8月になった
東京に関して言えばだが このところ朝晩は涼しい
だが あまりに早かった梅雨明け宣言のあと 確かに一時は猛暑になったものの そのあとは連日何かしらの水滴が空から落ちている
これが夏だ!というような日などは 今日までほんの数日しかなかったような気がする
思いっきり梅雨を演じることのできなかった空は 往生際が悪く 諦め切れないみたいだ
今年は回数を増やした庭の草取りだったが 連日の適度の湿り気と気温のせいなのか 先週原っぱ同然になっているのをへっぴり腰で確認した時といったら 料理を作り終えていざテーブルに乗せようという瞬間にお皿をひっくり返した時のような・・・・
大きな落胆のあとに気持ちを立て直して覚悟を決めるまでには 潔い諦めと勇気と時間が必要となるものだ
夏の休暇には やらねばならないだろうなぁ
歯医者通いもまだまだ続いているけれど 夏が終わる頃にはこれも終わるだろう
会社のISMSの継続審査は無事通過して肩の荷が一つ降りたが この役目もまだまだ続く
定年が近くなってきたことだし 私は来年を最後に誰かに譲り(というか押し付けて)お役御免を願い出ようかと思っている
今の段階では定年後も長く勤めて欲しいと言われているし 私とて先の生活を考えれば2年か3年ほど延長すればそれだけ老後の資金は楽になるとはわかっている
けれども 指折り数えている私は 今はそこまで考えたくも無いのだ
人生80年とすると 最初の20年は自由を求めるものだった
次の20年は自由について考える年月であり そしてその次に続く現在を含めた20年は 自由を実践し学習する時期になったように思う
最後の20年は 義務や責任の多くから解き放たれ ほとんど素になった自分がどれだけ自由を楽しめるものなのか 改めて自由について考えながら謳歌したいと考えている
たった一人の ほとんど何も背負わない自分がどう生きるのか それを確かめてみたい 挑戦してみたいという気持ちが強くなってきている
今週土曜日から3泊4日の旅に出る
今年は 昨年の豪雨で断念した大山崎山荘美術館を見るために 京都・大阪にした
今までこの地は何度か下車しているし 町を歩いたこともあるのだが 実際に見たものはそう多くは無い
計画の初めはいつも欲張りで 次第に厳選せざるを得なくなるのはいつも同じ
どこまでも歩いていけるつもりではあっても 距離を測れば時間的には無理ということもあり 何にでも限界というものはあるのだと悟る
数を追えばそれは単に仕事となり リストに✓を入れる作業と化してしまう
そんなことはしたくない
おそらく 今回もごく限られた地域になってしまうだろうと思うが それでも見ないよりは良い
5年前に京都で見たある煉瓦の建物は その翌年取り壊され老人ホームになっていたことを 今回調べていて知った
私のPCの中の写真を調べたら それを撮ったものは一枚しか無かった
それでも 実際に見たという記憶があるだけでもまだ良いかもしれない
私が感動したもので その翌年に国の重要文化財に指定されたものもある
鳥取県の智頭町にある石谷家住宅の あの見上げんばかりの木の梁組みや柱(土間に寝転がって写真を撮ったことを思い出す) 窓桟や欄間の細工やそれが生み出す光と陰の美しさは 今でもはっきりと思い出すことができる
今のところ比較的涼しい東京から気温の高い西へ行くのは 候補地の選択を誤ったかと思わないでもない
でも行けばきっと! きっとに決まってる
そうと信じつつ 旅の支度をしている
東京に関して言えばだが このところ朝晩は涼しい
だが あまりに早かった梅雨明け宣言のあと 確かに一時は猛暑になったものの そのあとは連日何かしらの水滴が空から落ちている
これが夏だ!というような日などは 今日までほんの数日しかなかったような気がする
思いっきり梅雨を演じることのできなかった空は 往生際が悪く 諦め切れないみたいだ
今年は回数を増やした庭の草取りだったが 連日の適度の湿り気と気温のせいなのか 先週原っぱ同然になっているのをへっぴり腰で確認した時といったら 料理を作り終えていざテーブルに乗せようという瞬間にお皿をひっくり返した時のような・・・・
大きな落胆のあとに気持ちを立て直して覚悟を決めるまでには 潔い諦めと勇気と時間が必要となるものだ
夏の休暇には やらねばならないだろうなぁ
歯医者通いもまだまだ続いているけれど 夏が終わる頃にはこれも終わるだろう
会社のISMSの継続審査は無事通過して肩の荷が一つ降りたが この役目もまだまだ続く
定年が近くなってきたことだし 私は来年を最後に誰かに譲り(というか押し付けて)お役御免を願い出ようかと思っている
今の段階では定年後も長く勤めて欲しいと言われているし 私とて先の生活を考えれば2年か3年ほど延長すればそれだけ老後の資金は楽になるとはわかっている
けれども 指折り数えている私は 今はそこまで考えたくも無いのだ
人生80年とすると 最初の20年は自由を求めるものだった
次の20年は自由について考える年月であり そしてその次に続く現在を含めた20年は 自由を実践し学習する時期になったように思う
最後の20年は 義務や責任の多くから解き放たれ ほとんど素になった自分がどれだけ自由を楽しめるものなのか 改めて自由について考えながら謳歌したいと考えている
たった一人の ほとんど何も背負わない自分がどう生きるのか それを確かめてみたい 挑戦してみたいという気持ちが強くなってきている
今週土曜日から3泊4日の旅に出る
今年は 昨年の豪雨で断念した大山崎山荘美術館を見るために 京都・大阪にした
今までこの地は何度か下車しているし 町を歩いたこともあるのだが 実際に見たものはそう多くは無い
計画の初めはいつも欲張りで 次第に厳選せざるを得なくなるのはいつも同じ
どこまでも歩いていけるつもりではあっても 距離を測れば時間的には無理ということもあり 何にでも限界というものはあるのだと悟る
数を追えばそれは単に仕事となり リストに✓を入れる作業と化してしまう
そんなことはしたくない
おそらく 今回もごく限られた地域になってしまうだろうと思うが それでも見ないよりは良い
5年前に京都で見たある煉瓦の建物は その翌年取り壊され老人ホームになっていたことを 今回調べていて知った
私のPCの中の写真を調べたら それを撮ったものは一枚しか無かった
それでも 実際に見たという記憶があるだけでもまだ良いかもしれない
私が感動したもので その翌年に国の重要文化財に指定されたものもある
鳥取県の智頭町にある石谷家住宅の あの見上げんばかりの木の梁組みや柱(土間に寝転がって写真を撮ったことを思い出す) 窓桟や欄間の細工やそれが生み出す光と陰の美しさは 今でもはっきりと思い出すことができる
今のところ比較的涼しい東京から気温の高い西へ行くのは 候補地の選択を誤ったかと思わないでもない
でも行けばきっと! きっとに決まってる
そうと信じつつ 旅の支度をしている