ミモロが毎年楽しみにしてる非公開文化財特別公開「京の冬の旅」。第55回を迎える今回は、1月9日から3月18日の公開予定が、コロナによる緊急事態宣言により、開催が延期されました。京都が緊急事態宣言を解除され、やっと3月1日から4月上旬まで開催されることになりました。
コロナの感染予防のために、公開される12か所は、拝観人数に制限があり、事前予約が求められています。でも定員に満たない場合は、当日でも拝観可能になります。ただし事前予約優先です。
開催が延期されたことで、公開時期は、それぞれの寺院で異なる場合も。「第55回京の冬の旅」のホームページでご確認と事前予約を…
「これからいろんなお寺拝観するんだ~リポートするからお楽しみにね~」とミモロ。
ミモロがまず向かったのは、「京の冬の旅」初公開となる東山七条にある「方広寺」です。
市バスに乗って「博物館三十三間堂前」で降り、博物館の西側に沿って歩くこと約5分。
途中にある「豊国神社」に参拝します。
「秀吉さまをお祀りした、出世、開運にご利益があるんだよね~」
ここの手水は、秀吉の旗印である黄金の瓢箪から水がでる仕組み。
「なんか特別なお水みたいな気がする~」と、なかなかアイディアに富んだ手水です。「普通は、龍や亀がお口から吐いてるお水だよね~」とミモロ。確かに、もしかしてお酒かも…と思ってしまいそうな手水の水…。
お清めを済ませ、本殿に参拝。
境内には、ミモロの他に誰もいませんでした。
ここの絵馬もやはり瓢箪の形です。
「う~お金持ちになれる気がする~」とミモロ。
参拝を終えて、ミモロは、境内が隣接する「方広寺」へと入ります。「あっちだって~」と拝観受付へ
「方広寺」は、その昔、秀吉が奈良東大寺にならって、巨大な大仏を創建したお寺で、その大仏殿の大きさは、奈良の東大寺を上回るサイズ。「方広寺」の敷地は、現在の「智積院」を含む広大なものだったそう。
その中心地に建てられたのが大仏殿。その中には、高さ19mという日本一大きな大仏様が約10年の歳月をかけて建立されたのです。
「でも、その大仏様、翌年に、巨大地震で壊れちゃったんだって~。大仏殿や大仏さまが壊れる地震って、マグネチュード7以上だね~京都にも大地震が来るんだ~」と、当時を想像して震えるミモロです。その時の地震で、伏見城も崩壊します。
その後、秀吉亡き後、子の秀頼により大仏は再建されますが、それも倒壊の目に会いことに…。その後の大仏の再建は繰り返され、現在、本堂にいらっしゃる本尊の盧舎那仏は、五代目で江戸時代のもの、つまり徳川家によってつくられたものです。しかしながら、そのサイズは、秀吉の大仏の10分の1というかなり縮小されたもの。
また、大仏に関するお話は、ぜひ、お寺にいらっしゃる案内をしてくださるガイドさんに伺ってください。「すごく詳しいお話で面白いね~」とミモロ。
他に拝観できるのは、秀頼が再興した三代目の大仏の眉間に納められていたという仏像。
大黒堂には、秀吉の持仏という小さな大黒天像。それは最澄作と伝えられます。
「え~最澄様、また仏像彫ったの?でも、どうして秀吉がそれを持ってるんだろ?時代、かなり違うのに…誰からかプレゼントされたのかな?」とミモロの疑問は膨らむばかり。ガイドの人に聞いても、「う~それはよくわかりませんね~」と。
ガイドさんを困らせる質問をするミモロでした。「だって~すごく素朴な疑問だと思うけど…」と。
その大黒堂の天井にあったのが、今は掛け軸になった『神龍図」という見事な龍の絵で、明治・大正に活躍した日本画家 吉川霊華の作。
「すごい迫力だね~」とミモロも驚く立派な龍図でした。
内部の文化財は、撮影が禁止なので、ぜひご自分の目でご覧ください。
「なかなか見ごたえあったよ~」というのがミモロの感想。
最後にこのお寺を有名にした梵鐘へ。
慶長19年(1614)に鋳造された重さ82.7トンで、東大寺、知恩院と共に「日本三大名鐘」のひとつに数えられています。
この梵鐘が有名なのは、その大きさより、そこに刻まれた言葉「国家安康 君子豊楽」という素晴らしい言葉ですが、家康の文字を分断していると、言いがかりとも思える理由で、豊臣家を追い込んだ梵鐘です。
江戸時代は、この梵鐘は、野ざらし状態で放置され、明治時代になって、鐘として再び吊るされることになったそう。
「どうやってこの鐘吊るしたんですか?」とまた質問するミモロ。「う~どうやったんでしょうね~」とガイドの方。
なんでも建物を構成する9本の柱が、梵鐘の重さをバランスよく支えているのだとの説明。
「う~その建物にどうやって吊るしたの?」とさらに聞くミモロ。「う~」とガイドの方を困らせるミモロでした。
鐘の厚みは、27センチ。ミモロの背丈と変わりません。
あまりの大きさに、戦時中、金属接収を免れたそう。「外せなかったんだって~」
除夜には鳴らされる鐘…。普段、その音を聞くことはできません。
「方広寺」には、梵鐘を描いた授与品やご朱印があります。
「ぜひ、大仏が立っていた場所に行ってみてください」とガイドさんに言われ、ミモロは、お寺から続く路地を進み、かつて大仏殿があった場所へ。
「ここに大仏殿があったんだ~」今は、草に覆われ、水仙が咲く丘に。
「兵どもが夢のあと…」とポツリ。秀吉の栄華が、満開の華となった場所でもあるのです。
さぁ、次はどこを拝観しましょうか?
また、ミモロがご紹介します。
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