〈平昌五輪〉総聯同胞応援団(第1次)の精力的な活動
統一への熱意を伝える
「在日同胞の統一への熱意を伝えよう」と、平昌オリンピック総聯同胞応援団(第1次、8~12日)が現地で応援活動を繰り広げた。4泊5日の日程は「観光」や「応援ツアー」とは一線を画すものだった。同胞応援団を衝き動かしたものは――。
同胞応援団は南の市民たちの熱烈な歓迎を受けながら現地での活動を開始した。
金浦空港に降り立った(8日)同胞応援団を、「6.15共同宣言実践南側委員会」をはじめとする南の各団体が、「われらは一つ」「すべての同胞の力を合わせて祖国統一を成し遂げましょう」と書かれた横断幕を掲げ出迎えた。
在日同胞にとっては馴染み深い、朝鮮学校支援団体「モンダンヨンピル」などは自分たちが日本を訪問するたびに同胞たちの手厚い歓迎を受けたことへの恩返しとして、多くのメンバーを空港に集結させた。
今回の同胞応援団は、105人の各地、各層の同胞らで構成された。80歳の顧問から、その孫や、新婚夫婦など多彩な顔触れだったが、多くは「南を訪れたのは初めて」と言う。
その一人、朴正姫さん(80、女性同盟京都顧問)は、「オリンピックを機に北南の陸路、海路、空路が繋がった。私自身、先祖が生まれた地に初めて降り立ち、先祖との繋がりを再確認した。民族が共に行うオリンピックという歴史の現場を見届けたい」と語った。
同胞応援団は行く先々で南の市民たちの祝福を受けた。応援団は同胞愛に触れ、その度に大きな力と勇気を得た。
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同胞応援団は開幕式(9日)を3万5千あるスタンドの一角、北南の選手が一緒に聖火を受け取った舞台の間近で観覧した。
「アリラン」の旋律と共に入場した北南の選手たちへ、応援団は熱狂的な声援を送った。「統一旗」を振りながら、すべての同胞たちが抱いてきた統一への願いを代弁するため、彼らは声を枯らした。そして感涙した。
「歴史の証人になった」「統一への新たな章が始まる」と応援団は歓喜の声を上げた。
同胞応援団の姿を目にした北南の選手たちは、応援団へ向けて両手を振り、拍手を送った。これを見た南の市民や外国人観覧客も、応援団に惜しみない祝福の拍手を捧げた。
また、応援団は聖火を掲げ聖火台への階段を駆け上がる北南の選手を、北側応援団と向かい合う恰好で声援を送りながら見送った。
同胞応援団は、「このような素晴らしい場面、大きな感動に出会ったことはない。今日の感動は、平和を願い闘ってきたこれまでの果てしない努力あってのものだ」(商工連合会・朴忠佑会長)、「1世にとって、6.15は故郷への道がやっと開かれた『涙の6.15』だったが、2世にとって『歓喜の6.15』として刻まれた。次世代は『新たな6.15』の目撃者となるだろう」(在日本朝鮮人体育連合会・金載英副会長)と述べながら、聖火の灯を瞼に焼きつけた。
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同胞応援団は、海外同胞の代表として精力的な活動を行った。
「マンウォルデ南北共同発掘平昌特別展」「総聯応援団歓迎式」(9日)に参加し、南北合同応援団の発足に立ち会ったほか、実際に女子アイスホッケー単一チームを南の市民と合同応援(10日)した。
また、限られた時間の中でも統一への願いや民族の歴史が刻まれた史跡、日本大使館前に建てられた「平和の碑(少女像)」を訪ねる(12日)など、多くの活動を行った。
案内についた南の政府関係者も「同胞応援団は『強行軍』をやり遂げた。短い期間であったが在日同胞たちの団結力を見た」と目を見張る。
同胞応援団を衝き動かしたのは、在日同胞が長きにわたり培ってきた相互扶助と団結の精神の賜物であり、民族統一への熱意だった。また現地で再確認した、北南の同胞愛も大きな原動力となった。
同胞応援団は、在日同胞が抱く統一への願いを伝える使者としての役目を全うし12日、金浦空港を発った。
(鄭尚丘)