今日は私の誕生日
毎朝 互いの生存を確認するためのメールを送りあう友人から さっそくおめでとうの言葉
夕方には姉からの電話
そしてここでもお祝いコメントをいただいた(感謝!)
誕生日が何故にそんなにお目出度いのか 確かに記念日ではあるし 自分にとっては特別な一日であることは間違いないのだが・・・
その目出度さの意味は 両親が年を重ねるにつれ そして私が大人になるにつれ 段々とわかってきたような気がする
元日を迎えると いつまでこうして家族揃って祝えるのだろうかと いつの頃からか思うようになり 口にこそ出せなかったが 密かな一抹の不安を抱くようになった
そして その気持ちは夏の誕生日祝いのパーティーでも同じで だからこそ一層大事でもあり楽しかった
その人が居たから 私は出会えた
私が居たから その人と出会えた
そのどちらかが無かったとしても 勿論そのまま何事も無かったかのように世界は進むに決まっている
良かったとか悪かったとかの比較も無く ただベクトルが少し変わるだけ
たった一人の誕生で
でもこれは 奇跡ではないか?
年を重ねると またひとつ年を取った もう嬉しくも無いと思う人もいる
確かに冥土の旅の一里塚だが それはこの世に生を受けた時から決まっていることで 生まれたばかりの子供とて最初の誕生日が迎えられる保証はどこにもない
ただ 確率のはなしだけのこと
年を取ることが全てマイナスに向かっているわけではないことは もっと年を取ってみないとはっきりとは言えないが そうでは無いと信じたい
母が私を産む時は 二番目の子供ではあったけれど 辛かったそうだ
暑い日で 3時のおやつにスイカを切っている時に陣痛が始まった
母の母親である私の祖母が 生まれてくる子供はもっと苦しいのよ と言って励ましたと聞いている
父が結核で片肺を切除したあとのことで 母もぼちぼち感染していたのかもしれない
私を抱いてのお宮参りの頃は かなり疲れた顔で写真におさまっている
松林の中にある結核研究所に まだ幼い私たちも検査に行った
あの木のスノコの渡り廊下は 今もはっきり思い出すことができる
父が飲み続けたパスの空き缶は それとは知らず粘土を入れる缶として長く使っていた
胸の整形によるへこみを隠すため 背広の下に入れる母の手製のパッドは父の分身のように 私が昨年家の整理をした時にも まだ箪笥の引き出しの奥にひっそりと仕舞ってあった
子供には結核だったことを隠して 自動車のハンドルで挟んだ怪我の跡だと 小さい頃の私たちはそう聞かされていた
ケーキもプレゼントも何も要らない
あなたが居て 私が居る(吉本新喜劇に こんなセリフ無かったっけか~?)
これが誕生日の本質だと今は思う
だから祝いたい あなたの誕生日も 私のそれも
たったそれだけのことだけれど それ以上 何を望む?
強いて言えば え~と 美味しい食事が少しと 死ぬまで元気な健康と 時々でいいから楽しい旅と 生きていくのに困らない程度のお金と 明晰な頭脳と 素敵な少しの友達と 身長ももう少しと 沢山の美貌と・・・( ← この欲張り~~ )
毎朝 互いの生存を確認するためのメールを送りあう友人から さっそくおめでとうの言葉
夕方には姉からの電話
そしてここでもお祝いコメントをいただいた(感謝!)
誕生日が何故にそんなにお目出度いのか 確かに記念日ではあるし 自分にとっては特別な一日であることは間違いないのだが・・・
その目出度さの意味は 両親が年を重ねるにつれ そして私が大人になるにつれ 段々とわかってきたような気がする
元日を迎えると いつまでこうして家族揃って祝えるのだろうかと いつの頃からか思うようになり 口にこそ出せなかったが 密かな一抹の不安を抱くようになった
そして その気持ちは夏の誕生日祝いのパーティーでも同じで だからこそ一層大事でもあり楽しかった
その人が居たから 私は出会えた
私が居たから その人と出会えた
そのどちらかが無かったとしても 勿論そのまま何事も無かったかのように世界は進むに決まっている
良かったとか悪かったとかの比較も無く ただベクトルが少し変わるだけ
たった一人の誕生で
でもこれは 奇跡ではないか?
年を重ねると またひとつ年を取った もう嬉しくも無いと思う人もいる
確かに冥土の旅の一里塚だが それはこの世に生を受けた時から決まっていることで 生まれたばかりの子供とて最初の誕生日が迎えられる保証はどこにもない
ただ 確率のはなしだけのこと
年を取ることが全てマイナスに向かっているわけではないことは もっと年を取ってみないとはっきりとは言えないが そうでは無いと信じたい
母が私を産む時は 二番目の子供ではあったけれど 辛かったそうだ
暑い日で 3時のおやつにスイカを切っている時に陣痛が始まった
母の母親である私の祖母が 生まれてくる子供はもっと苦しいのよ と言って励ましたと聞いている
父が結核で片肺を切除したあとのことで 母もぼちぼち感染していたのかもしれない
私を抱いてのお宮参りの頃は かなり疲れた顔で写真におさまっている
松林の中にある結核研究所に まだ幼い私たちも検査に行った
あの木のスノコの渡り廊下は 今もはっきり思い出すことができる
父が飲み続けたパスの空き缶は それとは知らず粘土を入れる缶として長く使っていた
胸の整形によるへこみを隠すため 背広の下に入れる母の手製のパッドは父の分身のように 私が昨年家の整理をした時にも まだ箪笥の引き出しの奥にひっそりと仕舞ってあった
子供には結核だったことを隠して 自動車のハンドルで挟んだ怪我の跡だと 小さい頃の私たちはそう聞かされていた
ケーキもプレゼントも何も要らない
あなたが居て 私が居る(吉本新喜劇に こんなセリフ無かったっけか~?)
これが誕生日の本質だと今は思う
だから祝いたい あなたの誕生日も 私のそれも
たったそれだけのことだけれど それ以上 何を望む?
強いて言えば え~と 美味しい食事が少しと 死ぬまで元気な健康と 時々でいいから楽しい旅と 生きていくのに困らない程度のお金と 明晰な頭脳と 素敵な少しの友達と 身長ももう少しと 沢山の美貌と・・・( ← この欲張り~~ )