今年 家の近くの米屋が店を閉めた
65年の営業期間だったそうだ
私が幼かった頃 確か米穀通帳とクリーニング屋の帳面が 台所にあったように記憶している
米穀通帳が形骸化し始めた頃に 店を持ったのかもしれない
ここに住むのは我が家のほうが早かったのか 越してきた当時は別の米屋から買っていた
その後 こちらの店のほうが近かったからか それとも私と同じ年の子(次男)がいたせいか お米やプラッシー 正月用ののし餅もこちらの店から届けてもらうようになった
私よりも5~6歳年上と思われる長男は 高校に進学することなく店を継ぎ 以来営業を続けてきた
今年の正月が過ぎても店のシャッターは下りたままだ
最初は長い休みだとしか思っていなかったが 中旬になってもそのままなので もしやと思っていたら閉店の張り紙があった
これは例の米騒動と関係があるのか
あるいは米屋の存続自体が成り立たなくなったのか
単に年齢と後継者の問題なのか(ともに働いていた三男ももう65歳くらいだろうし)
最初にお米を買っていた店は土地持ちだったこともあってか 色々業種を変えてとっくの昔に米屋ではなくなっている
今 多くの人はお米はスーパーで買っているのだろうから コーヒー豆を売るかのように種類をそろえ 商品の特徴を紹介し 好みに合わせて精米をしてくれるような そんな付加価値でもないと米屋としてやっていくのは難しいのかもしれない
思えば 酒屋も 魚屋や乾物屋も いわゆる雑貨屋(今のようにおしゃれではなく バケツやほうきを売る店)にレコード屋 そして手芸屋も街から消えた
ごく普通のコロッケや焼き鳥を売っているような肉屋さんも 今は無い
最近少なくなったと話題の書店が ここでは比較的大きな店が駅をはさんで二軒あるのはうれしいが 小さな駅前書店はすべて消えた
文具店は かろうじてたった一軒が残っているだけ
数百メートルもあるような商店街であれば今も色々な店が健在だろうけれど 我が町はスーパーは幾つもあるけれど そうした個人商店は減る一方だ
だからなんだということは 何もない
昔を知っていて 変わったことを知っている
それだけ生きてきたということを 時々実感するようになっただけ
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