漱石の俳句を読んでいると中国の故事を詠み込んだものが多い。
秋高し吾白雲に乗らんと思ふ 明治28年
『荘子』の天地篇に「彼の白雲に乗りて帝郷に至らん」とある。帝郷は仙郷、すなわち理想郷を意味している。漱石は、荘子の仙境を詠みこんだが、漱石自身があこがれた理想郷があった。それは、煩雑さのない、閑として遊ぶにまかせる世界である。漱石はそのなかに生きて、ゆったりと山を眺めて暮したいと、折に触れて思い、詩や小説の中に書いてきた。
だが現実には、そんなことは不可能である。実現できないものだからこそ、求めて止まないのである。白雲を見上げながら感じていたのは、何もない空に融けこんでいく己の心であった。そのとき縹渺とした、心がほどかれていくような心地よい気分であった。想像のなかで、理想郷に入っていく開放された自己があった。
しかし、想像の世界と現実の煩雑さにひき裂かれた漱石の精神は、次第に病んでいく。ぼろぼろに裂かれていく漱石の心は、ロンドン留学中にピークに達した。妻あての手紙に、漱石は記した。
「近来何となく気分鬱陶しく、書見もろくろく出来ず心外に候。生を天地の間に享けて、この一生をなす事もなく送り候様の脳になりはせぬかと自ら疑懼致しおり候」
漱石はこのような危機的な境地を、創作の世界の入ることによって抜け出した。ひるがえって、自分自身に目を向けると、すでに一生の大半をなす事もなく送ってきている。いま、縹渺とした境地に至るのは、白雲に乗ることではない。せめて、その近くに自ら身をおき、自然のなかに生かされていることを全身で感じ取ることである。
孫からメールで、希望した学校に合格した知らせが来た。そこで知識を身につけ、煩雑な社会に出ていく。若い命が、しなやかに社会に対応する姿を見ることが、老いていく身に許される少ない楽しみのひとつである。