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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

マンサクの花

2017年02月16日 | 


マンサクの丘にマンサクの花を見に行ってきた。漢字を当てると金縷梅と書いてマンサクと読ませる。この季節になると、雪のある山でこの花を見かけるが、写真にきれいに収めるのは難しい。マンサクの丘の木には、西洋マンサクの看板があり、日本種のよりも花弁も長く、花の数が多いように思う。「先ず咲く」が訛ってマンサクと呼ばれるというのが、花の名の由来だが、確かに自然のなかでは梅よりも早く咲く。カメラとマイクを抱えた二人連れが写真を撮っていたが、地元のテレビ局の取材で、花を見にきた人のコメントを収録していた。マンサクが咲くのは、お茶の間の格好の話題でもあるらしい。

まんさくや町よりつづく雪の嶺 相馬 遷子

昨日までの寒気が去って、今日は10℃と3月下旬なみの陽気になった。各地でも春を先取りするような陽気で、明日は天気が崩れ春一番が吹くという予報が出ている。畑仕事までには、もう少し時間があるが、山の会、詩吟の会誌づくり、コンクールの練習と、忙しい日が続く。
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梅一輪

2017年02月15日 | 詩吟


ベランダの鉢で梅が一輪だけ開いた。大寒のころから蕾をふくらませ、まだ最高気温が5℃という季節に咲く。その生命力の強さに力をもらう。この花を見ると、すぐに思い浮かぶのは服部嵐雪の句だ。

梅一輪一輪ほどの暖かさ 服部嵐雪

この句は詩吟の吟題にもなっていて、この句を得意にする人もいた。初吟会で積雪のなかで、この句を吟じられると、春が待ち遠しい気持ちがする。服部嵐雪といえば、其角とならんで蕉門の大黒柱である。芭蕉は嵐雪を高く評価し、「草庵に桃、梅あり、蕉門に其角、嵐雪あり」と称えている。詩吟をもう20年以上も続けているが、漢詩を吟じるばかりでなく、和歌やこのような俳句もその吟題になっていることが、継続できた理由のひとつのような気がする。
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季のうつろい

2017年02月13日 | 詩吟


昨日、日本詩吟学院の全国優秀吟者コンクールの山形岳風会の予選会が行われた。朝方、雪が降っていたが、午後には日が射し、降った雪の大半は解けた。課題吟にはこの季節にふさわしい詩歌が選ばれている。「和歌の部」では藤原定家の「守覚法親王の五十首歌に」が選ばれている。守覚法親王は後白河天皇の第二皇子で、ようやく歌の世界に頭角を現し始めた定家の歌を好み、歌会に五十首の詠み出しを命じた。建久9年、定家39歳のときである。

霜まよふ空にしおれし雁がねのかへるつばさに春雨ぞ降る

「霜まよふ」という定家が生みだしたらしい歌語に注目したい。漢詩に「霜天に満つ」というのがあるが、定家は霜が置き乱れる様子を表したらしい。そしてその時期はといえば、雁が渡来した秋の終りごろか、すでに飛来して霜降る季節をころか、色々に解釈できる。学院の教本では前者の飛来の頃をとっている。いづれにしても、歌のこころは季のうつろいへの詠嘆である。

しかし、その季節への詠嘆のの裏に、定家の家系の不遇を雁の飛来を重ね、法親王の庇護のもと春がめぐってくるのを待ち望んでいる、という解釈も行われている。この五十首歌のなかには、新古今調の見本と言われた有名な歌が含まれている。

春の夜の夢のうきはしとだえして峯にわかるるよこ雲の空
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雪の青麻山

2017年02月12日 | 登山


お隣の宮城県とは、蔵王山系を挟んで隣接している。距離も60㌔ほど、県内で云えば庄内地方へ行く方が遠い。だが、冬の気候は、山をひとつ挟んだだけで、まったく様相を異にする。朝、山形を出発するときが吹雪のなかであったが、笹谷トンネルを抜けると眩しいような青空である。心配された風もない。西から東へと抜ける雪雲は、蔵王山系の山々で雪を落し、宮城県側ではこのような晴天になる。山形側に住むものにとっては、信じられないような青空である。

蔵王町の登山口への道は雪もなく乾燥し、冬とは思えない快適さだ。青麻山遊歩道から電波塔への道はさすがに夕べの雪が残っている。Gさんの4駆で難なく電波塔に着く。ここからしばらく下り道になるが、山頂へと記された看板がいい目印になり、順調に頂上を目指した。



尾根の登山道は雪が10㎝ほど積もっているが、その下は固い雪になっていて歩きやすい。用意したカンジキも使わずに、山頂へと歩く。尾根から山頂に近づくにつれて視界が広がる。青麻山は800mに満たない山だが、国道4号線や東北自動車道で白石付近から、双耳峰としてくっきりと見える。蔵王山が噴火してできるよりも前に、火山活動で生まれた山で、近隣の住民から親しまれてきた山である。頂上には青麻神社が祀られており、信仰の山である。

今日の山行では、他に登る人もなく、我々のチーム6名(男女3名づつ)だけが、このすばらしい景観を独占した。何よりも地元山形では体験できない山登りができたことが、チーム全員の喜びであった。夏山であれば頂上まで1時間のコースだが、雪のなかのため上り2時間、下り50分の、運動不足の季節にはほどよい運動量であった。



頂上で太平洋が望見できた。松島湾がくっきりと見え、あの地震はまるでなかったような海である。その地平線の向こうは想像するほかないが、これを海坂というのであろう。それにしてもいつまでも見飽きることのない景観。こんな季節に計画しなれば体験することのできないすばらしい山行であった。下山して黄金川温泉で、あったまる。名前の通り、黄金の色をした温泉で、一日の疲れを癒す。

径一つ吾に任せて山眠る 岩木 躑躅
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バレンタイン

2017年02月10日 | 日記


2月14日のバレンタインデーが近づくと、テレビはチョコレートの話題でにぎやかになる。職場の男性に渡す義理チョコがだんだんと、顧みられなくなり、自分や親しい友人に渡す高級品が売り場の主役に踊り出たようだ。そもそもバレンタインとは、ローマ帝国のキリスト教の司祭である。ローマ帝国の皇帝は、領土の拡大に向け、兵士を数多く遠征させた。兵士たちが故郷に恋人を置いて戦場へ行くと士気が落ちると考え、兵士たちの結婚を禁止した。司祭のバレンタインは皇帝の命令の理不尽さに、兵士や若い恋人たちに同情して、こっそりと結婚式を挙げた。これを知った皇帝は、バレンタインに禁止令を出すが、司祭は命令に服さなかった。そのために、バレンタインは処刑された。

その処刑の日が2月14日であり、恋人たちの祭りの日となった。この季節になると、春めいてきて小鳥たちも相手を求めてさえずるようになることから、恋人たちが手紙を交換する風習が生まれた。チョコレートを贈ったりする風習があったわけではない。シェークスピアの『ハムレット』に、ハムレット恋人のオフィーリアがハムレットから「尼寺へ行け」と罵られ、その上父親まで殺されて、狂乱して歌を歌う場面がある。

あしたはいよいよバレンタイン、
何はともあれ朝早く、
乙女のあたしはあなたの窓辺、
いとしあなたのバレンタイン、
するとあの人起き上がり、着物をかぶって、
部屋の戸開けた、
はいったときには乙女でも、
二度と乙女じゃ帰りゃせぬ。

オフィーリヤが歌ったのは、シェークスピアの時代に庶民の間で歌われた民謡であったようだ。日本にも「真室川音頭」など、男女の仲を歌った民謡は各地で歌い継がれている。
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