
詩のボクシングというのがある。1997年ごろ、詩人の楠かつのり、ねじめ正一、谷川俊太郎らが唱導して始まったものだ。舞台にボクシングのリングをしつらえ、二人の朗読者がそのリンクに立ち、自作の詩などを朗読し、どちらの表現がより大きく観客の心をつかむかを競う、いわが声と言葉の格闘技である。山形にも、ねじめ正一氏や楠かつのり氏が来て、このイベントを行ったので聞きに行った。
このほど鳥海山の麓にある遊佐小学校で、この形式の詩の格闘技を取り入れた授業が行われたことが、朝日新聞の山形版が報じている。授業を行ったのは、地元酒田の詩の愛好者たちだ。きっかけは、教室で消しゴムの貸し借りで生徒たちが取っ組み合いの喧嘩があったことだ。この場をみた大人たちが、子どもたちが、自分の意思や気持ちを伝えることが下手なために起こっていると感じ、この詩の授業を持ちかけた。
授業のこんな風に行われる。女生徒が挑むように、「常識って何?」と発言する。すると、「健康的なうんこの話をしているのに、なぜ怒られなかればならないのだろう」と男子生徒が応じる。聞いていた校長先生がけらけらと笑う。詩の仲間たちが、面白い詩を生徒たちに披露する。
似ている言葉
ひまわり、小回り、遠回り
日替わり、お湯割り、水割り、おかわり
目障り、学割、スイカ割り
おわり
生徒たちは、目を輝かせて授業に聞き入って、笑いと拍手がまき起こる。生徒たちが作る詩も披露される。
不平等
東京で10人が死ぬと日本が騒ぐ
ニューヨークで100人が死ぬと世界が驚く
だけど
あふりかで1000人が死んでも誰も驚かない
もうすでに命は平等じゃないんだ
授業の締めくくりは大人たちを審査員にして、クラス対抗の「詩のバトル」。あの頃の詩のボクシングが、こうして鳥海山の麓へと広がっていた。