今晩、NHKテレビを見ていたら『クローズアップ現代』が、「妻に先立たれた男たち」を取り上げていた。見ていて、どうしたわけか中学時代からの友だちのことが頭に浮んだ。彼とは中学・高校からずっと一緒だったけれど、彼はブログで、孫から「ジジは親友がいるの?」と聞かれ、考えてみたら自分には親友といえる人がいないというようなことを書いていた。おいおい、オレたちはどういう位置づけなのだと文句のひとつも言いたくなったけれど、逆にどうしていつもそんなにも控えめなのだろうと思ってしまった。
私は彼から教えられることが多かったが、陽気に振舞いながら自分が養子であることにずっとこだわっていたことが気になって仕方なかった。私が始めて彼の家に遊びに行った時に感じたのは、血のつながりなってどうでもいいことだ、むしろ血のつながりは醜いとさえ思った。彼の両親は彼をとても可愛がっていたし大事にもしていた。養子である彼からすれば、それが血のつながっていない親子である証拠だと思っていたのかもしれない。けれども、血のつながりの中の家庭にいた私には、素晴らしく暖かなものだった。彼の家にはとげとげしく冷たい家庭よりも癒される空気が流れていた。
多分、それは私のような外部者の感想であって、養子である彼からすればどこかで本当の家族ではないという思いがあったのだろう。彼は恋愛をしても、最後の一歩を踏み出さない、厳格さがあった。私たちの時代がそうだったのかもしれないが、好きだからというだけで肉体を重ねることはタブーだったと思う。もちろん、そうでない友だちもいたけれど少なくとも私も彼もそういう認識だったのだ。だからきっと、激しい恋をして結婚するだろうと思っていた。しかし、彼は人が勧めてくれた女性と結婚し、子どもをもうけた。
今日、「人はどうして結婚するのだろう?」と聞かれたけれど、たとえ見合いで結婚したとしても「好きだったから」としか考えられない。いや昔であったなら、好きなどというレベルでなくても結婚をしているから、もっと違う何かがあるのだろう。たとえば、適齢期になれば結婚するのが当たり前だからということだってある。そう考えれば、人間の行為にはそれほど深刻な意味などないのかもしれない。みんなが結婚し子どこを作るからと、余り考えずにそうしてきたのかもしれない。
私がテレビを見ていて、彼のことを思ったのは、「妻に先立たれた男たち」のほとんどが、家庭のことは一切妻に任せてきた男たちだからだ。通帳がどこにあるのかも知らないし、家事も料理もできない。要するに、妻が恋しくて仕方がないというよりも妻に先立たれて明日から生活ができない男たちだ。何時までもおめおめと妻との思い出に浸り、いっそのこと死んだ方がましだとさえ思っている。私はそれなら潔く死になさいと思う。飛び込み自殺することができないなら、餓死すればいいだけのことだ。出来もしないことにウジウジとみっともないと思ってしまう。
カミさんが「あなたはいいわね。何もかも奥さんがやってこなくて。何でも自分で出来るものね」と皮肉っぽく言うが、確かに私は料理も出来るし家事が苦にならないから、多分充分に生きていけると思う。しかし要は、生きる希望を持っているかどうかだろう。生きているだけなら、生きていたくない。その覚悟はあるつもりだ。
私は彼から教えられることが多かったが、陽気に振舞いながら自分が養子であることにずっとこだわっていたことが気になって仕方なかった。私が始めて彼の家に遊びに行った時に感じたのは、血のつながりなってどうでもいいことだ、むしろ血のつながりは醜いとさえ思った。彼の両親は彼をとても可愛がっていたし大事にもしていた。養子である彼からすれば、それが血のつながっていない親子である証拠だと思っていたのかもしれない。けれども、血のつながりの中の家庭にいた私には、素晴らしく暖かなものだった。彼の家にはとげとげしく冷たい家庭よりも癒される空気が流れていた。
多分、それは私のような外部者の感想であって、養子である彼からすればどこかで本当の家族ではないという思いがあったのだろう。彼は恋愛をしても、最後の一歩を踏み出さない、厳格さがあった。私たちの時代がそうだったのかもしれないが、好きだからというだけで肉体を重ねることはタブーだったと思う。もちろん、そうでない友だちもいたけれど少なくとも私も彼もそういう認識だったのだ。だからきっと、激しい恋をして結婚するだろうと思っていた。しかし、彼は人が勧めてくれた女性と結婚し、子どもをもうけた。
今日、「人はどうして結婚するのだろう?」と聞かれたけれど、たとえ見合いで結婚したとしても「好きだったから」としか考えられない。いや昔であったなら、好きなどというレベルでなくても結婚をしているから、もっと違う何かがあるのだろう。たとえば、適齢期になれば結婚するのが当たり前だからということだってある。そう考えれば、人間の行為にはそれほど深刻な意味などないのかもしれない。みんなが結婚し子どこを作るからと、余り考えずにそうしてきたのかもしれない。
私がテレビを見ていて、彼のことを思ったのは、「妻に先立たれた男たち」のほとんどが、家庭のことは一切妻に任せてきた男たちだからだ。通帳がどこにあるのかも知らないし、家事も料理もできない。要するに、妻が恋しくて仕方がないというよりも妻に先立たれて明日から生活ができない男たちだ。何時までもおめおめと妻との思い出に浸り、いっそのこと死んだ方がましだとさえ思っている。私はそれなら潔く死になさいと思う。飛び込み自殺することができないなら、餓死すればいいだけのことだ。出来もしないことにウジウジとみっともないと思ってしまう。
カミさんが「あなたはいいわね。何もかも奥さんがやってこなくて。何でも自分で出来るものね」と皮肉っぽく言うが、確かに私は料理も出来るし家事が苦にならないから、多分充分に生きていけると思う。しかし要は、生きる希望を持っているかどうかだろう。生きているだけなら、生きていたくない。その覚悟はあるつもりだ。