どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

事の顛末―介の字貼りの意味がわかった!

2011年06月04日 | 日記
震災後 まだまだ電車のダイヤが乱れ 計画停電真っ盛りで 毎日のように余震があった4月の初めのことだ

肩こりを感じた

私は半世紀を生きてきたが それまでの人生で肩こりを感じたことはほとんどなかった

だから 当初 すぐに治るものと思っていた

ところがいっこうに良くならない

それどころか 通勤途中も仕事中でもいつの間にか始終 肩に手を置くようになっていた

日によって あるいは一日のうちでも痛さの強弱はあるものの それは日常的になっていった

当初 痛いのは左肩だけだったが やがて首の左側から肩甲骨にかけてと広範囲になっていく

腕は上がるし五十肩ではないようだが 鬱陶しい日々が5月になっても続き そんな頃だった


姉が 電話をしてきて後縦靭帯骨化症(難病指定)だと言ってきた

実は この病気は父が持っていたものだった

老年期になった頃 父は発症した

二度 三度 通院したものの 症状はいたって軽く また良くもならないしと 結局そのままになった

私生活には何の支障もなく それでも俺は難病を持っているんだぞなんて 変な自慢をしていたものだ

この病気は人によって症状や病状の進行はさまざまで 最悪は歩行困難にもなるという

その事などすっかり忘れていたのだが 姉からの電話で思い出したのだ

姉も姉で 私もやっぱり父の子だったわと 奇妙な自慢をして電話を切った


初めは姉のことが心配で病気の事を調べていたら なんと遺伝性が高いと書いてあるではないか

きょうだい間では30%

まさか 私も?と心配になってきた

姉を支えるつもりの私までもが同じ病になったらどうするのだ

更には姉も左側だというし これでは二人三脚が出来ないじゃないか なんて馬鹿な事まで考えたりして・・・


会社を休んで病院に行くことにした

レントゲンと人生で初めてのMRIを受けたのが先週のこと

意気消沈とまではいかないものの そのまま帰宅して食事をする気分でもなかった私は お鮨を食べて帰った

そう多くはないが 私が一人でお鮨を食べるとしたら ほとんどがこの店である

馴染み客というわけではないが 通っている年数は長い

たまたまそこで出くわした男性の客と会話が始まったら 同じ幼稚園の出身ということがわかった

彼は早生まれなので 私よりも学年がひとつ上になる

そんな話をしていたら その店で働く女性も同じ幼稚園でしかも同学年だった

男性客は こんなことってあるのかなあ と

彼は その店で私を見かけたことがあると言い 店の女性は私が昔めがねをかけていたことも知っていた

驚いた

どこで誰が見ているか わからないものだ

他人の目にどう映ろうと構わないが 自分で自分の行為を恥ずかしいと思うような事だけは避けようと密かに思った

夕方帰宅した私は そのまま翌朝まで眠り込んだ


今週の水曜日が判決日だった

その日は ちょうどクライアントの創業記念日ということで 会社は休みになった

どんな結果であろうともせっかくの休みを愉しもうと 私はカメラを持って出かけることにした

結果はシロだった

先生が神様に見えた^^

多少の老化はあるものの 少なくとも 今の段階で骨に関する異常は見られないとのことだった

運動をしなさい

更年期とは関係ないし グルコサミンも必要ないと言われた


常に最悪を考える楽観主義者ではあるが 無罪放免となり 

釈放された娑婆の空気は 大袈裟に言えば生まれ変わった気分だった

今回は何とかクリアした

だが いつかは 間違いなくキャッチされるだろう

人生の鬼ごっこに参加したものは 誰でもいつかは鬼につかまるのだ

それでも生きていることに素直に喜びを感じた

そして この命がいつ消えることになろうとも 私はこの喜びを失うことはないだろうという予感も確かにした 


その日の午後 私は少し徘徊をした

昼下がり 一人で乾杯もした

そして プリンターを買った

今日 午前中に庭の草取りをし 木も少し剪定してあげた

相変わらずニャンコの落し物があり 3時間も頑張ったのに50点の出来栄えだったが それでも満足だった

午後は 飲みたい気持ちを抑えて買い物に行き 届いたプリンターのセッティングと試し印刷 


日記が途絶えたのには こういう理由があった

事の顛末がどうであれ はっきりしてから書きたかった

足跡に返事をしようとも思ったが まずは日記を書いてからというのが私のやり方なので失礼したかと思う

では 心置きなく足跡訪問と参ろうか

それにしても肩こりというものは こんなに辛いものなのか 

「介の字貼り」の意味が 今回よくわかった!

そしてもう一つ ひとり者が背中に膏薬を貼るのは至難の業だということも
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