ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

勝負ごとや開運にご利益が。「祇園の縁結び」でもある両足院鎮守「毘沙門天」。虎のおみくじも。

2012-07-02 | パワースポット

祇園の建仁寺の塔頭「両足院」で、初夏を彩る「半夏生ハンゲショウ」を鑑賞したミモロ。
出口で、「左側にある毘沙門天にも参拝なさってくださいね」と係の方に言われ、お寺の壁沿いに歩きます。

「ここだー」
毘沙門天は、七福神のおひとり。仏教の護法神です。
「勇ましいお顔の神さまでしょ?」確かに、七福神の中では、おおらかなお顔をお姿の大黒さまやえびす様、美しい弁天様とは、ちょっと異なる武具に身を固めた強そうな感じです。

お寺の建物の前には、狛犬ならぬ、狛虎が、あうんの姿で守っています。
寅年生まれの方の参拝も多いそう。

「上杉謙信が、信仰していたんだよね」とミモロ。戦国の世に生きる武将にとって、毘沙門天は、自らを鼓舞し、戒めるよりどころだったのかもしれません。


ここの御本尊の毘沙門天は、鞍馬寺にあった「鞍馬毘沙門天の胎内仏」。つまり、大きな毘沙門天の像の体の中に入っていた小さなお像。現在、秘仏のため、お目にかかることはできませんが、その前に立つ大きな勇ましいお姿の毘沙門天像の後ろに鎮座なさっているそうです。

この「鞍馬毘沙門天の胎内仏」の御本尊は、織田信長が、比延山を焼き討ちにしたとき、僧侶たちが、京の町に住む茶家の比喜多養清へと運び込み、難を逃れます。比喜多家は、筑前の黒田家の京都御用達であったことから、黒田長政が関ケ原の合戦へ出陣の折、この毘沙門天を兜に納めて、徳川方で、見事勝利を。その功績により18万石から、25万石へと御加増となりました。

そして、長らく黒田家にあった毘沙門天は、明治10年(1877)に、黒田家より、この寺へと至ることに。


「どんな世の中になっても、負けませんように・・・」と、真剣にお願いするミモロです。

参拝を終えたミモロに、「ここだけのおみくじがありますよー」と声が。
本堂の脇に、お守りやおみくじが並んでいます。

「きゃ、カワイイ!」小さな虎と可愛らしい毘沙門天の姿が。
「この中に、おみくじが入ってるんですよ」
すでに買う気満点のミモロは、「どの子にしようかな?」とお気に入りを選び始めました。
「毘沙門天と虎と、どっちにしよう…ふたつともカワイイ!」と悩んでいます。
しばらくして、「これに決めた!」と、ミモロは、300円を係りの方に渡し、虎のおみくじをひとつ手にしました。


「ホラ、カワイイ…」ネコのミモロは、虎を抱っこして嬉しそう…。
「おみくじは、お家に戻ってから、ゆっくり見よう…」と、またミモロのおみくじコレクションが増えました。

祇園という土地柄、舞妓さんや芸妓さんが、参拝する姿に出会うこともあるそう。

「ミモロにも、素敵な出会いがありますように…」と、帰りしなに、再度、お参りするミモロでした。

*「両足院」の詳しい情報は、ホームページで。開門時間」7:00~17:00頃。祇園、建仁寺山内 




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