常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

人生の短さ

2018年11月20日 | 日記

一日の経つのが短い。光陰矢の如し、とはよく

も言ったものだ。その積み重ねは、人生の総量

になる。そこから導かれるのは、人生は短いと

いうことだ。人生の時間の大半を消費し尽くし

たものが、このようなテーマについて語るのは

意味がないかも知れない。かつて、若い時代に

大切な時間を浪費してきたことを後悔すること

は、古来繰り返されてきた。セネカの語った言

葉を思い出すとよい。「われわれは短い時間を

持っているのではなく、実はその多くを浪費し

ている。人生は十分に長く、その全体が有効に

費やされるならば最も偉大なことをも完成でき

るほど豊富に与えられている。」この言葉の持

つ意味は大きい。では、その過半を消費し尽く

した我々の世代はどう考えるべきか。この点に

ついても、セネカは大いなる示唆に富んだ答を

用意してくれている。

「多くの偉人たちは、いかに生きるかを知ろう

とする。このことのみを生涯の目的とし続けた。

にもかかわらず、彼らの多くは、まだそれが分

からないと白状して人生を去った。」

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時雨

2018年11月19日 | 日記

寒気が入ってきて、天候の変化が急になった。

小春日和のあくる日は、小雨が降ったり止ん

だり定めがない。こうした気象を古来、時雨

れると言った。萩谷朴の『語源の快楽』をあ

たってみると、時雨と表記し、しばしば雨降

るの意、とある。いづれにしても、この季節

はいつ雨が降ってもおかしくない。気温が下

がると、次第に雨は雪になっていく。昨日、

家にいるような惜しいような陽気。畑に行っ

て後片付けを行い、咲き残ったキクの花を摘

んできた。ついでに柔らかく伸びたコリアン

ダーを根付きで採った。来春に食べるスナッ

プエンドウを播種。畑もあとそれほど労力を

必要としない状態になっている。

口に出てわが足いそぐ初しぐれ 石田 波郷

老いを狙っているかのように電子機器の不具

合が起こる。昨日は、会議のための資料を作

っていたら、突然、プリンターがオフライン。

電源を消して、再度試みるも復旧しない。や

むを得ず、知人のプリンターを借りて急場を

をしのぐ。スマホにパソコン、電子書籍と毎

日お世話になっている便利なグッズだが、一

旦不具合が起きると手も足も出ない。修理に

出すなら、買い替えた方が安いのともままあ

ることだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葡萄酒

2018年11月18日 | 日記

隣の奥さんからいただいたシンビジュームの

幼苗が、3年の歳月を経て美しい花を咲かせ

た。まだ花芽は二つだが、長く置いていた大

きな株が、たくさんの花をつけたのを最後に

枯れてしまったので、久しぶりにシンビジュ

ームの花をみられるのはうれしい。機種を変

更したばかりのスマホで撮った写真は、心な

しきれいに写っているように見える。

季節が変って晩酌は葡萄酒が主体になった。

暑い夏はどうしてもビールになるが、この季

節は赤ワインの甘めの味が恋しい。そろそろ

ボジョレーヌーボーの出回る季節でもある。

中国では唐の時代、戦場に赴いた兵士たちも

葡萄酒を愛飲していたらしい。王翰の詩に

葡萄の美酒夜光の杯

飲まんと欲して琵琶馬上に催す

西域の戦場で、馬上にある兵士に「杯を早く

ほせと」と囃したものであろう。

酔うて沙場に伏す君笑うなかれ

古来征戦幾人か回る

辺境の地で戦いに征ったものうちで、無事に

帰還できたものはわずかしかいない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虚子の句碑

2018年11月15日 | 日記

天童温泉にある温泉神社に、高浜虚子の句碑

がある。大きな御影石に虚子自筆の文字が刻

まれている。句は

天童のでゆや蟇なく夜もすがら 虚子

である。高浜虚子は、昭和31年に芭蕉の奥の

ほそ道を訪ねる旅で、天童温泉に投宿してこ

の句を詠んだ。もう田植えの終わった田の蛙

の大合唱は、虚子の宿の部屋にまで響いたの

であろう。元禄2年の夏、芭蕉は尾花沢に逗

留し「這出よかひやが下のひきの声」の句を

詠んだのを思い出して、虚子もこの旅の記念

に蟇を詠んだと推測できる。この年、虚子は

81歳であった。すでに高齢で目も不自由であ

ったのか

大いなる蟻這ふといふわれはみえず 虚子

という句も詠んでいる。すでに『虚子自伝』

を上梓し、人生の大団円を迎えようとしてい

た。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬隣り

2018年11月15日 | 日記

札幌に初雪というニュースが流れた。今年は

秋が長い。そして、気持ちのよい小春の日が

続く。朝の気温が昨日から下がって5℃を切

るようになったが、それでも暖かい初冬では

ある。毎年、この時期に詩吟の仲間が集まっ

て、一年の詩吟の勉強を振り返り、練習して

きた吟をテープに吹き込んでCDを作ってい

ただく。もうCDは10枚を超えたようだ。今

年選んだ吟題は良寛の「時に憩う」と有間皇

子の「家にあれば」である。毎年集うのは同

じ顔ぶれだが、年数を重ねてていくに従い、

吟の深みも増したように感じられる。昨日、

妻の携帯からスマホへの乗り換え、自分の機

種変更をネットショップで買う手続きを行っ

た。チャットで分からないところを聞きなが

らの手続きのため長い時間を要した。

里山には落ち葉が散り積もり、ナメコなどを

採る最後のチャンスである。冬に向かって終

える仕事は多い。室内で、いただいたシンビ

ジュームの小さな芽が、今朝花を開いた。

鶏頭伐れば卒然として冬近し 島村  元

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする