昨年12月の冬至のころ、120軒の家屋が焼失した糸魚川大火は記憶に新しい。糸魚川には、過去にも数々の大火があり、地形や風向きなどの原因が指摘されている。昭和3年(1928)にもこの町の緑町中心に105棟の家屋を焼失した大火があった。そこには都会から、郷里へ帰住していた相馬御風の家があり、家と書籍、原稿を全て失った。焼け跡にに仮小屋を建てて、火災後の生活を始めたが、その一端を歌に詠んでいる。
焼トタン拾いあつめてつくりたるこれの厠の屋根は青空 御風
相馬御風といえば、童謡で誰もが口づさんだ「春よ来い」の作詞者である。早稲田大学の哲学科に学び、歌人、詩人としても著名で、早稲田大学の校歌「都の西北」も相馬御風が書いたものである。私の手元に一冊の御風の本がある。『一茶と良寛と芭蕉』で、刊行は大正14年になっており、昭和3年の大火の三年ほど前のことである。この本にはある思い出がある。妻の同級生であったYさんが、50歳ぐらいの働き盛りに不治の癌を患い、辛い闘病生活を送っていた。夫は死ぬ前にせめて新しい家に住まわせたいと家を新築した。
彼女の父はすでに他界していたが、新聞記者だった生前の蔵書が部屋いっぱいにあった。新築した家には、古い蔵書は置けないので、欲しい本があったらあげるから見てといわれ、選んだのが相馬御風のこの一冊であった。郷里へ帰って御風が書いた随想は一茶、良寛、芭蕉についてのものが多くを占めていた。それを一冊にまとめたのがこの本である。御風はこの3人の詩人を敬愛して、その句や歌を深く洞察している。90年前に書かれた本だが、この時代にあっても少しも古びているところはない。この歴史上の詩人たちを理解するための多くのことを語っている。この本を見るたび、ありし日のYさんを思い出す。
春よ来い
春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている