけにして自衛隊の海外派兵をすすめるという点では、まったく政府・与党と同じ土俵のものです。今後、どういう展開になるかは予断をもっていえませんが、政府にとっては“ありがたい案”だと思いますよ。
品川 自衛隊の派兵問題は、今年まずはっきりと国民の意思を固めないといけない問題の一つでしょうね。
志位 はい。まずはいったん撤収させた海上自衛隊を二度と戻さない。国連決議があってもなくても、海上自衛隊でも陸上自衛隊でも、戦争支援の自衛隊派兵は憲法違反であり許さない。このたたかいはまず年初めの最大の課題です。
9条と合致する平和の流れが世界を覆いつつある
品川 憲法九条は、「人間の目」で戦争を見て、絶対にやらないと決めたすばらしいものです。当時の国際情勢が日本の憲法を国連憲章に対して一歩先んじるものにまで押し上げた。そして現在、イラク戦争以降の国際情勢のなかで、九条の意味というのがうんと大きな意味をもつようになり、光ってきていますよね。その世界的な普遍的価値をわれわれとしては死守すべきだと思いますね。
志位 品川さんは、九条二項が、二十一世紀においては世界的な普遍性を持つようになるだろうという問題提起をされていますよね。
この点で、いまの世界を大きく見ますと、ASEAN(東南アジア諸国連合)を中心としたTAC(東南アジア友好協力条約)がこの間、画期的な広がり方をしています。これはもともとASEANの国々が結んだ条約で、独立・主権の相互尊重、内政の不干渉、紛争の平和解決、武力の威嚇・行使の禁止などを取り決めた、いわば平和の共同体の条約です。それをASEANの域外にも広げていこうという動きがおこってくる。
そして実際に、域外に広がり始めたのは二〇〇三年以降なんです。二〇〇三年十月に中国とインドが加入する。二〇〇四年に日本、パキスタン、韓国、ロシアが加入する。日本はしぶしぶという感じでの加入でしたが。そして、二〇〇五年から昨年にかけてさらに広がり、昨年はついにフランスまで加入しました。参加国は二十四カ国、人口は三十七億人で、地球人口の57%を占めるところまで広がっています。
この平和共同体が、ASEANの域外に大きく広がった背景となったのは、二〇〇三年に引き起こされたイラク戦争でした。この無法な戦争は、悲惨な結果をもたらし、大破綻(はたん)をとげています。同時に、「戦争のない世界」を求める地球的規模での空前の平和の大波を作り出しました。ASEAN中心のTACも、この年を境に大きく拡大をはじめ、去年はとうとうフランスというヨーロッパの国まで加入した。EU(欧州連合)としても加入するという方向だそうです。
そうしますと、ユーラシア大陸のほぼ全体がこの平和の共同体に参加するということになります。欧州諸国といえば、かつて東南アジアを植民地にした国々ですが、そうした国々が東南アジアの呼びかけにこたえて、友愛と平等の精神をもってこれに参加するというのはすばらしいことです。憲法九条が目指している方向と一致する平和の巨大な流れが世界を覆いつつあります。この動きは、品川さんのいう憲法九条の二十一世紀的な普遍性のあらわれといえるのではないでしょうか。
品川 イラク戦争のために、戦争というものに対する世界の見方も、潮流も、大きく変わり出したというのは、私もその通りだなという感じを受けているんですね。そのときに、あの憲法を持っている日本が、いちばんアメリカと近い形で、アメリカの戦争に協力しようという姿勢を持っていることは、世界の人から見れば、なぜだろうという感じを持つと思いますね。
いま委員長から、世界の大きな動きとして、具体的指摘を受けたことで、私も非常に大きな示唆を受けました。日本の憲法の普遍性について、私自身は、今まで世界のプレーヤーの国々が、そういう憲法を書けるかということには難しいと思っていたのが、ASEANを中心として、アジアから、そういう動きが始まったというのは、ものすごく励まされることです。もう地域の単純な集合体じゃなくて、EUも含めて平和の固まりになっていこうとしている。
二十一世紀がそういう世紀であってほしいと私たちの言ってきたことは決して間違いじゃなかったなと思うようになりましたね。本来は、その指導的な役割を、憲法九条をもっている日本が果たさなければならないと思いますね。
二十一世紀というのは、“アメリカを問う世紀”となっています。そのときに、世界の大勢がこうありたいと願う理念を憲法化している日本が、なぜアメリカについていくんですかということになる。へたすると、“アメリカと日本を問う世紀”になりそうな感じがある(笑い)。私は、これほど、もったいないことはないと思いますね。
「敵」を探すアメリカと敵のない日本国憲法
志位 「日米同盟」の崇拝者たちは、すぐに「日米の共通の価値観」という。それにたいして品川さんは、“アメリカと日本の価値観は違う”ということを力説されていますね。私流に解釈しますと、アメリカがとっている世界戦略と日本国憲法の価値観はまったく違うということだと思うんですけども。
品川 そうです。そういうことです。アメリカは常に戦争をしている国です。日本の憲法には戦争をしてはならないとある。まったく価値観が違うのです。それなのに、思想界とかマスコミ界は、すぐに「共通の価値観」といって、超大国のアメリカと近ければ近いほどいいという考えになってしまっている。
志位 「日米は価値観を共有している」と政府がいえば、多くのメディアがそれを垂れ流しに書く。そのときに品川さんが、価値観がぜんぜん違いますよとポンと返すのは、これは鮮やかな切り返しだと思います。(笑い)
品川 たった一言ですみます。(笑い)
志位 アメリカの世界戦略というのは、常に「敵」を探し、先制攻撃の戦争をやるというものです。ところが日本国憲法というのは…。
品川 敵はない。
志位 敵はない。紛争が起こっても、平和的に解決する。
品川 だいたい価値観が一緒というけれど、世界で原爆を落とした唯一の国がアメリカで、落とされた唯一の国が日本でしょう。それなのに、価値観が一緒だといったら、世界史を一体どう解釈すればいいのか。
志位 価値観が一緒になっちゃった人が久間元防衛大臣ですよね(笑い)。「原爆を落とされたのはしょうがない」といった。アメリカの目で原爆を見ると、ああいうことになるんでしょう。
品川 あれはアメリカの論理そのものですね。
志位 アメリカの世界戦略と日本国憲法の価値観が違うなら、私たちは断固として日本国憲法の価値観を選び、二十一世紀に生かすべきですね。
“アメリカを問う世紀”自主的な外交欠かせない
志位 もう一つ、アメリカをめぐって注目すべきことがあります。さきほどTACが世界を包むような形で広がっているとのべましたが、戦争と平和をめぐる世界の力関係が、大きく平和に有利に傾くなかで、アメリカもすべてを戦争だけで片付けるというわけにはいかなくなっているということです。
アメリカは、一方では、イラクやアフガンに見られるような軍事的な覇権主義をやっている。これは変えようとしません。日本でも世界でも「米軍再編」をすすめ、世界への“殴りこみ体制”を強化している。これも変えようとしません。戦争国家としてのアメリカの本質は変わっていません。これにはもちろん厳しい批判が必要です。
しかし、そのアメリカも、どんな問題も戦争だけで片がつくとは考えていません。とくに私が注目しているのは、対北朝鮮政策です。北朝鮮問題については、六カ国協議という枠組みのなかで、核兵器のない朝鮮半島を目指すという動きが、ジグザグはあってもすすんでいます。一昨年の秋に北朝鮮が核実験をおこないましたが、その後、アメリカが中国、韓国とも協力しながら、外交解決という方向で精力的に動きました。とくに、米朝の直接対話をはじめるという方向に、路線を転換したことは重要です。いまアメリカは軍事だけでは世界を動かせないということを感じはじめて、外交戦略も使うという対応をしてきています。
ところがそのときに、日本政府はどうかというと、アメリカの軍事につき従うのは得意だが、アメリカが北朝鮮問題で外交を始めると、そちらにはついていけない。核兵器問題の解決のために国際社会が尽力しているのに、この大問題には不熱心な国だと見られている。足をひっぱるような行動さえしようとする。これは最悪の自主性のない態度です。この問題での転換が強く求められます。アメリカいいなりから脱却するとともに、ほんとうの意味で自主的な外交戦略をもった国にならないと、日本はほんとうに立ち行かないと感じています。
品川 おっしゃるとおりだと思います。世界の主なプレーヤーの国は、いまの日本の政権について、国際的な大きな流れから目をそらし、日米同盟だけをみた政策を実施しているとみて、そのことを異常だと感じています。そのことに国民も気がつく時期が来ているのではないでしょうか。
新年を迎えて、日本も北東アジアの平和に関して深い責任のある国だという立場にたって、はっきりと立脚点を切り替えないといけません。この日本の政治で、二〇〇七年から持ち越されている問題は、一つは、自衛隊の海外派兵の問題であり、もう一つは、北朝鮮問題を解決して平和をつくるということです。この二つは、あくまで今年きちんとけりをつけないといけない問題だと思いますね。
それにしても、どうして自民党政府はこれほどまでに全体の動きが読めないのか。理解しがたいところがあります。
志位 外交というものを、すべてアメリカに丸投げしてきたからではないでしょうか。自分の頭で何一つ考えてこなかったことが災いしている。さらに何でも軍事で対応しようという軍事偏重が根深い。それらがあわさって、ほんとうに外交不在の国になってしまった。それがあらゆる問題にあらわれているのではないでしょうか。
品川 憲法九条をもつ日本は、ほんとうは一番独自の外交をやれるはずなのに、アメリカの悪いところだけ全部まねしようとして、それがアメリカだと思っている。
志位 そこからの脱却をどうしてもはからないと、前途がありません。
品川 参院選で示された国民の気持ちというのを、それをやるひとつの大きな力にしないといけません。
志位 品川さんは、“アメリカを問う世紀”だと言われました。アメリカいいなり政治をこのまま続けていいのか、という太いところでの問いかけと議論が必要ですね。