冬晴れと時雨、この気候を交互に繰り返して、冬は季節を深めていく。いつしか、奥羽山脈を境に太平洋側が晴れ、日本海側が雪、という日本の冬になっていく。それでも、陽が沈むころの夕日は美しい。すっかり日が沈んでも、名残りの日が、瀧山などの高い山に残る。あたりがうす暗くなって、瀧山の冠雪がかすかに薄闇に浮かんでいる風景は、この時期限定のものだ。あたりは静寂につつまれる。そして一日が終わる。12月に入って、一日の過ぎ去るスピードはさらに速度を早めている。
屋根ひくき宿うれしさよ冬ごもり 蕪村
吹雪の山中でみつけた山小屋で、命を長らえるように、寒さがきびしくなるほどにふだん住む家が恋しいものになる。詩人の言葉に「冬は雪が多く、カナダのような冬、ロシアのような冬であればあるほどよい。それだけ彼の住む巣は暖かく、甘美にいとおしいものとなろう」
ロシアが仕掛けている戦争で、ウクライナからこの甘美な冬の巣を、なきものにするような爆撃が繰り返されている。ロシア人にどうして、このような残酷な行為ができるのか。その残酷さが戦争であるのか。平和に日本にいおては理解することのできない戦争である。