どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

お節作り終了につき あの世への招待状を送る

2011年12月30日 | 日記
28日に今年の仕事も無事終了

昨日の午前中は買い出し

食材を求めて 隣駅のスーパーまで出かけた


ここには某書店のチェーン店がある

私の住む町よりも店舗の規模は小さいのだが 棚に並べるチョイスが悪くない

大型書店であれば多くの人の希望に添った本を並べることができるだろうが 限られたスペースでは難しい

新刊や売れ筋を並べるのか 本好きの人のためだったり これは読んで欲しいと思うような本を並べるのかは

それぞれの書店の方針によるのだろうし それはそれで構わない

大事なのは どこも同じ色にならないことだ


帰宅してからお節作りを半分ほどこなし 今日が今年最後のゴミ出しの日ということもあって 部屋を片付けた

そして今日は 朝から残りのお節作り

流しているラジオから 年末は野菜などの物価が上がる 値段が高いので買い控えた というリスナーの声があり

あまり実感しなかった私は よほど疎いのか知らないのか あるいは いや だから幸せなのかとも


決して高給取りでは無いし どちらかといえば貧乏な生活だが お節の材料を買うのに何の躊躇も無いのは

おそらく親がそうしてきたことを見てきているからだろう

年代的なこともあって 決して贅沢をするような親では無かったが それゆえの正月の贅沢だったのだろうか

それとも これが江戸っ子ということだろうか


ラジオのパーソナリティーはリスナーの声に続けてこんな話をした

昔 先輩に言われたのだけれど それもこれも一年の終わりのご祝儀だと思えばいいと

それが 誰かのところに回っていくのだからと

そう思えるとしたら 十分幸せな今を送っている何よりの証拠だろう


今年も慈姑(クワイ)を買った

5個入ったパックが700円と 昨年よりも高かったようにも思うが それもあまり記憶に無い

あれこれ見比べて3パック買った(これを一人で全部食べるのだ!)

それを選んでいた時 これ 皮をむくのが大変なのよね~ という声を聞いた

80個のクワイの皮をむくのは これが大好物である父の仕事だったことを思い出した

几帳面な父が 嬉々としてやっていたことを思い出す

昨日 15個の皮をむくのでさえ もうこれ以上は嫌だと思ってしまったが

お節作りもすっかり慣れた今 父好みの良い感じに出来上がったものを見ると してやったり!と思わずほくそ笑んだりして


毎年 毎年 この中で何が一番好き?と母は同じ質問をしたものだ

父は 慈姑 田作り 数の子 と答え

母は 金平牛蒡と蒲鉾 と言い そんなのいつでもあるじゃないと家族から言われ

あまり感情をあらわにしない姉は それには答えずパクパクと食べ

そして私は 煮豆以外は全部好き!(小食 偏食のくせに食い意地は一人前だった)


全部好きな私は 今夜から毎朝毎晩これをお皿に取り分けてビールを飲む

もうお重も出さない生活だが お節の味は何も変わってない

今夜招待するから お盆じゃないけど帰っておいでよ

あっ ごめん!二人とも好きだった煮豆だけは用意してないからね~
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする