常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

相馬御風

2017年02月21日 | 日記


昨年12月の冬至のころ、120軒の家屋が焼失した糸魚川大火は記憶に新しい。糸魚川には、過去にも数々の大火があり、地形や風向きなどの原因が指摘されている。昭和3年(1928)にもこの町の緑町中心に105棟の家屋を焼失した大火があった。そこには都会から、郷里へ帰住していた相馬御風の家があり、家と書籍、原稿を全て失った。焼け跡にに仮小屋を建てて、火災後の生活を始めたが、その一端を歌に詠んでいる。

焼トタン拾いあつめてつくりたるこれの厠の屋根は青空 御風

相馬御風といえば、童謡で誰もが口づさんだ「春よ来い」の作詞者である。早稲田大学の哲学科に学び、歌人、詩人としても著名で、早稲田大学の校歌「都の西北」も相馬御風が書いたものである。私の手元に一冊の御風の本がある。『一茶と良寛と芭蕉』で、刊行は大正14年になっており、昭和3年の大火の三年ほど前のことである。この本にはある思い出がある。妻の同級生であったYさんが、50歳ぐらいの働き盛りに不治の癌を患い、辛い闘病生活を送っていた。夫は死ぬ前にせめて新しい家に住まわせたいと家を新築した。

彼女の父はすでに他界していたが、新聞記者だった生前の蔵書が部屋いっぱいにあった。新築した家には、古い蔵書は置けないので、欲しい本があったらあげるから見てといわれ、選んだのが相馬御風のこの一冊であった。郷里へ帰って御風が書いた随想は一茶、良寛、芭蕉についてのものが多くを占めていた。それを一冊にまとめたのがこの本である。御風はこの3人の詩人を敬愛して、その句や歌を深く洞察している。90年前に書かれた本だが、この時代にあっても少しも古びているところはない。この歴史上の詩人たちを理解するための多くのことを語っている。この本を見るたび、ありし日のYさんを思い出す。

 春よ来い

春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている
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大石田

2017年02月20日 | 斉藤茂吉


最近、ブログを書いていることを知人に話すようになった。アドレスを教え、アクセスしてみてくれるように頼んだりしている。多分、興味のない人には迷惑で、アドレスを聞いたところでそのまましていると思っている。ところが時に思わず、おやっと思うことがある。アクセスの履歴に思わぬ記事が出てくることがある。一昨年に、村山と大石田の境にある大高根山に登った記事に、沢山のアクセスがあった。登山のカテゴリに分類しているが、この山が米軍演習場であったことが、文章の主要な部分になっている。真壁仁の詩も引用させてもらっている。どんな人たちが、どんな理由でこの記事に興味を持ったのか、知るべくもない。

山峡を好みてわれは登り来ぬ雪の氷柱の美しくして 茂吉

斉藤茂吉が大石田に疎開したのは、昭和21年のことである。そこで肋膜炎という病に犯されながらも、足掛け3年の歳月を過ごした。そこで厳しい冬も体験しているが、雪のなかに自然の美しさもまた歌に詠んだ。日記によるとこの日茂吉は、住んでいた聴禽書屋から最上川の対岸にある向川寺に行き、そこから大高根山へ向かう緩い登り道を歩いた。無論、遠い大高根山に登ったわけではないが、その途中雪の積もる山々を眺め、解けかかった雪についた氷柱を見た。屋根の軒にできる白濁したような氷柱ではない。その透明で、山中の寒さの証でもある氷柱。茂吉はその美しに注目した。知らない人が大高根山の記事を読み、その風景を歌人の斎藤茂吉が見ていた、という奇しき因縁のようなものに、ブログを書く面白さを感じる。
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東風

2017年02月19日 | 日記


東風と書いてすぐ「こち」と読む人は、今では少数かも知れない。ベランダの梅の鉢も、一輪から二、三輪と花の数を増やしている。三日ほど前に吹いた暖かい風が、花を促している。こんなことから連想するのは、道真の「東風吹かば匂いおこせよ梅の花」歌である。日本語の繊細さは、風の名の多さからもうかがい知ることができる。春の風には、「春一番」「東風」「貝寄せ」「あいの風」「鮎風」「朝東風」「岩おこし」「花信風」「砂嵐」「鹿の角落し」等々、ざっと思い出してもこんなにある。地域、季節、風の種類など数えれば2000を超える名前があるらしい。

島に東風バス待ち刻の手打蕎麦 石川 桂郎

風の名は、常に風を読みながら船を操る漁師たちがつけたものが多い。同じ東風でも、鳥や魚、花とを合わせた名前も面白い。雲雀東風、鰆ごち、梅ごち、桜ごちなど、それぞれの鳥や魚、花などにあわせて吹くそよ風である。陸に生活するものには、心地よい春風であるが、漁師たちには危険を予告する呼び名の役目を果たしていた。低気圧が北で発達すると、暖かい風も嵐のような強風になることが多いからだ。
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雪消、春を待つ

2017年02月18日 | 日記


里の田の雪はほぼほぼ消えて、峠路に雪を残すばかりになった。その峠路も、舗装されているところには既に雪は消され、渓流の橋や木陰になっているところに雪があるばかりになった。こんなに交通が発達していなかった時代には、峠は春を待つ人の一番の関心事であった。冬の間、雪国の閉ざされていた人々は、峠を越えて他国に行くには、やはり道の雪が消える春を待つ。貯蔵していた食料も底をつきはじめる。峠路の渓流で川の流れの音の高くなるころ、待ちきれない人々が峠を越していく。

旅人におくれて峡の雪消かな 松根東洋城

今年の冬は暖冬といわれ、雪がないまま春がくのではと思ったこともあったが、一旦降り出すと雪雲が居座り、何日も何日も降り続きあっという間に平年並みの積雪になった。ああ昔の冬は、一冬中がこうであったな、と思った。山中の寺で独り暮らしをした良寛和尚の心中が偲ばれる。

わが宿は越のしら山冬ごもり往き来の人のあとかたもなし 良寛

人の往来も途絶える雪国の冬では、やはり春を待つ心は切実であった。少年のころ、学校の終業式の頃は、堅雪になっていて、道でない雪の上を近道して歩くことができた。ほんの短期間のことであり、朝だけで日が射すともう歩けない堅雪であったが、それでも季節の進行がうれしかった。道は雪が融けると、ぐづぐづの歩きづらくなり一苦労して学校までの道を歩いた。それでも快い春風に、心が浮き立った。

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春一番

2017年02月17日 | 日記


気象庁は今日の午前、関東地方に春一番が吹いたと発表した。因みに昨年は2月14日のに観測されているから、昨年より3日遅いということになる。気温も東京で20℃を超えた。春一番といえば、春を予感させる好ましい語感であるが、春の到来に先駆けて吹く強い風の名だ。能登あたりの漁師が付けた名で、待っていた春が近いことを知らせる風でもある。

春一番山を過ぎゆく山の音 藤原 滋章

山の中で強風に会うのも怖いものだ。木々の茂る地帯では、木を揺すぶり、山は悲鳴に似た音をたてる。交錯した木立がきしみ、枝を大きく揺すぶる。枝が折れて飛んでくるような気がしてさらに恐怖感を増幅させる。ある間隔を経て、力づよく押し寄せてくる。

しかし、その春の嵐のような風が過ぎれば、季節は戻り、三寒の次には四温がやってくる。季節はこんな営みの間に、早春の花を咲かせる。もう田の土手には、オオイヌノフグリの可憐な花が顔を見せている。
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