京都の「聖護院門跡」で行われている特別公開に来たミモロ。宮城執事長のご案内で、歴史的建造物の中を巡ります。
江戸時代、火災に見舞われた御所からここへ、一時期、住まいを移された光格天皇。
創建以来、多くの宮家の皇子が過ごされた格式の高い「門跡寺院」です。
「だからお部屋の中が、金箔の襖絵なんかたくさんあって、雅で豪華なんだね~」とミモロ。
そう、門跡寺院は、いずれもとても雅な雰囲気が漂います。
今回の特別公開で、特に注目されるのが、平成30年9月に京都を襲った台風21号で甚大な被害を被った「書院」で、修復後の初公開となります。
広いお寺の中でも、一番奥の方にある「書院」。
「ここに、昔、後水尾天皇に愛された女御がお住まいになってたんだって~」
そう、この「書院」は、第111代後西天皇の生母で、後水尾天皇との間に、5男4女をもうけた櫛笥隆子(くしげたかこ)のために作られたもの。
「後水尾天皇と言えば、修学院離宮や仙洞御所を作った天皇でしょ!徳川家から和子さまを奥さんに迎えて、徳川家の財力で、いろいろ作ったんだよね~そして、和子さんとの間にできた娘を,約860年ぶりの女帝の明正天皇に譲位して、上皇として実権を握りながら、結構好きなことしてた人だよね~」と、なぜか後水尾天皇には、厳しいミモロです。
「だって、女帝になると、結婚できないから、そこでその血筋途切れちゃうんだよ~つまり、徳川家の血筋を天皇家に入れたくないから、女帝にしたんでしょ!」と、東京生まれのミモロは、徳川家が贔屓です。
う~その話は、またいつかすることにして…
後水尾天皇の間に生まれた後光明天皇も後西天皇、霊元天皇も、みんな父親譲りの文化的才能に恵まれていらしたとか。
建築大好きの後水尾天皇は、この「書院」にも、その美意識が発揮されているようです。
柱など、木材の使い方も細目で、繊細で女性的な雰囲気…
板戸の縁や桟には、漆が施されています。
「あ、幾何学模様…後水尾天皇好みだよね~」とミモロがいうのは、欄間のデザイン。
そして、ここで特に注目に値するのが、花頭窓にはめられたガラスです。
普通は、障子紙が貼られる窓に、なんとガラス…
「これ~昔から入ってるんですか?」とミモロ。
「はい、できた時からと聞いています」と宮城執事長。つまり江戸時代に作られたガラス窓なのです。
「え~江戸時代に、こんな大きなガラスあったんだ~」と驚くミモロ。
「はい、本当に珍しいもので、大変高価なものだったと思われます。でも、これにより、陽光が注ぎ、室内は明るくなりますし、部屋から外の景色も眺められますね」と。
「う~よっぽど櫛笥隆子さんを愛してたんだね~どんな女性だったんだろ?」と思うミモロ。
でも、彼女以外にも、愛した女性は多く、彼の血を引く天皇は、全部別の女性から生まれています。
まぁ、85歳という、昔の天皇としては長寿でいらっしゃっいましたから、パワフルな天皇だったんでしょう。
今回、後水尾天皇ゆかりの品も拝見することができます。
「いろいろ見どころがあるね~」
さて、話を再び「書院」に戻して…
「書院」を襲った台風の被害…それは相当なもの…
「あの台風すごかったよね~木も、たくさん倒れたし、叡山電車が鞍馬に行けなくなったんだよね~」と、当時を思い出すミモロです。
「聖護院門跡」も、台風の被害を避けられません。
その時の被害状況を納めた写真も展示されています。
「わ~屋根瓦、剝がれてる…。土壁の崩れて…わ~お坊さんたちがみんなで戸を抑えてる~」
「そう、本当にすごい台風で修復するには、多くの方々に助けて頂かなくては、とてもできなかったんです」と宮城執事長。クラウドファンディングをはじめ、多くの支援者が、修復に手を差し伸べたのだそう。
修復の様子も写真で見ることができます。
「修復ができ、未来に、この貴重な建物などを受け継ぐことができます」と、苦難を乗り越えた聖護院のみなさん。
無事に修復を終え、今回の公開へ。それを記念して、朱色の布に、手捺染で金色に染めた御朱印(1500円)が授与されています。
「本当に、修復されてよかったね~」とミモロ。
毎月、ここで行われる、誰でも参加できる、止観体験にも通っているミモロですが、「書院」に入るのは、今回が初めて…。
ぜひ、京都にいらしたら、訪れてはいかがでしょうか?
秋の京都は、今、とても心地よい季節です。
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