常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

時雨音羽

2012年10月03日 | 登山


利尻岳といえば、深田久弥が選んだ「日本百名山」の冒頭に登場する山だ。最近の中高年の登山ブームでも、高い人気を保持している。私の知っている山仲間でも、大抵の人がこの山に登っている。

深田久弥はこの本の冒頭で
「礼文島から眺めた夕方の利尻岳の美しく烈しい姿を、私は忘れることが出来ない。海一つ距ててそれは立っていた。利尻富士と呼ばれる整った形よりも、むしろ鋭い岩のそそり立つ形で、それは立っていた。岩は落日で黄金色に染めれていた。」と、名文でこの山を紹介した。そのために、この山に憧れる登山愛好者が、後を絶たないのではないか。

この利尻岳の麓の村で時雨音羽は生まれた。この離島の沓形小学校高等科と卒業して沓形村役場に勤めたが、函館から来た青年教師と知り合い、都会への激しい憧憬を抱く。20前後の青年が抱くこの憧れは、自分の知らないこととの出会いを求めたものであろう。いくら美しくとも、毎日自分の視界に納まる世界は、季節の移ろいはあるとはいえ、同じことの繰り返しに過ぎない。広い世界を見たい、都会で起きていることを知りたい、たくさんの人に会ってみたい。それは飢餓にも似た渇望であった。

大正7年に東京に出て猛勉強をした、己の渇望を実現するために不可能なことはなかった。日本大学法科に検定で合格し、卒業後、大蔵省主税局に勤めることになる。だが、都会に出てみて、今度は反対に、故郷の離島への激しいホームシックを味わうことになる。そんななかで作詞した「出船の歌」が、中山晋平の作曲、藤原義江の唄で大ヒットとなった。

大蔵省の役人としても、なにかの折には故郷の島に帰った。音羽の作る詞には、故郷の自然を詠みこんだものが多い。「鉾をおさめて」「君恋し」「スキー」など、いまでも自然に口をついて出てくる歌詞たちである。
故郷の自然をこよなく愛した時雨音羽に、利尻岳の裾にあるポン山の近くにある姫沼の回想がある。

「この姫沼の傍らにあるポン山は、(ポン=アイヌ語小さい)私の家からは利尻山の左麓にポツンと孤立してよく見える。少年の頃の夢を育ててくれた山だ。ある夕方とても大きな月が、このポン山の肩に出た。驚いて母を呼ぶと母は、あの月の下あたりにきれいな沼があり、その沼に写る月は何よりも美しいが、めったに見たものはないということであった」「利尻山はどこから見てもそれぞれの趣があり、名山の名にふさわしいが、すばらしいのは、この姫沼にうつる利尻富士の倒影であろう」

私は残念ながらまだこの山に登っていない。こんどの旅行でも、ここまで行くことは計画していない。だが、利尻島が生んだ詩人の唄を聞きながら、利尻岳の姿を想像して見る。
死ぬ前に見ておきたい自然が、まだまだ多く残されている気づく。

コメント
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