常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

訃報 丸谷才一

2012年10月15日 | 日記


10月13日午前7時25分、鶴岡出身の作家、丸谷才一が心不全のためこの世を去った。享年87歳である。生前、誕生日の8月27日ごろ、鶴岡から届くだだちゃ豆は大好物であったという。礼状に「ダダチャ豆の一番おいしい時期に生まれたのが自慢のひとつ」と書いた。

同じ鶴岡出身の藤沢周平が鶴岡を海坂藩として小説の舞台にしたが、丸谷才一には故郷が舞台にした小説はあまりない。短編小説『秘密』は珍しく鶴岡が舞台になっている。

「鶴ヶ岡の町の西端をなぞる青竜寺川は、番田村を過ぎたところで水流は三つに裂け、本流も水深が浅く、人工的な優しさを両岸に加える。土地の人はこのあたりを番田川と呼ぶのである。短い橋を又蔵は渡った。川を渡ったところから八日町の町並みが続くが、左側にぎっしり軒をならべる足軽屋敷にくらべ道の右側は村八日町と呼ばれる百姓家の集落で、ところどころ庭とも畑ともつかない空き地が目立った。」

ブックオフに立ち寄って、丸谷才一の本がないか探してみた。文庫の棚にも、日本人作家の棚にも一冊もない。新刊を扱う店では、文庫で『女ざかり』ほか、数冊が並んでいるのみである。これでは、我が家の書棚にあたった方がいいのではと思い、探すとあった。『食通知ったかぶり』である。この中に開高健に勧められて、郷里の近くの酒田へ行くくだりがある。

丸谷才一が、子どものころから食べなれたハタハタについての記述がある。
「先ず最初は田楽。次が白焼。次が塩焼。いづれも二匹づつ、ぺろりと平らげる。そしておしまひは湯揚げ。これはさっと湯がいたもので、この店では刻みネギとモミジオロシとポン酢で食べるようにと言はれたけれど、断って、醤油をかけて食べる。私見によれば、これこそは、ハタハタの脂ぎっていてしかも涼然、濃厚にしてかつ清楚、平俗でしかも雅淡な趣を味はふ最上の方法にほかならないのである。(どうです、熱がはいっているでせう。)これは五匹。」

これだけを引いただけで、丸谷が故郷とその地の味をいかに愛していたか知れよう。私は丸谷才一の小説は正直あまり読んでいない。評論の『忠臣蔵とは何か』を読み、そのユニークな視点に感銘を受けた。『文章読本』、『新百人一首』などが、懐かしく思い出される。その訃報に接して、丸谷才一が忘れてはならない日本の大切な知性であることを痛切に感じた。


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山形の秋

2012年10月15日 | 日記


朝の散歩、久しぶりに悠創の丘に行ってみた。まだまだあたりの山は紅葉が始まっていないが、この丘の大山桜は、葉を赤く染めていた。朝の気温も10℃を切って肌寒い感じだ。一般に外気温が6,7度になりそれが十日ほど続くと、木の葉は紅葉するという。ただ、美しい紅葉には、温度、水分、光などの条件に左右される。この9月に続いた過去に例のない残暑は、秋の紅葉にけしていい影響は与えない。

ひとつ散りまたひとつ散り紅葉かな 山口 青邨



柿も色づき始めている。ついこの間まで青柿だったのが、たった半月も経たないうちに、こんなに色づいた。葉が赤く染まるのも、実が色づくのもきっと温度の低下と関係があるのだろう。実のなかにある種子が大きくなり、渋い実に糖分が貯えられていく。自然の神秘としか言いようがない。ところで里山に見られる柿の実は、収穫しないまま、鳥の餌として放置されるのが目につく。農家の人に聞くと、商品として売れるのは「庄内柿」などのブランド品だけで、取っても売りものにならないのだという。そのため、いらない柿をたくさん貰ってきてベランダに吊るして干し柿にする。剥いた皮は、沢庵漬けにいれると自然の甘みがついて美味しい。

丘の家に柿かがやけり田の家も 水原 秋桜子



石榴(ざくろ)。戯れ歌に「庭の垣根の石榴さえ色つきゃ割れるじゃないかいな」と唄われるほど、どこの家にも石榴が植えられていた。裂けた実から、うす桃色の肉で包まれたいた種がたくさんこぼれる。昔はこの実を食べたものだが、いまは食べず、種を取り出して焼酎に漬け込んで果実酒にする。赤く色づいた石榴酒は、酸味とほんのりした甘さでとても美味しい。

ひやびやと日のさしている石榴かな 安住  敦

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