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源氏物語の7帖は「紅葉賀」である。神無月の紅葉の美しい日、先帝朱雀院の住まいに桐壺亭の行幸があった。その屋敷には、紅葉が紅く染まり、先帝の長寿を祝うのにふさわしい秋の日であった。この賀に花を添えるのは、光源氏と頭中将が舞う青海波であった。
この時、后の藤壺は懐妊しており、行幸に同行することはかなわなかった。多くの女房たちも、二人の青海波をみることができないのを残念がった。藤壺の胸中を察して、帝は清涼殿で行幸の予行練習ともいうべき試楽を行い、藤壺をはじめ、多くの女房たちの前で源氏と中将の青海波が舞われた。青海波とは、唐楽の曲名で、波は序波急という舞の調子で序から、次第に複雑な調子が加わり、急のクライマックスへと展開される。
二人は波に千鳥の模様をつけ着物、頭には鳳凰の頭をかたどった兜をかぶり、源氏は赤、中将は白の衣装で、違いを見せた。詩楽は、かの迦陵頻伽を思わせる美声で舞を引き立てた。帝はついぞ知ることはなかったが、藤壺が懐妊していたのは、若き光源氏との不義の子であった。罪の意識にとらわれながら、源氏は藤壺のために舞い、藤壺もまたその舞いの美しさに見とれるのであった。
もの思ふに立ち去る舞うふべくもあらぬ身の
袖うち振りし心知りきや(光源氏)
唐人の袖振ることは遠いけれど
立居につけてあはれとは見き(藤壺)
試楽のあと、源氏と藤壺の歌のやりとりである。青海波には袖を大きく振る舞いが登場する。袖を振るという行為には、古来「魂よばひ」のしぐさとされている。それを見る人の魂を呼ぶ愛情表現の行為であった。