昨日の中日新聞に半田市の矢勝川沿いに咲いた200万本のヒガンバナの写真が大きく載っていた。記事によると今が見ごろで、今年はまだ今週末までは見られるとあった。ヒガンバナがこんなに話題になったのは何時からなのだろう。子どもの頃、彼岸にお墓参りに行くと墓石の周りにヒガンバナが咲いていて、祖母は「この花には毒があるから触ってはダメ」と言っていた。お墓とかあぜ道に群がって咲いている。キレイな花だけれどキレイ過ぎるし、その姿は気味が悪いくらいだ。「地獄花」とも聞かされたように思う。
大人になって、彼岸の頃になると必ず咲くヒガンバナが懐かしくなり、ピクニックに丁度よい気候でもあったから、子どもたちを連れてヒガンバナの群生を見に行ったこともある。ヒガンバナに心惹かれるのは、群生で咲いているからかもしれない。春の桜、初夏の紫陽花、秋の紅葉、いずれも群をなしている。1本では見られない迫力が感動を生むのだろう。それでも群生ならばどこでも美しいのかと言えば、チョッと違うように思う。私は半田市の矢勝川沿いのヒガンバナは本数こそ多いけれど絵になる場所が少ない気がする。
まあ、個人の感覚の問題だから好きか嫌いかになる。また、誰と一緒に見るかによっても違う。景色とはそういうものなのだろう。名所旧跡を巡っても、関心のない人と一緒なら急いで回らなければならなし、美術展や演劇、音楽会などでも、どういう人と一緒に出かけるかで楽しさも違ってくる。逆に好きな人と一緒ならどんなつまらないところでも楽しくなる。同じ景色、同じ場所なのに、人間の感覚は複雑だ。感覚がそれぞれに違うから、好きの範囲も違う。みんながみんな同じ人が好きにならないようにできているのかもしれない。
人は孤独になることを一番恐れる。だから人は孤独にならないように生きているとも言える。それでも時々、人はそのつながりを失うことがある。立場によっては人と断絶をしなければならない時がある。例がよくないかもしれないが、大阪の特捜検事は何かを暴こうとしていたとは考えられないだろうか。「時限爆弾を仕掛けた」と言う彼の狙いは何だろうか。厚生省の局長を自分たちが描いたシナリオ通りに犯罪者にしようとしただけの単純なものではないような気がする。今、大阪地検の特捜そのものに捜査が及んでいるけれど、特捜のあり方にメスを入れることが事件の解決なのだろうか、腑に落ちない。
まあ、私のような素人が考えるような次元の問題ではないのだろうけれど、それにしても人間は孤独を恐れながら、しかし他人を信用しないジレンマを抱えている。一見するとヒガンバナのように妖艶であってもわずか1週間の命のような生き方をする人もいるし、目立たない道端の草花であっても清楚に生き続けるような生き方もある。けれどもどんな花もいずれは朽ちる。孤独を恐れるなら信じて生きる以外にない。それでも結局同じ時間しか生きることは出来ない。
大人になって、彼岸の頃になると必ず咲くヒガンバナが懐かしくなり、ピクニックに丁度よい気候でもあったから、子どもたちを連れてヒガンバナの群生を見に行ったこともある。ヒガンバナに心惹かれるのは、群生で咲いているからかもしれない。春の桜、初夏の紫陽花、秋の紅葉、いずれも群をなしている。1本では見られない迫力が感動を生むのだろう。それでも群生ならばどこでも美しいのかと言えば、チョッと違うように思う。私は半田市の矢勝川沿いのヒガンバナは本数こそ多いけれど絵になる場所が少ない気がする。
まあ、個人の感覚の問題だから好きか嫌いかになる。また、誰と一緒に見るかによっても違う。景色とはそういうものなのだろう。名所旧跡を巡っても、関心のない人と一緒なら急いで回らなければならなし、美術展や演劇、音楽会などでも、どういう人と一緒に出かけるかで楽しさも違ってくる。逆に好きな人と一緒ならどんなつまらないところでも楽しくなる。同じ景色、同じ場所なのに、人間の感覚は複雑だ。感覚がそれぞれに違うから、好きの範囲も違う。みんながみんな同じ人が好きにならないようにできているのかもしれない。
人は孤独になることを一番恐れる。だから人は孤独にならないように生きているとも言える。それでも時々、人はそのつながりを失うことがある。立場によっては人と断絶をしなければならない時がある。例がよくないかもしれないが、大阪の特捜検事は何かを暴こうとしていたとは考えられないだろうか。「時限爆弾を仕掛けた」と言う彼の狙いは何だろうか。厚生省の局長を自分たちが描いたシナリオ通りに犯罪者にしようとしただけの単純なものではないような気がする。今、大阪地検の特捜そのものに捜査が及んでいるけれど、特捜のあり方にメスを入れることが事件の解決なのだろうか、腑に落ちない。
まあ、私のような素人が考えるような次元の問題ではないのだろうけれど、それにしても人間は孤独を恐れながら、しかし他人を信用しないジレンマを抱えている。一見するとヒガンバナのように妖艶であってもわずか1週間の命のような生き方をする人もいるし、目立たない道端の草花であっても清楚に生き続けるような生き方もある。けれどもどんな花もいずれは朽ちる。孤独を恐れるなら信じて生きる以外にない。それでも結局同じ時間しか生きることは出来ない。