今年の登山も終わりに近づいた。街の郊外の里山へ仲間と出かける。街には雪はないが、昨日降った雪が、山の上には消えずに残っていた。昨日までの荒天がうそのように晴れ上がり、山の上は冷たい風が吹いていた。日ごろ、散歩のときに目にする千歳山の隣の三つの山だ。なかなか急な道を登り、また急な道を下る。仲間以外には人がいない静かな山だが、足元には、朝の足跡が一人分残っている。
青い空の向こうに、大朝日、月山、葉山の雪景色がくっきりと見える。やはり、こんな自然のなかで、気の合った仲間と談笑することで、喜びに満たされる。睡眠と運動が、老人の元気の秘訣だが、もう一つ仲間と他愛のない話題に笑うことが加わる。ただ、雪の朝は、濡れた木の葉や、湿った土の急斜面で滑りやすい。気をつけたつもりでも、足をすべらせて3度ほど尻もち。
先日、流山にひ孫を見に行ったが、娘の夫が会うとすぐに差しだした本がある。武田文男『山で死なないために』、『山靴を履いたお巡りさん』。言われなくとも、高齢の私で、山で危険な目に会うなといいいたいのだろうとわかる。ひ孫の成長を見届けるために、長生きをせよとの思いもあるだろう。そんな気持ちは痛いほど分かる。だが、こんな自然のなかで、急な山を夢中で登る達成感、そして得られるあまりにも美しい自然の美、仲間との楽しい談笑。これを失ってしまえば、長生きの意義の多くが失われる。
人生の最後に残しておきたい習慣。「恐れと向きあう」恐れと取り組むことで、自分の人生に責任を持つ。そしてつかむ達成、幸福感。それは、生きていることの意味でもある。息子の心配に配慮しながら、安全に、体力を越える山登りは避ける。しかし、できる範囲で、恐れを克服するような身体の動きは、人生の終りまで持ち続けていきたい。