どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

夏の旅 §9.海側の美しいビルたち

2012年08月19日 | 日記
さて 一気に?§8まで書き上げてきた私だが ここからはビールを飲みながら書かせてもらう


二日かけて神戸の街を見る予定でいた

最初は海側 次の日は山側と決めていた

海側はほとんどがビル中心になる

さほど広範囲ではなくとも ストリートとアヴェニューをくまなく見るとなると相当の歩行距離になる

覚悟を決めないと歩けない


予定では阪神に乗って三宮で降りるつもりだったのに 昨日慣れた阪急に乗ってしまった

せっかく作った計画表 何にも見てないじゃん・・・私

まぁ さほど離れているわけでもないんだけどね


ところで私は旅に出る時 バスや電車の時刻はもちろんだが 地図も印刷して持っていく

行けばわかるだろうなんて大雑把な地図だけを頼ると 失敗する

かなり精密な地図を数枚印刷して それを貼りあわせる

そうした作業の中で 少しでも土地勘を養うことにしている

ワンブロックが何メートルくらいになるのか それによって所要時間も見当がつくし 無駄も省ける

この海側だけでもA4サイズの地図を8枚貼りあわせた


私の大好きだった植草甚一さんは 行ったこともないニューヨークの街の何番街に何があるかを知っていた

60歳を過ぎて初めてかの地を体験するのだが その時の感動がその後何度も向かわせることになった

それは 体験することの何物にも代えがたい意味を示すとともに それまでに培ってきた想いの熟成もまた大事なのかと思う

私の旅もスケールこそ違えど 気持ちは同じ


まずはフラワーロードを抜けて旧神戸市立生糸検査所に行く

縦のラインが美しいビルだ

神戸税関 チャータードビル 神港貿易会館 神港ビル 商船三井ビル 海岸ビル 海岸ビルヂング・・・ どれも顔がいい

しかも 生き生きとしているのがいい

横浜のキング クィーン ジャックの建物を思い出す

ちょっと裏手にある昭和ビルなんてのも実に味がある

神戸市立博物館も見た

流れる汗をひかせるのにも最高だが ここに展示されていた神戸の街と異人館との歴史は興味深かった

神戸朝日ホールは旧神戸証券取引所であり 今では渡辺節の設計のほんの一部分を残す(復元)のみのものだが 様式美と合理性をマッチさせた彼の建築を私は好む


今思い出しても おなかがいっぱいになるほどの美味しさ 

いつまでも 見世物としてではなく 化け物のようにもならず 貿易港としての歴史を大事にしつつ末永く生きて欲しい

それにしても コム・デ・ギャルソンが入るのはいいとしても グランバックとはねぇ~

写真に撮っていても・・・ まぁ いいかぁ・・・日本人もそこまで繁栄したってことで・・・(ボディサイズが?)


この港近くでのこと 右翼団体の街宣車のすごいことといったらなかった

それは その日の午後にも続く




[薄くなったね~ その1] 「毎日新聞神戸ビル」
コンドルに学び 美しい「海岸ビル」「海岸ビルヂング」を手掛けた河合浩蔵の最晩年の作品
薄くなりながらも かつての雄姿を!




[薄くなったねぇ~ その2(前)] 「みなと元町駅」
金ちゃん(泣く子も黙る辰野金吾)作の「旧第一銀行神戸支店」 でも なんか変では?




[薄くなったねぇ~ その2(後)] 「みなと元町駅」
ってことでごめんね 金ちゃん!舞台セットみたいになっちゃったけど 美しさは変わってないよ~

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夏の旅 §8.大阪の朝

2012年08月19日 | 日記
朝 3時ごろ目が覚めた

前日の早起きのせいだろうか 

今回の旅は 何より天気が気になる

6時半ごろ ホテルを出発

私が泊まったホテルは淀屋橋にあり御堂筋からすぐのところ 大阪駅(梅田駅)からは地下鉄で一駅の距離だ

このあたりも近代建築の宝庫

数年前に一度見ているが 何度見ても良いものは良い

せっかく来たのだから挨拶していこうと それで早めの出発


初めはホテルすぐそばの「大阪倶楽部」

今回閉館中で見ることのできなかった芦屋川にある「滴翠美術館」と同じ設計者のもの

ここには 最終日に見る予定でもある 今はアサヒビール大山崎山荘美術館となっている洋館の持ち主だった加賀正太郎からの寄贈品もあるという

まったく 財閥というもののからみあった関係というのは 下手な芸能界のゴシップなんかよりずっとずっと面白い

外観はいささか重厚でエレガントさには欠けるが 中はとても素晴らしいようだ


次に向かったのは宿敵「三井住友銀行大阪本店」である

なぜ宿敵なのかは 大阪の旅をした時に記したと思う

あかんべをしながら 私は写真を撮りまくった

この近辺は「住友村」とも呼ばれるほどの場所

設計は住友家15代目が作った工作部であり これがあのスカイツリーを設計した日建設計の前身でもある


中之島には この住友家15代が寄付したと言われる図書館や レンガの美しい中央公会堂 日本銀行大阪支店などがあり 何度歩いても飽きることがない

だが 私が一番好きな景色は この中之島にかかる橋から見る町の風景だ

特に朝 東に見える山の上が明るくなり始め その下にはビルの波がまだ半ばシルエットのまま川を挟んで立ち並ぶ

大阪の町を私はほとんど知らないが それでもきっとこれが一番美しい大阪なのでははないかと思っている


今日はいよいよ 昨日通り越した神戸の街 三宮・元町界隈だ
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夏の旅 §7.舞子プロムナード

2012年08月19日 | 日記
明石海峡大橋は すでに舞子駅に降りた時から眼前に飛び込んでくる

おととし 琵琶湖大橋を歩いて渡ったが ここはそういうわけにはいかない

仮に行けたとしても 怖い・・・

怖いくせに体験してみたいのが 人間というもの

「舞子プロムナード」は そんな人間の心をがっちりと掴む施設だ


エレベーターで8階まで上がると最初の回廊式展望台があり 中央にはラウンジ その先に二つ目の回廊式遊歩道 といった具合になっている

海上47メートルから波のうねりもしっかりと見える

橋の真下にあるから 当然行きかう車の振動を受けてかすかに揺れる・・・てたよね・・・と思う


二回目の遊歩道には 一部分がガラスになっているところがあり 海が足元に見える

そこに丸木橋が渡してあって 足を踏み外したら海に落ちた!と錯覚しそうな感じ

勿論 ガラスの上を歩いても良いのだが 私はこれに似た東京タワーのガラスの上にでさえ立てない

どんなに強化ガラスだと自分に言い聞かせても 苦手なのだ

自分が足を下ろした瞬間 運悪く割れるということが どんなに無いと頭ではわかっていても ありそうに思えてしまう

木登りなど大好きだったし 高い塀の上でも立って歩いていた子供だったのに 今では高所の端に立つと 飛び降りてしまいそうな(落ちそうというよりも)気がしてならない


あとでお見せするが この通路の一部を占めるガラスの部分はかなり広く それを避けるためにはわずかに端に残った廊下の部分を身を細めて歩くか 丸木橋しか無い

子供もいる中で大の大人が身を細めて歩くのは いささか恥ずかしい

丸木橋なら怖くは無い!

景色は極めてよろしい


中間にある展望ラウンジで この日二度目の食事をする

ありきたりのメニューの中 生ビールと明石焼きを注文

アルバイトらしき女の子がビールの注ぎかたがわからずに 店長に指南を

お~い 大丈夫かぁ~ 今日初のビールなんだからね

時は夕方5時を回っている

出来ることならば夕日を見たかったが ホテルのある大阪までは1時間ほどかかる

急ぎ足でここまで来たことに後ろ髪をひかれる思いがしないでもないが またってこともあるさ


ホテルに着いてからまず汗を流し ジャンクフードとビール

明日の支度をしてから心地よく眠りについた




舞子プロムナードから金網越しにへっぴり腰で撮った「移情閣」




この写真を撮るのでさえビクビクの私でした^^

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夏の旅 §6.舞子公園

2012年08月19日 | 日記
いよいよ海に出る

舞子公園の開園は明治33年にまで遡る

明治天皇がことのほか愛し7回も行幸したというが 確かに景観よろし

そして広い・・・(汗も倍増する)

明石海峡大橋がまっすぐに力強くグィーンとのびる

世界最長の吊り橋であることも 恥ずかしながら今回旅するにあたって初めて知った


「孫文記念館」とも呼ばれる「移情閣」は 神戸の中国人実業家 呉錦堂の別荘「松海別荘」を前身とする

「六角堂」とも呼ばれるが実は八角形の 日本では最古の木骨コンクリートブロック造

呉錦堂なる名前 私には初耳だったが 神戸の人にとっては馴染み深いものであるかもしれない

実業家としての顔を持つだけでなく 神戸の地域発展や故郷に学校を建てるなどの社会事業を数々成し遂げてきたという


社会の変化や時の流れの中で生き残ってきた建築物の背景に 設計家や施主の人生が見えた時 私はいつも頂上は一つなのだと若い頃に抱いた考えを実感する

山を登るとき ルートは幾つもあるし 見える風景もその道の険しさもまるで違う 

しかも同時に二つのルートを登ることはできない

それでも頂上に立てば見える世界は一つのはずだという かっこつけて言えば私の人生観である

日々の生活でも 仕事を通してでも 芸術に触れる時でも およそ私が生きていることの全てはこの一つを求めてのことだと言える

その頂上に立つことは不可能かもしれないし 私の山は小高い丘かもしれないし そもそもそんな頂上が本当にあるのかどうか

ただ あると信じて登るだけだ

笑っちゃうね 笑ってください


この近くには 呉錦堂氏と縁浅からぬ旧武藤山路邸も残されている

鐘淵紡績の中興の祖として知られている

この人の人生もまたなかなか面白そうなのだが 政治と経済には弱い私

それにこの建物 1907年に建てられたという円形のバルコニーが素敵な洋館ではあるのだが 妙にぴんぴか

姿こそ当時のままであろうが おそらく二回の移築でそれなりに新しい素材も使われているようで 中は見なかった


今日のラストは全くのお楽しみ アミューズメントへGO!




「移情閣」で使われている「金唐紙(金唐革紙)」(日本の伝統工芸である高級壁紙)
白熱灯の暖かい光に照らされると 黄金色に輝く

今まで私が見たことのある金唐紙は以下
東京・台東区のコンドルによる「旧岩崎家住宅」(旧製品・復元品)
青森県弘前市にある「現青森銀行記念館」(旧製品のみ)

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夏の旅 §5.舞子ホテル

2012年08月19日 | 日記
今日最後の駅は 舞子公園

途中の塩屋と呼ばれるところにも 幾つか近代建築が残っている

あるものは会社所有の寮だったり レストランになっていたりするが 半ば朽ちてしまったようなものもある

前回 計画で迷ったと書いたのはこの近辺のこと

結局今回は却下した

車窓から見えるという情報は得ていたので 子供のように外ばかり眺める

あれがそうかぁ と感無量


舞子公園でのお楽しみは 孫文記念館になっている「移情閣」と呼ばれる建物と明石大橋を体験できる「舞子プロムナード」だ

だが 降りてからまず足を向けたのは駅の北側にある「舞子ホテル」

岐阜羽島の出身で海運業で財をなした日下部久太郎の別邸であった建物

煉瓦造であり 表面には白い化粧煉瓦を施していることが大正期のモダン


名前の通り すでに戦前から「舞子ホテル」という名で料亭として活躍していたそれは 戦後のGHQ接収の時期を経て 現在ではブライダルやレストランとして使われている

引き出物と思われる袋を手に持った人が数人出てきたので 中に入るのはあまりに無粋

こっそり庭のほうにまわってみた

洋館に和館がつくという典型的近代建築邸宅で 日本庭園もしつらえてある

記念写真はこちら という立札があった


後日調べてみたら このホテル 今は「山陽電気鉄道」グループ企業の一つになっているようだ

そして日下部久太郎が起こした日下部汽船会社自体も 現在は海洋土木を中心とした建設会社に生まれ変わっている

個人も会社も時の流れの中 自らの意思で また時には強いられつつ 変遷していく

近代建築を見る時 それまで知らなかった人物に触れるのも 楽しみの一つでもある


さて ブライダルにはまったく縁のない私

ここはさっさと退散して 海だ 海! 


※ 舞子ホテルのHP(サイトマップはヒストリー)で外観を見ることができます

 
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