昨夜からの雪で、道路が圧雪になった。除雪車が未明に来て、道端に雪を除けて、その上に5㌢ほどの雪が積もった。スニーカーで雪道を歩いた。久しぶりの雪を踏む感触が懐かしかった。子どものころの、北海道の雪が思い出される。その頃の雪はサラサラであった。昨夜のここに降った雪は湿気を含み、靴で踏むと、キュッキュッと音がする。毛糸の帽子と手袋で、寒さは防げる。雪の上を歩く楽しさ、遠い昔の記憶が身を軽くする。
冬帽の内にひとりひとりの帰路 中尾寿美子
昨夜、夜中に一度目が覚めた。枕頭の本に手を伸ばす。落合陽一『日本進化論』、荻野文子『ヘタな人生論より徒然草』。超高齢化社会をテクノロジーで解決する、というこの時代ならではの視点と吉田兼好の徒然草の視点で、この社会を生きる。この二つの取り合わせが面白い。こんな時間を過ごせるなら、眠りは少し犠牲にという思いがよぎる。それでも、本の一編を反芻しながら、眠りに就いた。
「人は、自分の生活を簡素にし、贅沢を退けて、財宝ももたず、俗世の利欲をむやみに欲しがらないのが、りっぱだといえよう。昔から、賢人で裕福な人はまれである。(『徒然草』第18段)人間に必要なものは第一に食うもの、第二に着るもの、そして第三は住むところ。衣食住と病気のときの薬、この四つのものがあれば幸福である。落合陽一の説く、高齢になって衰える身体を、AIなどのテクノロジーで補う。長い時間の経過のなかで、生きることの意味はさほど変わっていない。