いよいよ年も押し詰まって来た。正月までの日を数えるのを、俳句の季語で数え日という。年賀状を送る習慣を卒業して5年ほどになるので、暮のストレスは随分なくなった。今年の暮は、知人から大根をたくさんいただいたので、好物のブリ大根やおろし納豆など楽しみが多い。今朝、妻の手伝いに大きな大根をおろした。手の力が弱ってきたのか、作業を終えるまでに腕が痛くなる。
数え日や磨れば香だちて陳生姜 飯田龍太
おろすには生姜などが手頃だ。この頃、新生姜がもてはやされいるなかで、陳(ひね)をわざわざ使っているのが面白い。新人じゃない、人生の労苦をくぐりぬけてきた老成の誇りのようなニュアンスである。カツオの刺身に、おろし生姜がうってつけだ。そこにはひねた生姜の香りと辛さの貫禄が似合う。
かっては、年末に祖先や知人の墓参りの習慣もあったらしい。芥川龍之介の「年末の一日」に友人と、夏目漱石の墓を詣でることが書いてある。墓に行く途中休み休み行く箱車を引く男がいた。墓に行く箱車と言えば、棺桶を引いたのであろう。芥川は、その箱車を後ろから押した。
「北風は長い坂の上から時々まっ直に吹き下して来た。墓地の樹木もその度にさあっと梢を鳴らした。僕はこう言う薄暗がりの中に妙な興奮を感じながら、まるで僕自身と闘うように一心に箱車を押しつづけて行った。」