『悩む力』の著者の斉藤道雄さんが「べてるの家」について、
2冊目の『治りませんように べてるの家のいま 』(みすず書房)をかかれたことを書評で知りました。
さっそく本を探しに本屋さんに行ったのですが、
お目当ての本がなかったので、新書を二冊買ってきました。
『葬式は、要らない』 (島田裕巳/幻冬舎/2010)
『がんを生きる 主治医から余命をつげられたらどうすればいいか』
(佐々木常雄/講談社/2009)
『葬式は、要らない』は、わたしが常々思っていたことなので、共感しました。
『がんを生きる』も、末期がんの患者たちに寄り添い、
その最期を看取った医師の、真摯な思索があふれています。
毎日新聞の「がんを生きる」の連載は、66回目。
息の長い記事です。
がんを生きる:/66 10年後の春/下 社会人入試で短大生に/大阪
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『葬式は、要らない』は、書評が出ているので紹介します。
朝日新聞記事
今日の夜は、東京のジェンダーコロキアムで『リハビリの夜』の書評セッションが開催されるので参加します。
友人のコーディネーターで、著者の熊谷晋一郎もお見えになるということで、楽しみです。
『リハビリの夜』熊谷晋一郎著/『逝かない身体――
ALS的日常を生きる』川口有美子著/医学書院(2010.4.8)
お昼ごろに出発するつもりなので、あたふたと二日分のブログを作っているところです。
ではまた。
ダイコンの花
最後まで読んでくださってありがとう
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2冊目の『治りませんように べてるの家のいま 』(みすず書房)をかかれたことを書評で知りました。
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『葬式は、要らない』 (島田裕巳/幻冬舎/2010)
『がんを生きる 主治医から余命をつげられたらどうすればいいか』
(佐々木常雄/講談社/2009)
『葬式は、要らない』は、わたしが常々思っていたことなので、共感しました。
『がんを生きる』も、末期がんの患者たちに寄り添い、
その最期を看取った医師の、真摯な思索があふれています。
毎日新聞の「がんを生きる」の連載は、66回目。
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『葬式は、要らない』は、書評が出ているので紹介します。
朝日新聞記事
葬式は、要らない [著]島田裕巳 [評者]速水健朗(フリーライター)■日本の葬式代は世界一高い [掲載]2010年3月28日 朝日新聞 近頃のはやりモノには「団塊世代」特有の死生観が色濃く反映している。ひとつは少し前の大ヒット曲「千の風になって」。もうひとつは「写経」である。 「私のお墓の前で泣かないでください」という「千の風になって」(作詞者不詳)は、死後、風になって遍在することを夢想するアニミズム的内容だ。ここからは“家”に縛られた墓を否定し“個人”を強調する傾向を見出(みいだ)すことができる。一方の写経は、特定宗派に限られない般若心経の流行でもあり、これもまた個人主義的な宗教の在り方を示している。 日本の葬儀・墓とは、かつての家制度と密接に結びついたものであった。だが、その構図が崩壊しつつある現代においては、齟齬(そご)が生じてきている。『葬式は、要らない』は、こうした現代の葬式・墓の在り方を問うものである。 白洲次郎は遺書に「葬式無用」「戒名不用」とだけ記したという。こうしたドライな合理主義に同調する現代人も少なくないはず。実際、葬式・埋葬ではなく散骨を望む人も増えている。だが、現実には葬式費用は高騰している。平均費用は200万円を超えた。日本の葬式は世界一高いのだ。そこには「世間体」という非合理に決まる「相場」や、高い料金をとる「戒名」などが立ちはだかっている。本書は、こうした葬式にまつわる事象の歴史的背景や変遷を遡(さかのぼ)り、現代的な葬式像を提案する。 著者である宗教学者・島田裕巳の主著『創価学会』は、高度成長期に故郷を離れた都市移住者たちと宗教の問題を捉(とら)えたものであった。本書のターゲットは、まさにあの時代に地方から都市へと生活を移した中心の団塊世代。この世代が死を意識する年代に差しかかった現代を「葬式」という視点から捉えた本書は“都市化時代の宗教”という著者の中心テーマに正面から挑んだものといえるだろう。 ◇ 11刷28万部 |
葬式は、要らない [著]島田裕巳 [評者]長薗安浩■なぜ葬式は金がかかるのか [掲載]週刊朝日2010年4月9日増大号 日本における葬儀費用の平均は、231万円。ちなみにイギリス12万3千円、ドイツ19万8千円、韓国37万3千円、アメリカ44万4千円。日本だけが飛びぬけて高いのは一目瞭然で、この比較を広告や帯に打ち出した『葬式は、要らない』が売れている。 葬儀に金がかかることはずいぶん前から知っていたが、ここまでとは……。そんな驚きとともにこの本を手にとった読者は多いだろう。著者の島田裕巳はまず、今にいたる日本の葬式の歴史を振り返り、なぜこうなってしまったのか解説する。そこでポイントとなるのが、日本の仏教が葬式仏教と化していく過程と、村社会によって育まれた世間体という問題である。 〈生前に死後について考え語ることはできないし無駄だ〉と説いた釈迦の教えとはうらはらに、中世の貴族たちは死後も華やかに暮らせるよう願い、浄土を目の前に出現させようとした。ここにこそ日本人の葬式が贅沢になった〈根本的な原因〉があると島田は指摘する。この浄土教信仰が一般民衆にまで広がり、江戸時代に「寺請制度」によって村落共同体が強化されることで、禅宗の方法を基本とする仏教式の葬式が国の隅々にまで浸透。こうなると村落内での世間体が気になり、見栄をはる葬式が増えていった。 このような歴史的背景と村社会の名残の下、私たちは金のかかる、贅沢な葬式を続けてきた。しかし、核家族化が地方にまで進んでいる現在、この本がベストセラーになっているように、既成の葬式に対する疑問は高まるばかりだ。その象徴ともいえる戒名については、島田も多くのページを割き、自分でつけるやり方まで紹介している。ただし、減り続ける檀家に悩む多くの寺院にとっては、戒名料は貴重な財源でもある。 急激な変化ではないにしろ、日本の葬儀が簡略化、多様化していくのは間違いないだろう。さて、もう一方の当事者である日本の仏教界は、この時勢にどう対処していくのだろうか。 ------------------------------------------------------- 葬式は、要らない (幻冬舎新書) 著者:島田 裕巳 出版社:幻冬舎 価格:¥ 777 |
今日の夜は、東京のジェンダーコロキアムで『リハビリの夜』の書評セッションが開催されるので参加します。
友人のコーディネーターで、著者の熊谷晋一郎もお見えになるということで、楽しみです。
『リハビリの夜』熊谷晋一郎著/『逝かない身体――
ALS的日常を生きる』川口有美子著/医学書院(2010.4.8)
お昼ごろに出発するつもりなので、あたふたと二日分のブログを作っているところです。
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ダイコンの花
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ゴロツキ学者の言うことはアテにならないでしょ。