
10月もあと一日を残すばかりとなった。公園の道に落ち葉が散り敷き、カエデ紅葉が赤く染まっている。日がさしているのに、雨が落ちてくる。空を見ると、北の空が晴れ、東から雨雲が迫っている。5分ほどの買い物だが、傘をとりに戻ろうか、少し悩んでしまった。時雨と書いて、しぐれと読む。寒気が入ってきて、降っては止み、止んでは降る秋の雨のことだ。もう霜が降りる、5℃以下の朝の気温になっている。冬はもうそこまで来ている。
口に出てわが足いそぐ初しぐれ 石田 波郷
この秋、自分の身体で大切にしているものがある。それは足と歯。足は2月から継続しているウォーキング効果で手ごたえがあるが、歯周病のせいでぐらついてきた歯のケアだ。週一で歯科で、歯周ポケットの歯垢除去。歯を磨く時間が徐々に増えている。鏡を見ながら、歯間ブラシを使い、電波歯ブラシで、しっかりと磨く。歯のぐらつきがかなり改善した。2本を抜歯して残った22本を大切にして老後を過ごす。自分の足でしっかりと用をたせることがこれからの目標となる。
眼も心配ではある。手元の小さい字はメガネの力を借りなければ読むことができない。「韋編三絶」という言葉がある。韋編というのは、まだ紙がない時代、竹の札に文字を書き、その札を皮の紐で結んで巻物にした。晩年の孔子が
『易経』を愛読し続け綴じ紐が3度もすり切れた、という故事から出た言葉だ。人はもう死がすぐそこまでやって来ているのに、読書を止めようとしない。読書という行為は、読んで得てた知恵でよりよく生きる。そんな浅はかな行為ではないであろう。死を前にしてなお読み続けることが、読書の本質を示している。読書そのものに、人生の楽しみがある。晩年の田中菊雄先生が、神奈川の自宅で、書庫に入りこんで本のページを開いてまま眠り込む日々を過ごしたという記事を未だに記憶している。
