本は持ち歩くようにしている
しかし 朝の通勤電車の中では開ける状態になることは少なく 帰宅の途中で読めたら良いとしている
昼休みも30分ほどで切り上げ仕事に取り掛かるせっかち野郎だし 帰宅したら読書の時間は無い
休日 お風呂の中で読むのを一番の読書の時間として楽しみにしている
(したがって 私の本はしばしば 少しふやけていることがある)
「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」も こうして読んだ
先の大戦でソ連(ロシア)の強制収容所に入れられた人の話(ノンフィクション)である
民間人も含む60万の日本人が俘虜生活となり 一割以上がダモイ(帰国)を願いつつ極寒の異国の地で果てた
その一人となった山本幡男という人物を軸として 長い年月が静かに語られていく
彼の命が長くないとわかった時から 必ずや帰国して遺書を家族に届けると決めた仲間たち
遺書は 本文のほか 母 妻 子供にあてられた全四編
筆記したものは持ち帰ることはできないからと 幾人もがその幾つかを重複して記憶した
その彼らが山本の家族に届けることができた頃 経済白書は「もはや戦後ではない」と言葉を結んでいた
私にとっての戦争の記憶は ごくごく小さい頃 繁華街で見かけた兵隊服の人
ハーモニカを吹き 物乞いをしていた姿
10円玉を母からもらって小さな紙の箱に入れたことを覚えている
もう一つは父からの軍隊での話
人類が歴史を刻み始めてからこのかた 世界から戦争が消えたことはない
今更 戦争の悲惨さを私が説くまでもない
戦争責任についても その補償に関しても 私の考える範疇ではない
作者自らが言うように 山本という男の不屈の精神と生命力 遺書を持ち帰った男たちの友情こそが感動を呼ぶ
特に子供たちへ宛てた遺書は 日本の子供すべてに宛てたといってもよいほどのものである
彼が父親として共に暮らせたならば 長い年月の間に語っただろうことをすべて 遺書の中に託したのだろう
わが社の社員たちは しばしば冗談でこの職場は監獄だと話す
だが これを読んでから 私はラーゲリよりどれだけましかということを社員に話している
納得してもらえた様子は皆目無いが もう少し損得勘定を捨てれば そうして自分の精神向上を目指せば
少しは居心地も良くなるのではないかと私は思っている
もっともダモイ(定年退社)まであと数年の私なので 彼らとの温度差も仕方あるまいか
追記:彼のご長男は東京大学を出られたあと 大学で教鞭をとられていたらしい
長い間 父親の眠る地には行くことができず 数年前に訪問したらしいことをインターネットで知った
しかし 朝の通勤電車の中では開ける状態になることは少なく 帰宅の途中で読めたら良いとしている
昼休みも30分ほどで切り上げ仕事に取り掛かるせっかち野郎だし 帰宅したら読書の時間は無い
休日 お風呂の中で読むのを一番の読書の時間として楽しみにしている
(したがって 私の本はしばしば 少しふやけていることがある)
「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」も こうして読んだ
先の大戦でソ連(ロシア)の強制収容所に入れられた人の話(ノンフィクション)である
民間人も含む60万の日本人が俘虜生活となり 一割以上がダモイ(帰国)を願いつつ極寒の異国の地で果てた
その一人となった山本幡男という人物を軸として 長い年月が静かに語られていく
彼の命が長くないとわかった時から 必ずや帰国して遺書を家族に届けると決めた仲間たち
遺書は 本文のほか 母 妻 子供にあてられた全四編
筆記したものは持ち帰ることはできないからと 幾人もがその幾つかを重複して記憶した
その彼らが山本の家族に届けることができた頃 経済白書は「もはや戦後ではない」と言葉を結んでいた
私にとっての戦争の記憶は ごくごく小さい頃 繁華街で見かけた兵隊服の人
ハーモニカを吹き 物乞いをしていた姿
10円玉を母からもらって小さな紙の箱に入れたことを覚えている
もう一つは父からの軍隊での話
人類が歴史を刻み始めてからこのかた 世界から戦争が消えたことはない
今更 戦争の悲惨さを私が説くまでもない
戦争責任についても その補償に関しても 私の考える範疇ではない
作者自らが言うように 山本という男の不屈の精神と生命力 遺書を持ち帰った男たちの友情こそが感動を呼ぶ
特に子供たちへ宛てた遺書は 日本の子供すべてに宛てたといってもよいほどのものである
彼が父親として共に暮らせたならば 長い年月の間に語っただろうことをすべて 遺書の中に託したのだろう
わが社の社員たちは しばしば冗談でこの職場は監獄だと話す
だが これを読んでから 私はラーゲリよりどれだけましかということを社員に話している
納得してもらえた様子は皆目無いが もう少し損得勘定を捨てれば そうして自分の精神向上を目指せば
少しは居心地も良くなるのではないかと私は思っている
もっともダモイ(定年退社)まであと数年の私なので 彼らとの温度差も仕方あるまいか
追記:彼のご長男は東京大学を出られたあと 大学で教鞭をとられていたらしい
長い間 父親の眠る地には行くことができず 数年前に訪問したらしいことをインターネットで知った