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夕焼けの空を、烏が塒を目指して急いでいる。秋はつるべ落としと言われるほど、日は山陰に吸い込まれるように沈んでいく。夕焼けがきれいに見えるのはほんの数分である。残照という言葉がふさわしい。太陽は燃え尽きようする一瞬に輝いて美しい夕焼けを演出する。人生でも同じことではないか。晩節の一瞬に、輝いて生きることができればすなわちそれは幸福な一生である。
子どものころ、夕焼けから日の沈むまでのわずかな時間を惜しんで遊んだものだ。兄弟たちは、野良仕事に忙しく、この時間にならないと小さな弟と遊ぶ時間がないからである。手作りのシーソーに乗って他愛のない遊びの時間が楽しかった。遊び道具は手先の器用な兄がいつも手作りしていた。いつか、日は沈み、あたりは暗闇に包まれる。家のなかから、「いつまでも遊んでいると晩ご飯はなしだよ」と上の姉が叱った。
私は、「もっと遊びたいよ」と言った。何故、兄が急に姉に反抗的な態度の出たのか知るべくもない。兄弟3人は家の明かりの反対の方へ歩き出した。「たまには家に帰らなくても平気さ」兄は暗がりをどんどん歩き、積み上げてあった枯れ草を掘り返し、3人が入れるほどの寝床を作った。月のない夜空からは星が降るようであった。近くに流れる川の音が、すぐ枕元からと思われるくらい近く感じた。
帰らない子どもたちを心配して「おーい、○○ーどこにいる」と呼んでいる声が聞えてくる。一番小さな弟は、心ぼそくて涙ぐんでいる。「泣くなよ、見つかるからな」兄はどこまでも反抗を続けるつもりでいる。「オシッコがしたい」弟が訴える。兄は寝床の隅に場所を作って小便をさせる。弟は暗がりのなかでいつしか寝息を立てはじめた。「おーい、帰っておいでよー」遠くで姉たちの声がまだ聞えている。「帰ってなぞ、やるもんか」兄は独りごとのようにつぶやいた。
3人が叱られるのではないかと、怖々家に帰ったのは夜が明けてからであった。小さな子どもにとっては一夜の冒険であった。兄がなぜそんな振る舞いにでたのか、それは謎のままである。あるいは小さな子どもたちに、ささやかな冒険をさせてやろうとした思いやりであったのかも知れない。それとも何か許せないことがあって、一晩心配させてやろうといった復讐心であったか。家ではゆで卵を作って母が迎えてくれた。
そんな経験をした2人の弟と姉が先週に再開した。そんな過去のことは兄も姉も忘れてしまっている。私もそんな話を持ち出しはしない。兄はつまらないギャグを飛ばして、甥や姪を笑わせることに夢中になっている。それを聞いて、姉は口を押さえて笑っているばかりであった。北海道にはやがて冬がくる。しばれる日はもう多くはないそうだが、それでもなお厳しい冬だ。この冬を無事に乗り越えれば、また再開する日がくるだろう。