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昨日、月山の夏スキーがオープンした。テレビに映し出す頂上からの展望は、やはり素晴らしいものであった。今朝、快晴の山形から見る月山は、雪を被ったたおやかな山容を遠くに浮かべている。この山にこの週末に登る計画だ。春、雪の月山は2度ほどの経験があるが、そのときの感動は忘れられない。晴れ渡った絶好の日和であったこともあり、その連綿として連なる山々の眺望は最高であった。一群れの雲が日をさえぎると、雪の上に雲の影が波のように広がった。
自分の今の体力で得られる眺望としては最高のものであろう。鳥海山、日本海、朝日、飯豊、蔵王連峰、庄内平野、山形盆地と東北南部の全貌を一望に収める眺望はまさに壮大である。だが、それは好天という条件によって得られるもので、悪天であればその様相は一変する。激しい風と風雪はもとより、濃霧によっても、一寸先が見えなくなるホワイトアウトを現出する。無論そのような条件のもとで行くことはないが、気候の急変が起きないこともない。
吹く風はさ霧をおくり行きがたし眼鏡はづして走りて下る
ひさかたのさ霧に濡れてひたぶるに月山の道くだりくだりぬ
唱和3年の7月28日、斉藤茂吉は弟の高橋四郎兵衛、その子茂男の3人で月山に登った。本堂寺からは徒歩で、志津に泊り、湯殿山から月山を目指した。夏の最中であるが、この日は肌寒く、笹小屋では焚き火で暖をとったほどである。霧とあるが、ほとんど小雨と同じ状態であったであろう。疲労困憊のなか、一行は頂上の月山神社で御参りをし、早々に走り下った。
茂吉は、雲がたちこめる山頂を見て、頂上に泊らずによかったと歌に詠んでいる。
月山は信仰の山である。15歳になると元服した記念として、湯殿山に参り、月山に詣でることが当時の青年の慣わしととなっていた。茂吉自身、15歳で父に連れられて、月山に参詣し、その後15歳になった長男の茂太を連れて同様に参詣した。この伝等は現在でも受継がれ、7月の月山の山開きには、編笠に白装束に身を固めた道者が、列をなして登拝する。