子供のころから そして今も 大晦日の夜の時間が一番好きだ
終わることへのある種の爽快感や 心であれ物であれ 新しきものを迎え入れる興奮
元日を迎えてしまえば もうすでに日常が動き出す
大晦日に叔母からさるデパートのおせちが届いた
子供は無く すでに寡婦となっている父の一番下の妹である
父が亡くなる時 一緒に暮らしたらどうか と言われた
それは 女性の独り暮らしよりもふたりのほうが安心できるという思いがあったのだろう
だが 私は申し訳ないと思いつつも その父の最後の願いをきっぱりと断った
大勢の中に一人が入るのであればともかく 近しい叔母とはいえ遠慮なく暮らすのは無理だろうと感じたし
私にも私なりの生活のリズムがあり きっと互いに嫌な思いをするだろうと想像し
そのことで一生 深い傷を負いながら生きていくのは嫌だと思ったのだ
何より 私には二年に続いての看取りがあった
この先 寿命でいけばいずれまたそうなるわけで 私の人生はこのためにあるわけではないのだと言いたかった
彼女は 友達と暮らすとかで家を売却して南紀に引っ越したが 案の定うまくは暮らせずに東京に戻ってきた
そういう人だということもよくわかっていたので 驚くほどの展開ではなかった
住所や電話番号は聞いたものの それ以降 ほとんど音信は無いままだった
時期をはずしてお墓参りに行くと 必ず誰かが墓参してくれただろう痕跡がある
それを 今年の秋には見ることが出来なかった
心配になった私は その場で電話をしてみた
その時に おせちを送るからと言われたのだ
一緒に旅行にも行きたい 費用なら任せて とも言われたが 声は随分と元気が無かった
叔母の様子を見にいくべきだろうか
だが 姪や甥は私以外にもいる
父と仲の悪かった というよりも散々辛酸をなめさせられたあの叔父には 今は私とは比べられないほどに出世した子供たちがおり
しかも 叔母とは長く付き合いもあったらしい
今更 私が出ていくことも無いだろうと思う
万が一遺産でもあったら 返ってやっかいを背負い込むことになる
父が 自分の死のことは知らせるな 葬儀にも呼ぶなと言ったのにもかかわらず その叔母は知らせたのだ
従妹からの電話を受けた時 私は丁重にお断りをし それが父の意思であることも伝えた
これ以上 関わりたくはない
そう思いつつ 地図で叔母の住む場所を確認したりもしている
大晦日の午後 私が作った我が家のおせちと叔母のおせちを両親の写真の前に並べ 一年の報告をしてから前倒しの正月
昨日は ゆるゆると過ごした
ネットで無料の映画「グレート・ディベーター 栄光の教室」を見た
州立大学への入学を黒人には許されていない問題について いつかは変わるだろうが今は性急だという白人学生の意見に対して 黒人の女子学生が言った
いつかとは いつなのか 明日なのか 来週?100年後?永遠に来ない? 正義と自由の時はいつでも 今 なのだと論破する場面がある
その時 今の日本の原発問題を言われているような気がした
今朝は 今年の夏の旅の候補地を検索
せっかちな私は 早くも夏に向けて今から心が弾む
そして夏が終われば また大晦日がやってくる はずになっているのだが
終わることへのある種の爽快感や 心であれ物であれ 新しきものを迎え入れる興奮
元日を迎えてしまえば もうすでに日常が動き出す
大晦日に叔母からさるデパートのおせちが届いた
子供は無く すでに寡婦となっている父の一番下の妹である
父が亡くなる時 一緒に暮らしたらどうか と言われた
それは 女性の独り暮らしよりもふたりのほうが安心できるという思いがあったのだろう
だが 私は申し訳ないと思いつつも その父の最後の願いをきっぱりと断った
大勢の中に一人が入るのであればともかく 近しい叔母とはいえ遠慮なく暮らすのは無理だろうと感じたし
私にも私なりの生活のリズムがあり きっと互いに嫌な思いをするだろうと想像し
そのことで一生 深い傷を負いながら生きていくのは嫌だと思ったのだ
何より 私には二年に続いての看取りがあった
この先 寿命でいけばいずれまたそうなるわけで 私の人生はこのためにあるわけではないのだと言いたかった
彼女は 友達と暮らすとかで家を売却して南紀に引っ越したが 案の定うまくは暮らせずに東京に戻ってきた
そういう人だということもよくわかっていたので 驚くほどの展開ではなかった
住所や電話番号は聞いたものの それ以降 ほとんど音信は無いままだった
時期をはずしてお墓参りに行くと 必ず誰かが墓参してくれただろう痕跡がある
それを 今年の秋には見ることが出来なかった
心配になった私は その場で電話をしてみた
その時に おせちを送るからと言われたのだ
一緒に旅行にも行きたい 費用なら任せて とも言われたが 声は随分と元気が無かった
叔母の様子を見にいくべきだろうか
だが 姪や甥は私以外にもいる
父と仲の悪かった というよりも散々辛酸をなめさせられたあの叔父には 今は私とは比べられないほどに出世した子供たちがおり
しかも 叔母とは長く付き合いもあったらしい
今更 私が出ていくことも無いだろうと思う
万が一遺産でもあったら 返ってやっかいを背負い込むことになる
父が 自分の死のことは知らせるな 葬儀にも呼ぶなと言ったのにもかかわらず その叔母は知らせたのだ
従妹からの電話を受けた時 私は丁重にお断りをし それが父の意思であることも伝えた
これ以上 関わりたくはない
そう思いつつ 地図で叔母の住む場所を確認したりもしている
大晦日の午後 私が作った我が家のおせちと叔母のおせちを両親の写真の前に並べ 一年の報告をしてから前倒しの正月
昨日は ゆるゆると過ごした
ネットで無料の映画「グレート・ディベーター 栄光の教室」を見た
州立大学への入学を黒人には許されていない問題について いつかは変わるだろうが今は性急だという白人学生の意見に対して 黒人の女子学生が言った
いつかとは いつなのか 明日なのか 来週?100年後?永遠に来ない? 正義と自由の時はいつでも 今 なのだと論破する場面がある
その時 今の日本の原発問題を言われているような気がした
今朝は 今年の夏の旅の候補地を検索
せっかちな私は 早くも夏に向けて今から心が弾む
そして夏が終われば また大晦日がやってくる はずになっているのだが