どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

それも嬉しいような 悲しいような^^

2009年03月17日 | 日記
昨日から 洟の流れを止めることが出来ない

花粉症?

では無いと 自分では思っている

単なる鼻風邪だろうと


こんな時の為に柔らかティシューを常備品にしているが 滅多にご厄介になることはない

今朝 この箱を持って出るのもなぁ~ と思ったので 会社の近くのドラッグストアーで買うことにした

3箱なら490円とあったので 頭の中で割り算をして3箱買った


私の中には 花粉症は 柔な若者がなるものだ という偏見がきっちりとある

偏見だというのは 実は体験上よくわかっている

私よりも3歳年上の姉が子供の頃からの アトピー 花粉症 そして今では喘息の持ち主だからだ

別段お金持ちでもなかったのに クーラー(エアコンじゃない)を比較的早くに入れたのは 姉のためだった

野生児のように健康であることが親孝行のように なんとなく思ってきた


鼻風邪と花粉症の症状は 似ているという

花粉症は ある年 ある日 その限界値を超えて突然なるという

だが 私はこの症状は絶対にそれとは違うと信じ込んでいる

強情だろうが わからずやだろうが 非科学的であろうが 妄信的と言われようがだ


もしも もしも 花粉症であったとしても いやに長い鼻風邪だなぁ~と思いながら 沈静するのを待つだろう

あっ 出血してそれが止まらないなんてことがあったら 間違いなく病院に駆け込むけどね

でも それ以外だったら 鼻を赤くして 柔らかティシューのボックスを持ち歩きながら

くしゃみして 目頭が熱くても いつか治るさって 多分 そうする


花粉症になるほどの現代っ子じゃないっていうのが自慢なのであるのが それも嬉しいような悲しいような^^
  
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最近 そんな気持ちになっている

2009年03月16日 | 日記
今まで 年度末の忙しさといったら それは過酷なものだった

桜がいつの間にか咲き いつの間にか葉桜に変わっている そんな具合で10年以上もやってきたのだ

ところが今年は経験したことの無いほどの暇(会社の体力はまだまだあるので 何も心配は要らない)


毎週月曜に行われる朝礼では 社員が順番で何か一言話すことになっているのだが 今日は私の番だった

人は無いものねだりをするものだ ということ

それを学ぶのに 絶好のチャンスであること

そして 思いがけず出来た時間を有効に使おう といった話をした

とは言っても毎回のことゆえ ネタは既に尽きている(もう 何処を掘っても見当たらないほどだ)

ようよう考えて言ったまでのことではあるのだが・・・


だが 私が今までとは違う夜の時間の過ごし方を考えているのは事実である

今までは 酔っ払って寝るだけの時間しかなかった

それではちょっと勿体無い と思える程度の時間ができた


酒量を減らしている

そのせいか 口数が少なくなった^^

日記や足跡が途絶えてしまうのはそのせいもあるのだが それさえもまた改めねばならないと思っている

で 今夜はどうかっていうと・・・

週末二日間飲まなかったので(なんと 週末にだ!) 飲んでる~~

ちょっとだけど^^


なんだ だから書いたのか って思われても返す言葉は一言も無い

ただ 足跡を残す時も頂く時も やはり日記の更新は(相手も自分も) 無いよりはあったほうが嬉しい

すっかり書かなくなった人もいる

足跡だけで 様子を知ることもあるけれど 

だが 私は こうしている限りは 貴方の日記を読みたいし 私の日記も読んで欲しい


それが素直な気持ちで それでいいのだと それしかないだろうと 最近 そんな気持ちになっている 
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悪くない夜

2009年03月10日 | 日記
春は いつから春なのか 春になったのだろうか

季節の変わり目は 慎重に だが穏やかに 背後からひっそりとやってくる



身体の反応というのは素早いものだと つくづく感心する

脳は おっとりと後からついてくるようだ

私も(私は かもしれない)動物だったのだなと感じる


帰宅して何よりもまず先にと握っていたエアコンのリモコンも 階下のキッチンのガスストーブのスイッチにも

触れるのが遅くなり 時に忘れ・・・

手袋も お気に入りのニット・キャップも 忘れて出勤

別に何の意識も無く 自然にそうなっている


全て これで良いのだと思うようになったてきた

本当にヒトになったのか それとも動物になったのか それはわからない(それに どっちでもいい)

ただ 少なくとも 動物はビールやウィスキーを飲んだりはしないけどね^^


暖かかった昼間を裏切るかのような夜の北風にも 切ないような哀愁と入り混じった奇妙な心地よさ

悪くない夜
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そんな風にして今を暮らしている!

2009年03月09日 | 日記
5:40 目が覚めた

明るくなるまであとちょっとのヌクヌクの余韻を楽しもうとした

ふと気がついてテレビを見ると なにぃ~? 7:15???

慌ててお風呂に入った 

もうアドレナリン放出(ドバドバ)

10分で仕上げて部屋に戻ってみたら なぬ? 6:25???

笑いも出ないフニャフニャ状態

1時間見間違えてた!(やっちまったよ~ 粗忽者め!)

そのくらい 夜明けが早くなったのですね~(っと すっとぼけて^^)


父の夢を見た

昨日の事だったか 今朝の事だったかは忘れた

まるで生きているかのような夢だったので 目が覚めた時 あれ?父は居たんだっけか なんてしばし考えた

そういえば昨日 めったに見ない階下の部屋に入って 何もかもがあの時のままだと

新聞に折り込まれてくる毎月のカレンダーもそのままで 時が止まったかのよう

几帳面だった父の眼鏡も ちゃんとあるはずの場所に(一番お気に入りのは 棺おけに入れたのだが)


この時期は まだまだ私にとっては一種のトラウマ

決して春が嫌いだなんて思わないが それでもまだ まるで昨日のことのようで(陳腐な科白だが)

泣いて暮らしているわけでは無い(全然~)

そこそこの年齢まで生きた両親を見送って あらゆる意味で肩の荷が下りたのも確かだが・・・


充分な愛情を受けて親との葛藤なんて何もなかった人に見えると 最近言われた

前者はその通り

後者はそうでもなかった(誰しもそうかもしれないが)

だが もしも もしもだが 私に優れているところがあるとするならば それは全てひっくるめて 親の遺産

今は そんな風に思っている

そういう意味では 親との葛藤なんて今は何一つない

もっとも 相手は墓石の下だしね

調子のいい事 言いやがって なんて 父は言うだろう


お彼岸をはずして お墓の掃除に行きますね

庭は見て無いんだけど(怖いから 本当に怖いのだ) まっ いずれってことでご勘弁を~

私は そんな風にして今を暮らしている!
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中央郵便局の続きです

2009年03月08日 | 日記
仲良し君の面接の場所は 東京中央郵便局だったそうだ

泊まり業務の為にお風呂場もあり 内部はなかなかのものだったらしい


「あの」東京駅を前にしたこの建物を初めて目にしたのは何時の事だったか

おそらくは若い頃のはずだが その記憶は一切無い
 
勿論 当時徘徊は勿論 建築にさえ興味が無かったのだが その事を差し引いても

私にとっては 何の変哲も無い 広告の垂れ幕が下がったただの郵便局でしかなかった ということだ


忠太に出会ったことが 建物を建築として見るきっかけになったというのは何度も書いている

そうして徘徊するようになってから 当然この東京駅近辺も散歩コースになった

今でこそ新丸ビルのお蔭なのか 買い物客も多くなったが 少し前までの週末にはほとんど人にも会わないような

大きなドブネズミが舗道を駆け抜ける姿を目撃することもある そんな場所だった


今もってそうなのだが ドシロウトの私は外観の天晴れさにまず目がいく

一部とはいえ保存された日本工業倶楽部会館などは まだ何も知識の無かった時に偶然出合ったこともあって

大いに興奮したことを今もはっきり覚えている


この郵便局が ただものでは無いとわかるまでには 時間がかかった

明治時代からの洋風建築(擬洋風も含め)や煉瓦造建築 帝冠様式といった明らかにレトロな外観を持つものと

敗戦からの復興期以降現代に至るまで 次々と建てられていく斬新なものとの狭間にあって 

私の中ではもっとも平凡でありきたりなビルに見えたのも 今思うと仕方の無いことだった


そうでもないんじゃないか と思い始めたのは比較的最近の 再開発が始まってからのことだった

正直 此処ももうお仕舞だな そう思って歩いていた時 この今ではすっかり背の低いビルが目に入った

そして あまりにそっけないほど簡潔な姿に 何故か美しさを感じたのだ


竣工当時 赤レンガの東京駅の前 周囲には茶色の壁面を持つビル

そんな風景の中に この白いタイル壁と 水平垂直を強調するかのような柱梁を持った建物が現われたのだ

土地の形状にあわせたのか ゆるやかなカーブもユニークである

あのブルーノ・タウトやアントニン・レーモンドが絶賛したという話は 後になって知った


解体・建替えの話が本格的になり そのコンペの資料も見たことがある

ドコモモ100選(現在は135点)にも選ばれているというのに こんな風になっちゃうんだな 

ヘルムート・ヤーンの手にかかるというパースを見て そう思った

最近よくある手法だが 案の定一部保存の腰巻建築

だが こんな物は似て非なるものになってしまう

一応 世間の目を考えて保存もしてみました という弁解がましい姿になってしまうのだ

どこかみじめったらしい

経済優先ならば いっそ壊しちまったほうがマシというもの

そのほうが潔く 失ったがゆえに一層愛着も生まれる(かもしれない^^)


それにしても これは当時の税金で建てたはず

それにすでに何年も前から取り沙汰されていたのに 今更反対という声が上がったのは?

ちょっと変なんじゃないかと思わなくも無いが 政治と経済に疎い私には 理解の域を超えている


個体数の多い昆虫は 個人が採集した程度では絶滅したりはしない

それが起こる多くの理由は 人間がもたらす環境の変化にある

それが必要悪ならば 残念ながらそれも仕方の無いこと

破壊と構築は 人の世の常

私は100年先まで生きているわけではない

100年後の人には ごめんなさい ざまあみろ の両方の気持ちがあるが

私だってそれは同じ目に遭っているのだから だから 許してね^^
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